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戦争と平和(百田尚樹 著)その③

2018-01-08 21:40:50 | 読書/ノンフィクション

その①その②の続き
 著者は戦時における「上層部の無責任体質」を非難、日本軍の一番の問題は、上に立つ高級士官たちが、失敗しても厳しく責任を問われることがなかった点を挙げている。軍上層部は下っ端兵には、「捕虜になるくらいなら死ね」と言っていたはずなのに、福留繁のような将官が捕まった場合、ゲリラへの攻撃を中止してまで救助している。重要機密を奪われたにも関わらず、福留は一切責任も取らされず、左遷も降格もなかった。

 高級将校が責任を取らないという構造は、日本人の持つ大きな欠点、と著者はいう。そしてこれは悲しいことに、今も日本の官僚制度に残っているのだ。例えばバブル崩壊や、その後の長い不況に関連して責任を問われた大蔵官僚はいないことを指摘する。官僚たちは、みな関連する業界に天下り、高級を食んでいる。著者は官僚体質をこう批判する。
だから彼らは安心して省益に走ります。時には、省の権益を侵しそうな政治家を「刺す」ようなことすら平気でやります。今もなお、個人の利益や保身を優先して、国益を考えない、下々が犠牲になることに痛痒を感じない、そういう官僚が少なからずいるように思えてなりません」(100頁)

 縁起を担ぐあまり、最悪を想定できないのが日本人の特徴とする著者だが、悪いことを考えると実現すると思う「言霊信仰」が今でもあるのは否めない。「言霊信仰」については作家・井沢元彦氏も指摘していたが、縁起の語源は梵語であり、元は仏教用語だった。
 当然、インド人も縁起を担ぎ、映画『モンスーン・ウェディング』には娘の結婚式前に不吉な言葉を口にする男が登場、妻に縁起でもない、と諌められるシーンがあった。だが日本人のように「言霊信仰」に入れ込むには、インド人はリアリスト過ぎる。

 著者は第1章よりも、本当は2章と3章の方を書きたかったのではないか?『永遠の0』は未読ゆえ論評できないが、作品をロクに読まず、戦争賛美小説とレッテルを貼る言論人が多かったようだ。ゼロ戦搭乗員を人間的に描いた小説だと、このような扱いとなるのが日本の言論界なのだ。
 第二次世界大戦の戦闘機や搭乗員を描いた松本零士の作品『ザ・コクピット』も、軍国主義賛美と呼ばれている。2章では朝日新聞のバッシングが紹介されていたが、叩いていたのは宮城の地方紙・河北新報も同じだ。しかも一面全てを使う特集を組んで。

 著者が最も訴えたかったのは最終章「護憲派に告ぐ」かもしれない、と想像した読者は私だけではないだろう。「憲法学者は神学者か」という見出しでの日本の憲法学者への批判は実に痛快だったので、その個所を紹介したい。
真の憲法学者というものは、現代において、どういう憲法が国民にとってよりよい憲法であるのかということを研究する学者ではないでしょうか。しかしながら日本の憲法学者のほとんどは、そういったことに関心がないようです。大多数の憲法学者は、日本国憲法を侵すべからざる絶対不変のものとして捉えています。
 そして毎日何を研究しているかといえば、現代の様々な法案を、憲法に合致しているかどうかを見ているだけです。そこには、日本のためにどういう憲法がいいのかという視点は一切ありません」(197頁)

ところが、現代の憲法学者の多くは、「悪法」に照らして、「国民の命を守るための存在や行為」を、間違っていると断じている人たちに見えます。彼らは自衛隊を違憲とし、また憲法によって自衛隊の行動を著しく制限しようとしています。その結果、国民の命がどうなろうと知ったことではないようです。彼らにとっては、そんなことよりも、憲法学者としての「正しい解釈」の方がずっと大切なことなのでしょう。
 もちろんすべての憲法学者がそうではありません。国民の立場に立って、よりよい憲法に変えていかねばならないと主張する学者もいます。前記の西修氏、百地章氏などは、憲法改正を積極的に訴えています。こういう学者こそ、真の学者でしょう。ひたすら世界の憲法を読んで、その厖大な知識をため込むだけで、文章の解釈しかできない学者など、存在価値は非常に低いと思います」(198-99頁)

