トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

インドの民話集 その③

2008-04-13 20:20:06 | 読書/インド史
その①その②の続き
お前でなければ、お前の父親に違いない』の説話は興味深い。ある時、子羊が山の流れで水を飲んでいた。そこへ1頭の虎が子羊より数メートル上の所で水を飲みに来るが、羊を見かけ因縁を付ける。「何故お前は俺の流れを濁しているのだ?」。「私は川下にいて、あなたは川上にいるのに、何故水を濁したことになるのでしょう」と羊は言うものの、「しかしお前は昨日濁したのだ」と逆ねじを食わせる虎。「昨日はここには来ていない」「それではお前の母親だったに違いない」「母は暫らく前に死んでます」「それでは、お前の父親に違いない」「私は父が誰だか知りません」…

 必死になった子羊は逃げようとしたが、既に遅し。「そんなことはどうでもよい。俺の流れを濁しているのは祖父かひい祖父に違いない。だから俺はお前を食おうと思う」。こう言って虎は子羊に飛びかかり、餌にしてしまう。編集者はこの話を効果的な政治的寓話と言い、先祖たちが歴史上迫害や集団殺人を正当化するため引き合いに出す、人種差別主義者の倫理を捉えていると見る。己の蛮行を棚に上げ、他国の過去の歴史を外交カードにする国があるではないか。

 民話は子供にもっと食べさせたり寝かしつけるためだけではなく、大人がずっと目を覚ましているために話されることもよくあるらしい。農民が徹夜で作物の番をしたり、一日中牛や羊を見張るために集まる時や労働者の作業中など、長い労働の単調さを和らげる効果があるという。『掃除夫の夢』は完全に大人向けの話。主人公の掃除夫は王妃の便所を掃除しようとして、上を見上げた際、たまたま王妃が用足しに入ってきて、腿の内側が見えてしまう。ちらりと見ただけなのに、掃除夫はそれ以降すっかり王妃への想いに取りつかれてしまう。

 掃除夫は寝食も出来なくなり、妻がいるにも係らず頭にあるのは王妃への妄念。次第に狂気じみた振舞いをするようになり、衣服も変えず、ついには家を出て放浪者となる。ベンガル菩提樹の下に座り、ひたすら王妃を思う。何日も寝食を取らず一言も話さず、瞑想状態で木の下に座る彼を見た村人たちは、聖者と思い込み、彼の世話をするようになる。お供えを持ってくる村人もいたが、掃除夫は殆ど無関心、いよいよ本物の聖者と認識された。彼の評判は国中に広がり、名声を聞いた王妃もついに彼に会いにやって来る。掃除夫とは知らず聖者と思い込んだ王妃は、彼の前にひれ伏すが、もともと王妃の秘所しか見ていない彼には誰なのか分らず、訊ねもしなかった。女の股間を見て激しい恋慕に捕われ、最後は聖者になった男というのは、いかにもインド。

 この本には近親相姦の物語もある。『ソナとルパ』『父親が結婚したがった王女』『息子と結婚する母親』などがそう。『ソナとルパ』は主人公の王子の妹たちの名前。狩りに出かけた王子がたまたま流れで、いく筋かの金と銀の髪を見かける。これだけ美しい髪の女なら、さぞ容姿も美しいと思い、宮殿に戻った王子はこの髪の持ち主を探させる。だが金と銀の髪の女はソナとルパ、彼の妹だった。それでも王子は結婚を望む。仕方なく王も王妃も王子の願いを叶えさせようとして、結婚を認める。式の日、妹たちは白檀の木に登り、木はぱっくり口を開け、彼女たちを飲み込む。
 私が見た日本昔話「髪長姫」も、女の美しい1本の髪を見た権力者がその持ち主を探すという話だった。この話では「髪長姫」は目出度く帝の妃に納まることになるが、赤の他人だから問題はない。髪1本で持ち主の女を探す物語は西欧にもあり、東西の共通は興味深い。

『父親が結婚したがった王女』は、題名どおり美しく育った娘を見た王様が、こともあろうに娘と結婚しようとする。「私が植えたものを食べても構わないかね?」と周囲に確認し、王の意図を知らぬ家臣は同意するが、父の思いに気付いた王女は機転を利かして逃れ、別の王様と結婚する。『息子と結婚する母親』も知らなかったといえ、実の息子と結婚する女が主人公。ギリシア神話のオイディプスの女性版といったところだが、インドの物語では息子には真実を語らず、平穏に暮らしたというオチになっているのだ。

ラージャ・ヴィクラムと中国の王女』の話は傑作だ。ヴィクラム王は中国に行き、花嫁を得て戻るというストーリーだが、どう見ても中国の描写はそれらしくない。中国の皇帝は娘のために花婿選びの式を行う、敗戦には帽子も被らず裸足で、降伏と和平の印として口に一本の藁をくわえて出てくる…

 身近な人が民話を語りかける環境を持つ社会は羨ましいと思う。今時の日本の親には絵本よりディズニーのアニメを見せる者もいるだろう。子供に民話を聞かせる機会も少なくなっているのは侘しすぎる。

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
修正昔話 (mugi)
2008-04-14 21:12:00
>mottonさん

私も昔話を聞いても、実感はかなり薄かったですね。やはり戦後の高度経済成長時代生まれ、飢えた体験がないから、民話に込められた意味が理解し難かったと思います。まだ私の子供時代なら、地方ということもあり自然や闇夜が残っていましたが、現代は極めて難しいでしょう。

ディズニーのアニメには結構非難がありますね。私は未見ですが、「ヘラクレス」「ポカホンタス」など、“原作”を変えられているため、知識人ばかりかリベラル派からも不評だったとか。ただ、グリム童話も結構子供向けに改ざんされているし、日本昔話も修正があるから、ディズニーばかりではありませんが。

>>「敗戦には帽子も被らず裸足」。この描写は大変中国らしいです。「一本の藁」はよくわかりませんが「印綬」と間違えたのか?
そうでしたか!教えていただき、有難うございました。
皇帝が広く婿選びの儀式を行なうというのは、とてもインド的です。もちろん誰でも構わないのではなく、様々な条件をクリアしなければなりません。
返信する
昔話 (motton)
2008-04-14 13:21:36
イソップ寓話にもある話もありますね。地域的に千夜一夜物語などとも被るのでしょうね。

自分の子どもの頃を思い出すと、日本昔話や日本神話、イソップやグリム童話、長じてからはギシリャ・ローマ神話やユダヤ神話(聖書)などに触れていますね。

ただ、多くの昔話の背景にある貧しさやひもじさ、闇夜(=外界・異形)への恐怖といったものの実感は、高知の田舎(要するに日本ではかなりの田舎)に生まれ育った私でも薄いです。祖母を通して想像することしかできません。現代の都会の子供達には全く無理でしょうね。
でも、アニメの「まんが日本昔ばなし」や童謡(「浦島太郎」「桃太郎」など)がある日本は恵まれている方かもしれません。

また、民話の良いのは解釈が色々あることですね。
最近の(アニメやマンガを含む)フィクションは主題が決まっているので、子供の自由な思考には良くないかもしれませんね。

PS.
#「敗戦には帽子も被らず裸足」。この描写は大変中国らしいです。「一本の藁」はよくわかりませんが「印綬」と間違えたのか?
返信する