トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

生きながら火に焼かれて

2005-11-22 20:32:59 | 読書/ノンフィクション
 中東のムスリムを中心にインド、パキスタン、さらに欧州に渡った移民の間にまで恐るべき因習がある。それはジャリマ・アル・シャラフ、「名誉の殺人」と呼ばれるものだ。結婚前に男と付き合うなど論外、視線を合わせたり話したりしただけで、「シャルムータ」、つまり娼婦と見なされるばかりか、家族の名誉を汚したとして身内により処刑される。この本の著者スアドもまた、数回のデートと妊娠の結果、義兄に生きながら火に焼かれたのだ。

  スアドは'50年代後半シスヨルダン(ヨルダン川西岸)の小さな村に生まれる。彼女には2人の姉と弟妹が1人ずついたが、彼女の母は10代半ばでかなり年 上の男と結婚して14人の子供を産んだ。だが、残りの子供たちは全て母親によって間引きされた。女児だったから。スアドも母親が出産後すぐ、生まれたばか りの女の赤子を窒息死させるのを2度も目撃している。死体の始末までは著者は見なかったにせよ、おそらく埋められただろうと推測していた。家族は誰も赤子 がどうなったか問わないし、男児を産まなければ離婚されるのだ。女ばかり生む母親が悪いという理由で。
 スアドの母はもちろん彼女や姉妹は、仕事 がのろい、お茶を用意するのに時間がかかりすぎるといった些細な理由で、日に最低1度は家長である父に殴られ蹴飛ばされていたそうだ。彼女の父親だけが暴 君だったのではなく、彼女の育った村では普通であり、何時も何処からともなく女たちの叫び声が聞こえてきたという。著者も杖やベルトで打ち据えられ、三つ 編みを切り落とされ、厩の柵に縛り付けられた事もあった。
 著者の父は常々女の子は役立たずと繰り返していた。牛にせよ羊にせよ収入を得られ家族の役に立つのに娘は何もない、と言ったが、その家畜の世話をし、羊毛を刈り乳を搾るのは娘で、結婚時には父の元に多額の結納金が入るのだ。

  スアドの家庭でも父から殴られなかったのは弟と牛や羊の家畜だった。家族と一緒でしか家を出られない著者姉妹と異なり、弟だけは学校に通い、町に遊びに出 掛けられた。唯1人の息子として甘やかされた弟も成長して父親と同じく暴力を振るうようになる。姉や母も殴り、結婚した妻にも暴行を加え流産させる。暴力 だけならまだしも、著者の妹を絞殺したのだ。理由は不明だが、何か男の親族に逆らったり、「家族の名誉」を汚したと見なされれば、たちまち村の女たちは殺 される。著者の近所に住む不倫を疑われた女は、彼女の兄たちにより首を切り落とされ、妹の首を持って男たちは村中を歩き回った。それが著者の村で、ごく普通の事だったのだ。

 スアドも17歳位の時、近所に住む男に恋をする。数回のデートだったが男はすぐさま体を求め、彼を失う恐れで彼女は身を任せ、妊娠する。彼女は結婚を彼に求めたが、男は逃げたのだ。しかし、外の世界を知らない彼女は逃げる事も出来ない。
 かつての日本で嫁入り前で妊娠した娘は勘当だったが、シスヨルダンでは立派な「名誉の殺人」の対象となる。スアドは義兄(姉の夫)にガソリンをかけられ、生きながら火に焼かれてしまう。苦しさに走り出した彼女だが、その結果助かる事になる。

  全身に及ぶ火傷で瀕死状態になった彼女の入院先に母親が訪ねて来る。見舞いではなく、娘が生きていれば家族に迷惑がかかると、毒入りの水を飲ませる為だ が、間一髪のところ医師に阻止される。彼女の話を聞いた欧州の福祉団体で働く女性により村から救出され、西洋に渡り20回以上の手術を経て奇跡に助かる。 彼女は西洋で新たな人生を送り、夫と子供2人も得る。彼女が最初に身ごもった子供も、火傷で中東の病院に入院中7ケ月の早産で生まれながら、やはり福祉団 体の同じ女性が手を回し、欧州に養子として引き取る手配をする。離れ離れに暮らしていた母子も、息子が成人した後で再会を果たす。

