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嫉妬の世界史 その一

2021-10-30 22:00:08 | 読書/日本史

 暫くぶりに面白い歴史エッセイを読んだ。『嫉妬の世界史』(山内昌之 著、新潮新書91)がそれで、初版は2004年でも全く古びていない。嫉妬の文字はどちらも「ねたむ」という意味があるが、双方ともに女偏が使われており、嫉妬は女特有のものとする儒教の男尊女卑思想の表れなのだ。ならば男は嫉妬に無縁と思いきや、とんでもない。本書の表紙裏には以下の紹介が載っている。

喜怒哀楽とともに、誰しも無縁ではいられない感情「嫉妬」。時に可愛らしくさえある女性のねたみに対し本当に恐ろしいのは男たちのそねみである。妨害、追放、殺戮……。
 あの英雄を、名君を、天才学者を、独裁者をも苦しめ惑わせた、亡国の激情とは。歴史を動かした「大いなる嫉妬」にまつわる古今東西のエピソードを通じて、世界史を読み直す。

 序章のタイトルは「ねたみとそねみが歴史を変える」。男性の著者は「始末におえない男の嫉妬」といい、男女の嫉妬の違いをこう述べる。
たしかに、一部の極端な事例はともかく、女性の嫉妬にはどこか可愛く間の抜けたところがある。「おかやき」という言葉にも愛嬌がひそんでいる。他人の中の良さをねたんだり、はたでやきもちをやくのは、女性のせっかい好きと無関係ではない。
 それと引き換え、男性の嫉妬はどうにも陰険で粘着質ではないだろうか。自分が他人より劣る、不幸だという競争的な意識があって心にうらみなげくことを「嫉む」だと考えるなら(『字訓』)、古くから仕事の上で競争にさらされてきた男の場合こそ、嫉妬心を無視するわけにはいかないのだ。」(13頁)

 新潮社のHPには本書の詳しい紹介があり、各章のタイトルは以下の通り。

第一章 臣下を認められない君主
第二章 烈女の一念、男を殺す
第三章 熾烈なライヴァル関係
第四章 主人の恩寵がもたらすもの
第五章 学者世界の憂鬱
第六章 天才の迂闊、秀才の周到
第七章 独裁者の業
第八章 兄弟だからこそ
第九章 相容れない者たち
終 章 嫉妬されなかった男

 私的に興味深かったのは、第三章の森鴎外と第四章ヒトラーロンメル、第九章ゴードンベアリング。特に鴎外が他人の嫉妬に対する反応は自意識過剰と被害妄想が激しく、明治の文豪の知られざる一面を本書で初めて知った。第三章は以下の文章で始まっている。
森鴎外ほど、嫉妬に敏感だった男もいないだろう。明治の文壇で名声を勝ち得た鴎外は、軍医という変わった職業の世界で、何時も他人の視線を感じていた。それどころか帝国陸軍という官僚秩序の世界でも、必ず疎まれる存在であった。」(58頁)

 鷗外は人の噂や影口をひどく気にする性分で、世評に人一文敏感であり、いつも自分が他人の悪罵や冷笑や攻撃にさらされている、と思いがちな性格だったという。鴎外は文壇でも陰湿な嫉妬を受けていたが、デキる男の不幸ばかりとは言えなかったらしい。鴎外は他人からの批判にすぐ反応、彼もまた嫉妬深く、えげつない仕返しを繰り返していたのだった。
 鴎外の過剰な被害意識は、いつも他人への反駁に繋がり、彼のうちに潜むコンプレックスは、他人への度を越した反応を引き出す。彼の反駁は誰かの成功や栄光を憎む嫉妬心に結びつくや、どう贔屓目に見ても、センシティブとしか言いようがない反駁に変わりがちだったそうだ。

 非凡な文豪でも嫉妬に苦しめられていたのは実に人間的といえるが、鴎外の嫌らしいのは自分の不利益を被る人事に不満があると、決まって評論や創作の中で意趣返しをするのを躊躇わなかった処。鴎外はある医事雑誌で強烈な当てこすりをしたことがあったが、当てこすりされたのは鴎外の陸軍入りを推挽したことのある2人で、いわば恩を仇で返したのだった。
その二に続く

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2 コメント

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Unknown (牛蒡剣)
2021-10-30 23:22:13
森鴎外は軍隊の脚気問題で細菌説に固執
して栄養問題説を過剰に叩いて被害を増大させた
おおきなやらかしをしてますけど

>鴎外は他人からの批判にすぐ反応、彼もまた嫉妬深く、えげつない仕返しを繰り返していたのだった

なるほど納得しました。文芸でもそうなら納得です。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2021-10-31 22:15:08
 鴎外が上部や同輩ともめたのは脚気問題よりも、性格が大だったのです。続きに書きましたが、『舞姫』では上司を悪役にしていたほど。部外者にはわからずとも、読む人がよればわかる仕掛けです。明治ロマンス小説に、このような背景があったのは意外でした。

 その執拗さが文芸面でも発揮され、作品に昇華するのはさすが文豪です。書かれた方は堪らなかったでしょうけど。
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