トーキング・マイノリティ

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チャイナタウンの女武者

2007-01-15 21:10:56 | 読書/東アジア・他史
 学生時代、仙台の公立図書館でふと目にした本を立ち読みしたことがある。その題名が『チャイナタウンの女武者』、著者マキシーン・ホン・キングストン(1940-)は移民二世だったか、アメリカ生れの華僑だ。本の裏表紙の解説には、外ではアジア系として差別され、内では女性として差別される中国系アメリカ女性の自伝と紹介されており、チャイナタウンの内情はなかなか興味深かった。

 著者は何度も作中で「私を売る」 という表現を使っており、親が貧しさのため女児である自分を売るのを恐れていたようだ。はじめ私はこの表現は何かの比喩ではないかと思ったが、どうもそう ばかりとは言えないようだ。日本の戦前も娘の身売りがあった様に、中国本土でも貧しさから人身売買は当り前だった。移民してきたアメリカの地でも、著者は その風習に脅えていたと思われる。感受性の強い少女だった著者は、中国人社会の因習に不満を募らせながらも、恐れていた。

 著者の祖父は中国でヤクザか盗賊だかをしていたこともあるらしい。そのためばかりでもないだろうが、特に男の子の孫をほしがった。だが、立て続けて女の子の孫ばかりが生まれて失望し、著者も含む姉妹たちの孫に対し、面と向かい「蛆虫蛆虫蛆虫」と繰り返す。「わしは男の孫がほしいのに、何故女ばかりなんだ!」と怒りを露わにする。
 祖父にやっと男の孫が生まれ、彼も大喜びし盛大なお祝いをする。その後、男の孫を非常に可愛がり、孫を遊びに連れて行こうとする。著者たち姉も付いて行こうとすると、祖父は「女の子はダメだ」と叱り付けた。祖父と弟が帰った時、弟は祖父が買ってくれた玩具をどっさり手にしていた。女の孫である著者は祖父から玩具を与えられたことはなかったが。

 移民してきても、チャイナタウンでは本国の男尊女卑の風習が根強かったらしい。近所のおばさん連中が著者のいる側で、「女の子に食べさせるのは、ムクドリに食べさせるのと同じだね」 と開けっ広げに言うのを聞いている。その言葉に傷付いた著者が涙を浮かべると、おばさんたちは早速「何故泣いているんだ。悪い子だね」と咎める。涙声で 「私は悪い子じゃない」と反論するものの、泣いている時点で既に悪い子なのだ。現代のチャイナタウンでこのような会話が交わされているかは不明だが、おそ らく著者の近所のおばさんたちも、同じようなことを言われて育ったのだろう。成人して、女の子を貶める側になっただけだ。

 それでも在米 となれば、アメリカの価値観に影響されずにいられない。年頃になれば、中国系の娘たちの大半は二重に見せようとしてまぶたにセロテープを貼っていたとい う。この箇所を読んだ時、私は思わず苦笑してしまい、何もそこまでしなくとも、と思ったが、日本生まれ、日本育ちと元々二重まぶたの持ち主には、その悩み は理解が難しい。日本人でも二重に整形する者がいるから、中国系を笑えないが、確かに二重まぶたを一重に直す者は聞いたことがない。

 日 本人移民の子供のことに関しての描写があったが、日本人の男の子は腕白だったと書いていたのは驚きだった。さらに本名は忘れたが、他の中国系米国女性も自 由でのびのびしている日本娘に対し、中国系はそうでなかったので、日本娘が羨ましく思ったと書いていた。普通は逆だと思われており、中国系は何処でも自分 の家みたいに振舞っているのではないか。隣の芝生は何とやらで、日本人への屈折した思いがそのような見方となったのか、伝統の重圧に縛られていたのか、よ く分からない。

 アメリカ的男女平等思想に影響された著者と、伝統的価値観の持ち主である母との間には、世代間摩擦が起こるようになり、 母娘は言い争う。中国系家庭での女性蔑視を責める娘に対し、「中国人は反対のことを言うのが好きなのだ」と反論する母。ついに母は著者に家から出て行け、 と言う。著者は家だけでなく、後に結婚した夫共々、アメリカを出て行き、ベトナムに向う。その後の著者の消息は不明だが、向った先がベトナムというのも興 味深い。ルーツのある中国よりベトナムの方が暮らしやすいと思っていたのは確かだ。