 スアドは本名でなく偽名で、仮面を付けているのは彼女の親族が遠い西欧まで殺害しに来る可能性があるからだ。実際欧州に逃れた女性が何年も経て、親族の男に殺される例も珍しくない。「名誉の殺人」なのだし、殺した男は罪どころか英雄となるのが「普通」なのだ。
  ちなみにコーランには不義の疑いがある女は殺せとは書いてない。24章4節「貞節な女を非難して4名の証人を上げられない者には、80回の鞭打ちを加えな さい。決してこんな者の証言を受け入れてはならない。かれらは主の掟に背く者たちである」、24章23節も「無分別に貞節な信者の女を中傷する者は、現世 でも来世でもきっと呪われよう。かれらは厳しい懲罰を受けるであろう」とある。

 この本に比べると、以前読んだ『女盗賊プーラン』 は復讐自伝のように思えてくる。プーランを虐待したのは従兄弟の1人を除き全て赤の他人であり、彼女の父は弱いが優しい男だった。娘が従兄弟に復讐しよう とするのを必死に止めるほど。スアドとプーランは同じ年頃であるが、前者の家庭の方がずっと経済的に豊かだ。「名誉の殺人」被害者でありながら顔を隠さね ばならないスアドと、盗賊首領で国会議員にもなったプーラン。アラブとインドの違いか。


最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
サティー (便造)
2005-11-26 11:32:16
インドには「サティー」という風習がありましたね。

夫に先立たれると、未亡人もその火葬の中で焼身しなければならないという。



確かヴィヴェーカーナンダのお姉さんの一人もサティーの犠牲者で、ヴィヴェーカーナンダは、その不条理な悪習に、激しい憤りを感じたらしいです。
返信する
因習 (mugi)
2005-11-26 22:18:29
こんばんは、便造さん。



ヴィヴェーカーナンダの姉もサティーの犠牲者だったのですか!

「近代インドの父」と呼ばれるラーム・モーハン・ローイの20年に及ぶ粘り強い運動により、1829年にベンガル総督ウィリアム・ベンティンクが正統派ヒンドゥーの脅迫を退けサティー禁止の決断を下したのですが、やはりその後も続いていたでしょうね。ローイの義姉もサティーで殉死しており、それが運動のきっかけだったとか。ローイはバラモンですが、保守派の脅しに屈しなかったそうです。
返信する
Unknown (hide)
2006-02-17 18:39:19
こんにちわ♪TBありがとうございました☆

この本すごかったですね・・・読み続けるのに

勇気と根性がいりました。日本人から見れば

ありえない世界ですね・・難しいでしょうが

スアドの勇気を無駄にしないためにも変わって

欲しいですね♪
返信する
コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-02-17 21:41:48
初めまして、hideさん。



私はイスラムに関心があり、以前から「名誉の殺人」は知ってましたが、その被害者の告白には言葉もなかったです。

特にこの種の殺人が多いのがパキスタンで、「家の名誉を汚す娘は殺す」と公言する男をNHK BS1特集で見たことがあります。

この惨い因習が早くなくなってほしいものですが・・・
返信する
痛ましいニュース (Mars)
2007-05-07 19:21:35
こんばんは、mugiさん。

mugiさんのブログで、ご紹介いただきましたので、「名誉の殺人」を存じておりましたが。
実際に起こるとなると、やはり、憤懣やるせない気持ちになりますね。
そして、更に酷いのは、その殺人風景を撮った動画を、ネット公開したことです。

我が国は、中東諸国より、石油を輸入しておりますが、それだけに、複雑な思いにさせます。
(多様な価値観や、宗教(宗狂?)を受け入れる事の難しさと虚しさを感じました。)

ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/968947.html

追伸、
フランスの新大統領には、あのサルコジ氏が当選したとか。これからは、どうなるのでしょうね??
(サルコジ氏に反対する、サヨ団体の集会は、多くの車への放火等、暴動になったそうですね。
民主主義を否定し、暴力に走るのは、洋の東西を問わないのですね。)
返信する
棄教者には死を (mugi)
2007-05-07 22:01:11
こんばんは、Marsさん。

紹介されましたニュースですが、クルド人少女はイスラムに改宗して殺害されたなら、元はどの宗教の信者だったのでしょうね?
キリスト教の可能性が高いと思われますが、中世なら欧州も異端者や魔女を火炙りにしていました。現代日本人には理解し難いですが(する必要もなし)、棄教者には死を!が一神教では珍しくありません。まさに宗狂そのもの。

サルコジは中国贔屓で、「相撲は知的なスポーツとは言えない」と発言したこともあるとか。それが気がかりですね。
左翼が暴力路線なのは、相変わらずです。
返信する
バカ正直者 (Mars)
2007-05-07 23:02:34
こんばんは、mugiさん。

