東日本大震災が起きた3月11日から、今日でちょうど一か月となる。他の被災地と同じく宮城県在住者にとって、程度の差はあれど怒涛の言葉が相応しい毎日だった。私のような家族や家屋が無事だった者は最も恵まれた部類になるが、震災以前の贅沢に慣れきった暮らしを続けていたのだから、ライフラインの機能しない状態は特に高度経済成長生まれには身に堪えた。
マグニチュード9.0にもなる超巨大地震が起きた金曜日の午後、私は代休で自宅にいた。映画でも見にいくか迷ったが、土日にでも行けばよいと思い直し、「ど真ん中の市」を開催していた近所の某スーパーで買い物をした後、帰宅した。本当にこれは幸運としかいいようがない。まさかこの日、大震災が起きるなど地震学者さえ予測できなかったのだ。
14:46、私はちょうど2階でPCを開いており、カタカタ音がして揺れを感じたので、また地震かと嫌な想いがした。というのも、2日前の9日午前11時45分頃、三陸沖を震源とするM7.3の地震が起きており、宮城県北部で震度5弱が観測されていたからだ。宮城県では日頃から宮城県沖地震 (1978年6月12日)が近い将来再び起きるとかなり言われてもいた。
一般に地震は1分以内に治まると言われ、地震発生後、大抵私は数を数えることにしている。これまではその数が40を超えることはまずなかったが、今回は40になっても揺れは激しく静まる様子は全くない。いよいよ宮城県沖地震の再来かと思ったし、激しい揺れから阪神大震災でのように1階が潰れてしまうのではないか…と恐怖を感じた。そのため40までで数を数えることも止めてしまった。とにかく横揺れが激しく、PCをシャットダウンしようとするも手ぶれし、マウスやキーボード操作も満足に出来ない。何とか電源を切ったが、その間本棚から本や棚に置いた書類、雑貨が落ちてしまった。
長い地震だった。少なくとも1分以上は揺れていたように感じられたし、翌日の地元紙・河北新報にも本社にいた記者自身が、1分半はあったのではないかと記事で述べている。'78年の宮城県沖地震はこれほど長くなかったし、さらに決定的に異なるのは余震が異常に多いのだ!'78年では余震はあまり体に感じない程度だったが、今回は余震が頻繁に起き、しかも大きい。特に本震発生後、2時間以内は酷かった。余震が起きる度、家屋だけでなく気分まで動揺してくる。「また、起きたぞー」という叫び声が外からも聞こえてきた。
今日に至るまで宮城県で地震がない日はない。しかも1日1回でなく、数回はある。一か月となり、さすがに余震の回数は少なくなってきたものの、先週木曜日7日、つまり地震発生から4週間目、震度6強の地震が起きている。本震後、ちかくM7ちかくの余震が起きる可能性が大きいと言っていた専門家がいたが、残念なことに予測は当たってしまった。
首都圏在住でも船酔いならぬ地震酔いに罹る人々が続出しているそうで、いつも地面が揺れているように感じられる症状だという。これは被災地の住民も同じはずだし、私自身、建物内での物音に敏感になっている。カタカタ音がすると、余震であることが少なくないからだ。何度体験しても慣れそうもないし、余震は時を選ばない。震災前は熟睡型だった私も、眠りが以前より浅くなってしまった。
震災後、直ぐに電気は止まった。ガスと水道は18時近くまでは使えたが、それ以降はこれらも止まる。電気、ガス、水道の現代社会の基盤が無くなったのだ。この日の夕食は冷蔵庫にあった魚の粕漬けと野菜を使い、蝋燭の明かりの下で粕鍋を作った。なぜ暗い中で、いささか手のかかる粕鍋など作ったのか自分でも説明がつかないが、料理をすることで少しでも気分を落ち着かせるためだったかもしれない。
我が家にあった石油ストーブは底部がすっかり錆びていたので、2年前に廃棄してしまった。石油ファンヒーターは当然使えず、寒い台所で夕食をしながら新しい石油ストーブを買い置きしなかったことを悔やんだ。3月はじめの東北はまだまだ寒く、暖房のない夜は実に冷え込む。仙台さえ寒いのだから、まして県北部や岩手県は書くまでもない。
電気不通のため唯一の情報源はラジオとなり、NHK第一放送をつけていた。普段から私は台所で炊事をする際、ТVよりも乾電池入りの携帯ラジオをつけることもしばしばで、それが今回は役だった。余震が起きる度、ラジオアナウンサーが「身の安全を確保して下さい!」と何度も言っていたのは妙に耳障りだった。具体的にどう「身の安全を確保」するのか紹介するよりも、掛け声中心だったように感じられた。アナウンサー自身も身の安全を確保したかっただろうし、動揺していたと思う。
その二に続く
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縁はいろいろなところにありますが、困ったときはおたがいさまです。
貴方の弟さんが岡山からガス復旧のため、仙台に来られていたとは…一仙台市民として感謝の念に堪えません。本当に有難うございました。
昨日、震災一か月目にしてやっと私の住む地域でガスが復旧したのです。自宅の風呂に入れたのは実に一か月ぶり。点検されたのは宮崎ガスの若い人でした。他に大阪ガスの方も見かけましたが、岡山県からも着ていたとは、貴方のコメントで知りました。本当に全国からの支援を頂き、とても助かりました。