
トップ画像だけを見れば、何処にでもいそうな母子の印象を受けるだろう。しかし、この乳児が実父による性暴力で産まれたことを知れば、印象は全く変わるはず。2月21日放送のEテレ「ドキュランドにようこそ」のタイトルは「私のような少女たちへ」、性暴力をテーマとした内容だった。以下は番組サイトからの引用。
―古い慣習が残るアフガニスタンで、父親による性暴力を裁判所に訴えた勇気ある一人の女性。過酷な境遇の中で立ち上がる女性の強さと、母としての優しさを丁寧に描く感動作。
アフガニスタンに暮らす23歳のカテラは、実父の子を身ごもっている。女性弁護士の助けで、ようやく裁判で父を訴えることができた。裁判で国じゅうの注目を集める一方、親戚にも一家の恥だと責められ、命の危険さえ感じる毎日…。
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番組では先ず2009年アフガンで、女性への虐待を禁止した法が制定されたことが出てくる。だが実際はこの画期的な法は殆ど機能しておらず、逆に訴えた女性側が処罰されることが多いという。
そしてドキュメンタリーは2014年秋のカブールの街を映し出す。意外だったのは街には女性が結構出ており、しかもブルカ姿を見かけなかった。ヒジャブで頭を覆ってはいるものの、顔は完全に晒している。少なくとも首都では女たちも外出できるようになったのか。
冒頭でのカテラは妊娠中だったが、視聴者はそれ以前の話にも絶句させられたはず。はじめの子供は砂漠に捨ててきて、その後も4度妊娠、現代も父の子を身籠っているという。それでも出産し、画像はその赤ん坊で男児だった。
カテラはカブールのアパートで母、幼い娘と暮らしているが、その娘もまた実父との間の子なのだ。初めの子はともかく、この娘の他にも子供は生れているのではないか?その子はどうなったのか?と想像してしまう。里子にでも出したのか?
カテラは声を上げなかったのではなく、父の性虐待を警察に訴え、父は3度逮捕されている。これだけでも警察は全く当てにできないことが知れよう。
さらにアフガンでは社会的に影響力のある聖職者にも相談したが、誰も彼女の話はあり得ないと信じなかった。15人目の聖職者に出会うまでは。力になってくれたのは、やはり同性の性暴力専門家だった。専門家はТVで実父の性暴力を訴えることを勧めた。カテラの告発には国中が注目する。
カテラには弟がいたが父を止めようとしても修まらず、ついに家を出てしまったのだ。それでも姉がТVに出たことで家の内情が知られ、姉のせいで仕事に就けなくなってしまった、前、殴ってしまった……とこぼしている。
弟さえ力にならないのだから、まして親戚は一家の恥を晒したとして許さない。親戚にもカテラは相談していたものの、耳を傾けなかった。特に叔父はカテラの居場所を執拗に突き止めようとする。仮に叔父が殺人を行ったとしても、この国では名誉殺人として罪に問われなかったかもしれない。
父親は近所では敬虔なムスリムと思われていたという。お祈りも欠かさず、神聖なるモスクで祈りをささげた後、娘を手籠めにする男がいること自体、赤の他人には理解できなかったかもしれない。外貌も端正で、とてもこのような鬼畜行為をする男とは見えなかった。
裁判でも父は容疑を全面否認し、娘は売春していたとまで言う。カテラが胎児を中絶しなかったのは、性暴力専門家の女性から生れた子供のDNAから実父の性犯罪を立証できるから……と忠告されていたからだ。やはりDNA検査では子供の父が実父であることが判明したが、それでも判決は下されなかった。
本来カテラは生れてくる子供を里子に出すつもりだった。しかし出産間近になって考えを変え、例え実父の子供でも育てることを決意する。里親になる方は約束を破られ激高するが、それでもカテラの決意は変わらない。画像の母子の様子からは、そのような事情があったことなど、誰が想像できるだろう。
その二に続く
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事件を思い浮かべました。ご存じない場合は
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この父親も鬼畜の人のクズ。万国どこにも
トンデモナイやつがいるものです。
しかし、 イスラム教国だと女性はこの手の事件で救われませんね。
日本の場合は弁護士の尽力で救われましたが、イスラム圏の場合は欧米に亡命する他救いがないのかもしれませんね。