かのアインシュタイン博士は、以下のようなコメントをしたそうです。
「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」
ある意味では、正しい(宗教的正義が無ければ、科学は暴走するでしょうし(人造人間等)、科学なき宗教は「名誉の殺人」等の暴行にも盲目)のでしょうけど、宗教+科学=大量殺戮もありですね(核や化学兵器等)。
それも、宗教的正義であれば、大量殺戮も罪でもなんでもないですね。

日本人の精神年齢は、小学生以下のようで、かの国のように、選挙結果に不満で、暴動を起こすまでの成熟した民主主義国家ではないでしょうね。
そして、日本以上に成熟した国家が、日本人以上に、義理もマナーもパクリも成熟した、我が兄の国と仲良くなるのでしたら、弟の国家は何もいいません。
(ただ悪趣味と、戦争になっても、勝者にお○を開く国民性と、近年までク○を放置していた文化に、倭国国民として、尊敬いたします。)

それでも、国際法も条約も守らない国家に、尻尾を振る日本人も少なくないようで。
いつになったら、日本領事館は修復されるのでしょうね。
(それも、修復だけでなく、謝罪と賠償、教科書への記述もなければ、日本人としては、感化しえないのですが。
それも、あの事件で怪我をした、同胞日本人が200万人もいる以上、謝罪と賠償を求めましょうか?)
※来年には、あの事件で怪我をした、同胞日本人は2000万となる予定です。
返信する
オリエンタリズム (mugi)
2007-05-08 21:28:33
こんばんは、Marsさん。

殆どの宗教は科学を売り物にする傾向がありますが、同時に科学を去勢する面もあります(例:中世欧州、現代イスラム)。
「名誉の殺人」も、現世で厳罰にしておれば、あの世での刑が軽減されるという「科学なき宗教」に基づいてます。そもそも来世など、科学的に証明できないから、「宗教」となりえますが。

欧米知識人はオリエンタリズムゆえ、未だに中国崇拝者が少なくないのです。
で、欧米に渡った中国系移民が暴動を起こしても、肩をすぼめて何も言わず、逆に差別する現地人に問題ありとする。リッチな知識人自体が直接移民と隣りあわせで生活してませんから。オランダの惨状は他人事ではありません。
http://musume80.exblog.jp/1326745

宮城県前知事のように、「隣国の悪口を言ってはいけない」と、能天気な政治屋が大手を振っているのは嘆かわしいことです。
地元新聞(河北新報)も「隣国との友好」を強調。せめて別の新聞に変えたいですが、家族の反対で出来ません。
返信する
残酷な・・・・ (マヤ)
2015-05-18 03:48:14
国連が介入しても、名誉の殺人をして英雄に成るらしい。
殺人罪に成らない国は不要品だよ。

失礼な言い方をすると、男と同じ位に働けと、言うなら許せるけど男は仕事もしないから貧富の差が有る。
日本も女性を大事しない会社は何時の間にか潰れてるよね。
よく潰れずに存在して居るね。
早く理不尽な事だから刑罰が有ると良いと思う。
返信する
Re:残酷な・・・・ (mugi)
2015-05-18 21:44:53
>マヤ氏、

 イスラム主義者にとって、国連なんぞユダヤの出先機関だからね。国際法などクソ以下だし、シャリーアこそ唯一の神聖な法。だから名誉の殺人を実行した家長は英雄なのさ。

 しかし貴方が安易に、「殺人罪に成らない国は不要品」と言ったところで、第三世界はそんな国が殆ど。むしろ全世界では日本や欧米のような国が少数派なのを分っているのか?記事にしたようにイスラム圏でも女児間引きが行われているが、これが大っぴらなのが中国とインド。もちろん国連による女児間引きへの非難決議は、中印がタックを組んで葬る。これが国連の実態。

>>日本も女性を大事しない会社は何時の間にか潰れてるよね。

 日本に限らず、女を大事にする会社は欧米でも至って少ないよ。欧米も貧富の差が激しいことくらい、知っているはず。女を名ばかりの管理職にして、わが社は女性を活用しています…の類の宣伝をしているが、実権を握るのは男やその息のかかった女だったり。
 所謂グローバル企業など、その典型。少しでも安い賃金を求め、第三世界に進出。そんな企業を讃えるマスゴミ。男も大事にしない企業こそが儲かるから、問題の根は深い。

 ちなみに中世のイスラム世界は文明の最先端をいっていた。今では信じられないだろうが、教育を受けた女も珍しくなかった。対照的に西欧は野蛮な後進地域。近代までは魔女狩りが普通だったな。
返信する