「そんな彼らを見て、中世ヨーロッパの神学者たちを連想します」(197頁)という著者だが、現代のイスラム神学者とも重なる。神の法を変えることは絶対許さず、信徒の生命や財産など二の次三の次に過ぎない。但し、既得権益層でもあるイスラム神学者は、陰で己の子弟を欧米留学させている始末。口では反米を訴える日本の左翼学者が、自分の子女を米国留学させているのと似ている。

 第3章は憲法改正主義者である著書の、強引なこじ付けと批判的に見る者もいるだろう。尤も護憲派の言動は全く信用できず、他国の代弁者と見なされて当然なのだ。Darkness-Tigaの記事「戦後70年で96%の国が戦争を経験した。次の戦争は必ず来る」(2017-06-12)も考えさせられた。記事は次の一文で始まっている。
戦後70年で戦争しなかった国は国連加盟193ヶ国のうち、たった8ヶ国しかなかった。それは、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、ブータン、そして日本である……

 永遠に続く戦争はないが、同時に永久に続く平和もない。日本の官僚体質を糾弾した著者だが、憲法墨守を訴える政治屋にも似た気質を感じた。連中は嬉々として党益に走り、党の権益を侵しそうな人物を「刺す」ことも平気で行う。今もなお、個人の利益や保身を優先、国益を考えず、下々が犠牲になることに痛痒を感じない、そんな議員が少なからずいる。

◆関連記事:「ザ・コクピット
 「報道関係者の皆さん、頑張って!
 「九条カレンダー
 「憲法を語る―護憲政治家たちの言い分

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6 コメント

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ゼロ戦とグラマン (motton)
2018-01-09 13:50:38
(百田氏は嫌いなので)未読ですが、山本七平あたりからの情報をまくらに最終章を書きたかった感じですかね。

ゼロ戦とグラマンを比較するなら、まず相手の国力が贔屓目に見ても10倍というところから考えないと無意味です。
そういう場合、欠点が無いように作ると(勝る点が皆無になるので)あらゆる面で負け、勝ち目がありません。
だから、ゼロ戦は機動力に特化しました。相手の攻撃は避ければいいと。もちろん海軍も設計者もそう考えてそうしたのです。(無能だからor日本人の特性だからそうしたというのは、進歩主義のサヨクの思考なんです。)
そのおかげで初期は大戦果を挙げることができました。これ自体が奇跡的で、普通の国ならゼロ戦を作ることすらできず、初期からボロ負けでしょう。(もしくは戦わずして降るか。)
長期戦になった時点で負けです。それはもう全員が理解していたことで、アメリカが日本を潰すまでやる方針だった以上はどうしようもない。
兵器の設計思想にかぎらず、戦略(リスク)もそうで、あらゆることを想定した準備はできません。十分な備えなどできず、一分に掛けるしかありません。

アメリカだって失敗ばかりしています。
アメリカの国力なら本来であれば戦争して自国民を死なす必要もなく外交利益を得られるはずです。それができずに戦争になった時点で失敗。さらにベトナムなど小国にすら負ける。
太平洋戦争だって、1年もかからず勝てると思っていたのが4年近く費やし、一時は太平洋での稼働空母が0になるというところまでやられました。そもそも空母を中心とした海軍にしたのは日本の方が先で、アメリカは日本の戦果からの後追いです。(これが逆だったなら、本当に1年で日本は負けています。)

共産主義を甘くみて、日独を潰した瞬間に(自らが最前線になって初めて)共産主義の脅威を理解して、慌てて日独を復興させるとかアホの極みです。(戦前の日本の望みは、アメリカとの自由貿易や共産主義への備えだったわけで、負けたら全部叶えられました。)
要するに、アメリカだって十分な覚悟と備えなんか何にもありません。
それでも滅びないのは、単に国力があるゆえ致命傷にならず何度でもやり直せるからにすぎません。

旧日本軍の人名軽視(当時は兵器の方が貴重)や陸海軍の不和(どこの軍でもそうですが、憲法上、最高司令官が不在だったのが致命的)、官僚体質(これもどこの軍でもそう)などは反省すべきですが、無意味にそうなっているわけではないので原因をよく掘り下げないといけません。
ここで、原因を「日本人は~だから」で終ってしまうのは最悪です。他国だって同じかもしれませんし、もし日本人特有でも、その特性を生んだ環境の方が原因でしょう。

