コロナ禍で巣ごもり生活を強いられる折、自宅での過ごし方は各人によってそれぞれだろう。私的には読書時間が増え、最近は既読の本を再読している。
先日見た『歴史をさわがせた女達~日本篇』(永井路子著、文春文庫)の中で、特に面白かったのは「丹後局(たんごのつぼね)」。丹後局を著者は「大型よろめきマダム」と表現しているが、確かにスケールの大きなよろめきマダムだ。
丹後局の本名は高階栄子(たかしな の えいし)。同時代を生きた北条政子に比べあまり知られていないが、頼朝をして「日本国第一の大天狗」と言わしめた後白河法皇の寵姫となり、絶大な権力をふるった女性なのだ。
「よろめき」にはあまりいい意味はなく、goo辞書には、「1 よろめくこと。2 妻が夫以外の男性にときめきを感じたり、誘惑されて浮気をしたりすること」と解説されている。
丹後局も中年の恋を経て時の権力者の寵姫に納まったので、よろめきマダムのひとりだが、手に入れたのは権力のみならず莫大な財産もゲットしている。しかも寵姫になった時、彼女は既に四十がらみ、当時としては大変なウバ桜。それでいながら遊び人の後白河をすっかり虜にしたのだ。美魔女の元祖でもあったのか?
尤も栄子の前半生は良妻賢母だったらしく、夫・平業房(たいら の なりふさ)との間には二男三女を儲けている。彼女の実家は資産家で持参金は豊富だったし、都の郊外の浄土寺には素晴らしい山荘も貰っている。彼女はこれらの財力を夫の出世のために使っていた。
業房と栄子はその山荘に後白河法皇を招待し、夫婦で歓待している。その献身により業房は法皇の側近第一号にのし上がるが、そのため夫は非業の死を遂げることになった。後白河の意を受け、密かに清盛打倒計画を図ったのが運の付きで、これを平家方にかぎつけられ処刑される。栄子は5人の子供とともに取り残された。
しかし、まもなく栄子は後白河の寵姫となり、丹後局と呼ばれるようになるのだ。後白河との間には覲子(きんし)内親王が生まれている。2人の関係は夫が平家に捕らわれたのと前後して起きたとされるが、浄土寺へ法王を招いた時から始まっていたと見る人もいる。
以降、後白河の側近で誰よりも発言権があるのが彼女で、皇位から高官の任命まで口を出している。天下の権力者の愛人となった丹後局を、夫の元同僚たちは陰で楊貴妃とあだ名していたという。ただ、2人の人生の最後は大いに違っているが。
丹後局は後白河の死に先立ち、2人の娘である覲子のために長講堂という法皇の財産の中で最大の所領を譲り受けている。彼女自身もこれとは別にかなりの所領を得ていたのは書くまでもない。
一説によると丹後局は後白河の死後、法皇の第十皇子・承仁法(しょうにんほう)親王によろめき、彼を天台宗の座主(ざす)にするために大活躍したといわれる。彼女は50をとっくに過ぎていたので、これが事実なら大したものだ。
一方、尼将軍と異名を取りながら北条政子は実権は弟・義時に握られ、2人の息子も悲劇的な死に方をしている。よろめきこそしなかったにせよ、権力者としても母としても丹後局の方が上手だったとしか思えない。著者は丹後局を書くにあたり、こう締めくくっている。
「が、考えてみれば彼女の一生は献身の連続ではなかったか。業房を出世させようとしての献身はもちろん、国政に口を出したのも、後白河への献身のあまりついついそうなったのかもしれない。献身の相手がいなくなると、新しい献身の対象をさがさずにいられなくなる――それが彼女のよろめきの最大の原因だったのだろうか」