トーキング・マイノリティ

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日本人とユダヤ人 その①

2008-08-30 20:26:21 | 読書/ノンフィクション
 昭和45(1970)年5月に出版されたベストセラー『日本人とユダヤ人』を、遅ればせながら読んだ。出版時この本は、著者は日本で生まれ育った日本通のユダヤ人イザヤ・ベンダサンという触れ込みだったが、少し目を通しただけで日本の知識人なのが判る。これは後知恵もあり、現代は出版元の山本書店経営者・山本七平がペンネームで書いたことが通説となっており、私もwikiで予め見ていた。そのため偽ユダヤ人評論家として、これまで山本作品を敬遠していた。しかし、山本ファンのブロガー「一知半解」さんや拙ブログのコメンターさんから、「読んでみても悪くない作品」と勧められ、気が変わった。

「はじめに」は冒頭の実に鋭い一文から始まる。「外国人や外国文明に対する批評は、自己及び自国民の潜在的欲望の表出である」。ヤーシュヴ・ベン・ダーネルの言葉とされているが、この人物はネット検索しても『日本人とユダヤ人』絡みでしかヒットしない。山本の架空の人物なのだろうか?だが、たとえ架空の人物であれ、これは山本の深層心理を吐露したように思えた。これは日本人文化人に限らず、人種や文明が違えども、古代から「人間ならば、誰にでも全てが見える訳ではない。多くの人は、自分の見たいことしか見ていない」(カエサル)ものなのだから。

 続いての章「安全と自由と水のコスト」に、N.Yの高級ホテル住まいをしている老ユダヤ人夫婦のエピソードが紹介される。宗教学者・浅見定雄氏はこの箇所を引用して実際にありえないと指摘、山本批判の根拠のひとつにする。金持ちでなければ高級ホテルで暮らせないし、稀にせよホテル暮らしを続ける酔狂な富裕階級もいるだろう。ただ、金儲けが巧く豊かで知られるユダヤ人さえ、そのような者は例外中の例外の部類である。貧しいユダヤ人もおり、ホロコーストで真っ先に厄に遭ったのが彼ら。金持ちは早々に欧州脱出を果たしている。もしかすると、「水と安全はタダと思い込んでいる日本人」のコピーが生まれたのも、このベストセラーがきっかけになったのかもしれない。

 さすがベストセラーとなっただけはあり、面白く読ませる面はある。日本は遊牧社会と無縁な歴史を持つというのは、中東史を少しでもかじった方ならご存知だが、一般には知られておらず、従って農耕民と遊牧民の価値観はまるで違うのも認識できない人もいる。同じ人間なのだから、とすぐ相互理解を求める文化人も珍しくないが、日本的勤勉さが通じる世界ではないのだ。いかに勤勉に働けど、家畜の数が急増するものではなく、懸命に面倒を見ても繁殖が加速するのではない。“90日の民”とは巧みな表現だと感じる。風土柄日本では、短期間に稲作をやりこなせばならず、他国のそれと比べたら秒刻みのようなもの。当然せっかち気味となり、「純農耕型勤勉」「純農耕型経営」と繋がる。

 地政学的に日本は異国や異民族との関りが殆どなかったため、どうしても世間(世界)知らずのお坊ちゃん気質となる。「別荘の民、ハイウェイの民」の章では、そのお坊ちゃんぶりをこう表現されている。
平和な別荘で文字通りおかいこぐるみで育てられ、秀才だが世の荒波を知らない人物、従って外に出ると、何事にもすぐ緊張して硬くなる人物、図々しさがむしろ美徳とされる外部の世界を、唖然として眺めている育ちのよい人物…
 別荘育ちのお坊ちゃんは時々、途轍もないことを考えたり主張したりして、周囲の者を唖然とさせる…お坊ちゃんというものは、どんなに優秀でバイタリティーに富んでいても、気の弱い甘えん坊で、依存心の強い一面がある。相異なる方向(一方は独自性の主張、一方は共通化の主張)に現れながら、その底にあるのは一種の気の弱さだと思う…


 著者はその一例として、東京五輪の際、確か朝日新聞だったと思うと前置きし、載った投書を紹介していた。「自衛隊が祝砲を撃つというが、これはまことに平和の祭典に相応しからぬ行為である。日本は平和国家であり、祝砲を撃つなどということは止めよ」という論旨だったとか。
 昔の大砲は弾丸を込めた後発射する他、弾を除く方法は無かった。従って祝砲を撃つというのは武装解除して友好裏に使節を迎えるという意思表示であり、目の前で砲を発射する。従って祝砲を発射しないのは敵意の表示で、戦闘準備は完了した、必要あらばいつでもぶっ放すぞ、という意思表示とも受け取られるそうだ。祝砲はこのような経緯から国際間に確立した儀礼だったのを、投書者は知らなかったらしい、と著者は皮肉げに述べている。
その②に続く

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3 コメント

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その②はあるのでしょうが…… (のらくろ)
2008-08-31 17:35:47
とりあえず。

>東京五輪の際、確か朝日新聞だったと思うと前置きし、載った投書を紹介していた。「自衛隊が祝砲を撃つというが、これはまことに平和の祭典に相応しからぬ行為である。日本は平和国家であり、祝砲を撃つなどということは止めよ」という論旨だったとか。

もちろんmugiさんのエントリーこそ正解なのですが、私自身は東京オリンピックの時幼稚園児だったのでこの投書自体は知りません。が、朝日の投書で強烈な違和感を持たされた例はほかにもある。

おそらく今から20年程前のはず。あの山口百恵が引退するときの「さよならの向こう側」の歌詞に「光年は距離の単位」と文句をつけてきた投書があった。確かにそのとおりなのだが、私は「ほんとに(今流に言えば)KYな投書だ」と毒づいたのを思い出します。

その後サンゴ礁にKYと彫ったバカ記者がいたり、朝日は結局「チョウニチ」新聞だったことが露呈されたわけですが、この祝砲投書と私のカキコした投書は、ホントに投書だったのか、投書に名を借りた朝日の「主張」だったのか、私は当時から、後者だったのではないかとの疑念を強く抱いております。
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たしか… (ピーク)
2008-08-31 20:18:48
たしか山本七平さんはクリスチャンだったはずですよ。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-08-31 20:53:13
>のらくろ さん

東京オリンピックの際、私自身はまだ赤ん坊だったので、記憶は全くありません。
そして家ではずっと地元紙・河北新報をとっているので、朝日新聞の内容はネットをするまで知らなかったですね。十数年前だったか、父が入院先で見た朝日新聞を貶していたのを憶えています。

祝砲投書がたとえ朝日でなくとも、記事の内容はもちろん、それを載せた新聞の姿勢に唖然とさせられました。朝日が自称クオリティーペーパーというのも、キツイ冗談にしか感じません。
河北新報の投書欄「声の交差点」にも、不可解な投書があり、投書に名を借りた新聞社の「主張」なのか、読者としては確かめる術もありませんよ。


>ピークさん

仰るとおり、wikiにもあるとおり彼はクリスチャンです。
もちろんクリスチャンも宗教思想感は様々ですが、日本人信者は一般に親ユダヤ傾向があるように思えます。
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