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Re:ゼロ戦とグラマン (mugi)
2018-01-09 22:15:45
>motton さん、
 
 何時もながら貴方のコメントはとても参考になりますが、今回も端から驚きっぱなしでした。この書には山本七兵の名もあったし、百田氏が山本の書を読んでいるのは明らかでしょう。 

>>ゼロ戦とグラマンを比較するなら、まず相手の国力が贔屓目に見ても10倍というところから考えないと無意味です。

 恥ずかしながら、その発想さえ出来ませんでした。書には軍上層部が会議で、ゼロ戦は撃たれなければよい、と発言したことが載っていました。この箇所を見て「ずいぶんだ」と思いましたが、これは最悪の事態を想定しない日本人の特性だけではなかった??
 そして空母を中心とした海軍にしたのは日本の方が先で、アメリカは日本の戦果からの後追いだったのも知りませんでした。軍事面では何でもアメリカの後追いというイメージがあったので、、、

>>普通の国ならゼロ戦を作ることすらできず、初期からボロ負けでしょう。(もしくは戦わずして降るか。)

 まさにその通り!ゼロ戦を絶賛するつもりはありませんが(実は軍事オンチゆえ、比較論も出来ない)、やはり当時は世界最高の戦闘機だったのですね。

 仰り通り、アメリカも失敗は多い。イラク戦争など、英国の失敗になぜ学ばなかったのか、と言いたくります。アメリカさえ十分な覚悟と備えがなかったという意見には目からウロコです。それでも国力があるため、ダメージ回復力も早い。それが超大国なのでしょう。
 百田氏も予算を取り合うことから陸海軍の不和は何処の国にもある、と言っていました。ゼロ戦を生んだのも、日本の職人気質に求めていましたが、その原因を「日本人は~だから」にしてしまうのは確かに安易すぎますね。
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最悪の無責任 (のらくろ)
2018-01-14 13:22:37
>著者は戦時における「上層部の無責任体質」を非難、日本軍の一番の問題は、上に立つ高級士官たちが、失敗しても厳しく責任を問われることがなかった点を挙げている。軍上層部は下っ端兵には、「捕虜になるくらいなら死ね」と言っていたはずなのに、福留繁のような将官が捕まった場合、ゲリラへの攻撃を中止してまで救助している。重要機密を奪われたにも関わらず、福留は一切責任も取らされず、左遷も降格もなかった。

その最悪の例がこれ↓
ttp://daihonnei.wpblog.jp/kuroshio-troops

発見してから沈没まで、第23日東丸は約1時間半、電文を送り続けている。米機動部隊がここまで来ていることは、海軍司令部、大本営まで確かに届いていたのだ。しかし、
>有効な迎撃手段を取りませんでした。

これが後のミッドウェーの大敗北に繋がったといわれるわけですが、ここでドーリットル隊に打つ手がなかったとは考えられない。

全て東京時間ということが前提になりますが、朝6時半に第1報が入電してから、ドーリットル隊の東京到着まで6時間近くある。「万々一のことがあるかもしれない」として策敵機を張っておけば、この16機を易々と補足でき、本土にあったありったけの戦闘機で「全機撃墜か生け捕り」が可能であったはず。

そこで、生き残りの搭乗員を、ひとりひとりラジオ(短波放送)で読み上げ、「彼らjは実に勇敢であった。本国に帰還するに足る武勲者である。それに引き換え、このような無謀かつ無能なプランをでっちあげた、フランクリン・ルーズベルト、コーデル・ハルら現在の閣僚はほんとうに救い難い。ついては真の勇者に替えて、無謀かつ無能な閣僚どもを帝国に引き渡されたい。来る11月の中間選挙では、愚かな民主党ではなく、共和党に投票されたい」と全世界に向けて、東京ローズが放送するのだ。