 私の学生時代は特に日中友好が謳われる風潮であり、 学者、文化人共々中共の男女平等を讃えていた。私は長く続いた儒教的男尊女卑が簡単に変化するものか、疑問に感じていた。ネットが普及する以前にもその実 態も知られるようになり、中国を見てきたはずの文化人より私の勘が当たった。共産主義者でもない学者や文化人が、何故中共の言い分を鵜呑みにしたのか、実 に不可解だ。

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4 コメント

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私の同級生の話 (スポンジ頭)
2007-01-16 21:53:05
こんばんは。

生まれる子供の性別に関して、私が卒業した小学校の同級生の家で似たような話がありました。その同級生は男の子だったのですが、上は女の子ばかりかなりの数で、子供の数が増えたのも男の子が生まれるまで生み続けたからです。
そしてその子が生まれると父親は玩具などをたくさん買い与えて可愛がったそうです。その頃はその子の家の男の子誕生へのこだわりを不思議に思っていたのですが、後に半島出身者だと分かりました。身近な所で大陸系の男尊女卑を聞いていた訳です。

>>ルーツのある中国よりベトナムの方が暮らしやすい
当時は文革の時代じゃないでしょうか?それなら元フランス植民地のベトナムの方が暮らしやすいと思います。もっとも優秀な人間はシナから今でも出国しますね。

>>共産主義者でもない学者や文化人が、何故中共の言い分を鵜呑みにしたのか
司馬遼太郎が文革の頃シナに招かれたことがありますが、「長安から北京へ」と言う本の中でシナの宣伝に沿ったような内容も書きながら(子供たちは生き生きしていたとか)、シナの行動にそれとなく疑問を呈していました。あの時代、シナを批判するにはかなりの覚悟がいったのではないでしょうか。
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男系血統主義 (motton)
2007-01-17 11:18:54
中国や朝鮮は、古代から男系血統を表す「姓」(日本では、藤原や源などの「氏」にあたる) を持ち、先祖の祭祀を行うのは男系子孫のみという宗教的要素がからむので仕方ない部分もあるかもしれません。農村では労働力という要素も大きいのでしょうが。

それほど拘らない日本でも、数十年前までは男の子の方が喜ばれましたし、今でも結婚すると妻が夫の名字に変え夫の家の祭祀を行うのがまだまだ一般的です。
ただ、少子化の時代になると変わってくると思います。(中国や朝鮮においても。)
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ひな祭り (mugi)
2007-01-17 21:41:08
こんばんは、スポンジ頭さん。

何年も前の月刊誌「文藝春秋」で、確か山崎豊子さんだったか、日本の有名女流作家と東南アジア女性との対談が載ってました。
インドネシアかベトナム女性だったか、母が子連れでシナ人と再婚し、男児が生まれなかったので、養子にしたそうです。養父はそれなりに親切だったにせよ、「中国人って男の子をとても可愛がるでしょう。だから男の子に比べて自分への対応には、寂しかった」とか。
日本のひな祭りのように、女の子のためのお祝いというのは、儒教圏はもちろん世界的にも稀です。

著者がベトナムに移住したのが1970年代後半でした。今もベトナムは共産圏ですが、著者は母に「共産主義国では女の子が誕生しても、お祝いをする」と言ってました。中共は信用できなかったのですね。

司馬遼太郎もブンヤ上がりであり、文革時代のマスコミの賛美一辺倒の風潮に逆らうのは難しかったのかもしれません。
日本のマスコミは「革命」といえばすぐ飛びつき、その論調も一本やりですよね。日本の社会を画一的と決め付ける文化人こそ、どれも似たような語り口になる類似性はおかしなものです。
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婿養子 (mugi)
2007-01-17 21:47:36
>mottonさん
東アジアのみならず、ヒンドゥー、イスラム圏やキリスト教社会も父系社会ということでは同じです。
男という漢字を見ただけで田で力を出す労働者なのが、分かります。他にも兵力として貴重でした。

日本では男児に恵まれない時、婿養子というかたちを取りましたが、これは他の文化圏ではあまり見られない現象ですよね。現代でも確か沖縄は本土のような婿養子がないと聞いてます。

現代こそ先進国は少子化が問題ですが、無理やり一人っ子政策を取っている中国は後でその反動が来るような気がします。
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