『日本史の内幕』(磯田道史著、中公新書)を先日読んだ。本の帯のコピー「古文書の達人だけが知る歴史のウラ側、教えます」どおり、古文書の調査や読み方にはさすがに歴史学者と唸らせられる。新書の副題は「戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで」となっているが、新書ということもあるのか読み易い歴史エッセイとなっている。
私的に最も面白いと感じたのは第4章の記事「昭和初年の美容整形」(161-164頁)だった。美容整形など戦後の現象と思いきや、昭和初年に既に行われていたことを初めて知った。
磯田氏はあるテレビ番組に頼まれ、美容整形、なかんづく二重まぶたの整形が日本でどのように成立したかを解説する機会があったという。鼻を高くする隆鼻術は西洋のものだが、目を大きくする目の整形手術は日本で発達したそうだ。明治以降、西洋美人の写真が入り、日本でも目の面積が大きいのが美人ということになる。
目の美容整形を発展させたのは、丸ビル眼科を経営する医学博士・内田孝蔵だった。内田は高遠藩(長野県)の藩校絵画教師の家系に生まれており、美術的感覚を持っていた。彼はドイツ留学で当時の世界最高の外科学に触れるが、その後関東大震災に遭う。顔面火傷の患者の皮膚の引きつりをメスで治療するうちに手技が向上。目頭をWやZ字状に切開して、目を大きくする美容整形法を確立した。
興味深いことに内田は「美人の数値化」を試みていた。美人スターの写真を解析、一般人の目は縦6~9ミリ、横24~28ミリだが、美人スターは縦11~14ミリ、横32~36ミリという結果だった。つまり、美人スターの目は一般人より縦5ミリ、横8ミリも大きいとした。
現代女性は目を大きく見せるため、二重まぶたになるテープやのりを使っている。こういう物は昭和初年にはなかったのか、そう思い著者は国会図書館に行き、戦前の『主婦之友』を読んでみたら、あった。昭和6(1931年)4月号に「進歩した医術と斬新な器具で……誰でも美人になれる方法」という特集が組まれ、そこに「近頃、内田孝蔵博士が新しく作られましたものに、二重瞼の人に用いて評判のよろしい睫毛があります」とあったそうだ。
さらには「特殊な糊(のり)」で「二重瞼の人が二重の皺(しわ)に挟んで用ちひます」というアイテープを兼ねた付け睫毛の写真まで掲載されていた。
つまり、昭和6年段階では一重を二重まぶたにするアイテープはなかったが、二重まぶたの人が目を一層大きく見せるためのアイテープ付け睫毛は既に存在していた。尤もこのアイテープの価格は書かれていなかったとか。
一方、丸ビル眼科での二重まぶたの整形手術費用は「二重瞼の整形は両目で廿五円」と書かれている。二重整形は「直ぐ」、複雑な目の整形も両目で3~4日間ででき、費用は50円以内でやっていたようだ。当時の価格は学校教師の初任給が50円足らず、ざるそば13銭、カレーライス20銭だった。著者は昭和初年の1円は現代の5千円、1銭は50円くらいの感覚だろうと述べている。
以上から、二重まぶたの整形費用は現代の感覚で12万5千円ぐらいになる。著者は現代のある大手美容外科の料金表も見たら、二重まぶた手術は埋没方が両目で9万円、全切開法が同25万円だったそうだ。
昭和初年には、目の整形手術も現代とさして変わらない値段でできたということだろう、と著者は述べている。東アジアでは、まず日本がドイツからの技術を入れて目の整形手術を発展させ、それが韓国・中国へと広がり、歴史上かつてない整形身体加工の時代をもたらしている、と記事では結ばれていた。
江戸時代までは浮世絵がいい例だが、切れ長の目が美人とされていたし、中国朝鮮も同じはず。しかし西洋の衝撃は、東アジア諸国の美の基準すら根底から変えてしまう。
中国系二世の米国人作家マキシーン・ホン・キングストン(1940-)の自伝的作品『チャイナタウンの女武者』には、年頃になると中国系の娘たちの大半は二重に見せようとしてまぶたにセロテープを貼っていたといたことが載っている。安上がりなアイテープを使う中国系女もスゴいが、儒教圏の方が整形身体加工に抵抗が少ないのは興味深い。
このエントリーをアップするにあたり、内田孝蔵を検索したら、「BUSYOO!JAPAN(武将ジャパン)」の記事がヒットした。磯田氏が読売新聞に連載する「古今をちこち」の2016年8月17日付コラムで取り上げていたという。地方紙と違い大手全国紙は、やはり著名作家のコラムニストに恵まれている。
◆関連記事:「チャイナタウンの女武者」
今回の西日本豪雨で岡山県は甚大な被害を受けていますが、madiさんの処は無事だったでしょうか?この新書の7章は「災害から立ち上がる日本人」となっていますが、生まれ故郷が被災するのは複雑な思いでしょう。
磯田先生はNHKの歴史番組にも司会として出演しているし、それで顔を知られたことが新書に載っていました。やはり国営ТVの影響力は今でも大きいのです。
昭和11年のマニキュアの広告です。マニキュア1本35銭。現在の2000円程度でしょうか。
ttps://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/modern-gorls
昭和7年、大阪の美容室でのマニキュア。この頃からネイルサロンがあったとは知りませんでした。都会に関しては現代と同じですね。
ttps://parupuntenobu.hatenablog.jp/entry/modern-gorls
英語のウィキによると、整形手術に関しては大体3500年前の古代エジプトからあったと言うのも驚きですが、現在の整形手術は第一次世界大戦時のイギリスが発祥だそうです。戦争で顔面を負傷した兵士たちのために術式が開発されたそうです。
戦争が手術の技法を発達させるとはうちの父が言っていましたが、戦争を忌避しても戦争より発生した技術のお世話になっているのが現代人です。
昭和6年に掲載された「女商売新旧番付」は、とても興味深いですね。モガことモダンガールは私の歴史教科書にも載っていましたが、エアガールやガソリンガールもいたことには驚きました。既に戦前の都市では女性の社会進出が盛んだったことは、歴史教科書に未だに載せないでしょう。
昭和7年にネイルサロンがあったとは、さすが大阪。昭和11年の広告は時代を感じさせられますが、10~15銭でラーメンが食えた時代にマニキュア1本35銭。それでもお洒落な女性は買ったと思います。
何と整形手術は古代エジプト時代からあったのですか!現在の整形手術は第一次世界大戦時のイギリスが発祥というのも納得です。NHKスペシャル『映像の世紀』では、第一次世界大戦で顔を負傷した兵士たちの為に、オーダーメイドのマスクが作られたことを取り上げていました。ネットでも紹介したサイトがあります。
http://karapaia.com/archives/52264686.html
戦争より発生した技術のひとつに、腕時計がありますよね。軍事に繋がる技術研究を否定する某国の科学者連中もしているのに。
エジプトの整形外科技術は5000年前にさかのぼり、受け継がれてきた技術を記録したものが3500年前のものでした。日本ではまだ縄文時代ですから、古代エジプト、恐るべし。
古代エジプトの整形外科技術は、何と5000年前にさかのぼるほど古かったのですか!古代ではこれほど医療水準が高かったのに、その頃は野蛮だった日本や西欧に完全に後れを取っているのは皮肉なものです。
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。