まあ、どこまでアメリカが応じるかわからないが、少なくともルーズベルトの威信は相当程度失墜するであろうし、わざわざミッドウェー作戦などする必要もなくなる。中間選挙までの間、アメリカに直接仕掛ける戦闘は避け、英領又は蘭領植民地の占領統治を固めていけば、アメリカ内部に相当の動揺を与えられたかもしれないのだ。

その絶好のチャンスをむざむざと取り逃がし、それでも幹部は誰一人処分されなかった帝国陸海軍は、エントリーの著者もいうとおり、断罪されて然るべきである。
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Re:最悪の無責任 (mugi)
2018-01-15 21:21:41
>のらくろ さん、

「黒潮部隊」の逸話は初めて知りました。部隊の水兵は、漁船もろとも民間から徴用された漁師さんだったのですね。全く痛ましい限りです。百田氏も『海賊とよばれた男』の中で、こんな事例を挙げています。

「驚くべきデータがある。財団法人「日本殉職船員顕彰会」の調べによれば、大東亜戦争で失われた徴用船は、商船3,575隻、機帆船2,070隻、漁船1,595隻の計7,240隻。そして戦没した船員、漁民は6万人以上に上る。彼らの戦死率は約43%と推測され、これは陸軍軍人の約20%、海軍軍人の約16%を遥かに上回る数字である」(ハードカバー版373頁)

 そして旧日本軍が「巡潜型」と呼ばれる大型潜水艦を、独自に開発・運用していたことも知りませんでした。せっかく優れた潜水艦を持ちながら、戦術・戦略がダメではどうしようもありません。
 百田氏が挙げていた処分されなかった高級幹部の1人にインパールの牟田口廉也がいます。これはあまりにも有名だし、軍事に疎い私さえ知っていましたが、犠牲者にはインド兵も多かった。そしてインパールで英軍部隊として戦ったグルカ兵のエピソードを紹介した記事があります。
https://blogs.yahoo.co.jp/hoshiyandajp/35588525.html

 大失態を犯した高級幹部を全く処分しなかった帝国陸海軍は、本当に理解に苦しみます。上に甘く、下に厳しい日本の習慣は変わりそうもない。
返信する
Re:最悪の無責任 (motton)
2018-01-16 10:06:46
>上に甘く、下に厳しい日本の習慣

日本は世界ではマシな方かもしれませんよ。(世界をそこまで知らないので分かりませんが。)

日本に限らず、上が責任を取らないのは組織防衛です。特に、戦前の場合は陸軍と海軍の争い(さらに派閥争い)があったので、上の責任=組織の責任は避けたかったのでしょう。
上に責任を取らせる最高司令官(名目上は天皇)が不在という旧憲法の最大の欠陥が根本的な原因なのかなと。

アメリカは真珠湾攻撃で太平洋艦隊司令官が責任を取らされましたが、悪いのは情報を渡さなかった大統領です。日本と違い、軍の上は責任を取っているように見えて、最上位は無責任なわけです。戦時としては、正しいかもしれませんが。
(ルーズベルトは、日本が攻撃してくることを知っていてあえて軍に知らせなかった悪人だが、日本にそこまでの能力があると考えていなかった無能である、というのが私の理解です。)
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Re:Re:最悪の無責任 (mugi)
2018-01-16 22:36:12
>motton さん、

 私自身、世界の習慣を知っている訳ではないのですが、「上に甘く、下に厳しい」というのは著書にあった言葉です。百田氏はその実例を挙げてこの言葉を使っており、具体例として責任を取らされた太平洋艦隊司令官を挙げています。さすがに戦後何年も経つと、名誉回復の動きが出てきましたが、クリントンからオバマまで歴代大統領はそれを却下していたとか。

 この箇所を見れば、やはり米国は上部に厳しい……という印象を受けます。しかし、太平洋艦隊司令官の上にいる最高司令官こそがルーズベルトでしたね。米国ではルーズベルトが日本軍の攻撃を知りつつも、あえて知らせなかったことは一般には知られていないようです。病に耐えて世界大戦を勝利に導いた偉大な大統領、と見ている節があり、そのイメージはなかなか覆らないでしょう。

「日本に限らず、上が責任を取らないのは組織防衛です」というのはまたも驚きです。欧米人や日本の知識人にも、日本では上が責任を取らないという者がいますが、他国も同じでしたか。
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