ロシアのウクライナ侵攻により、護憲・非核三原則墨守派には動揺が広がっているようだ。5月10日付の河北新報の19面に、県原爆被害者の会と核兵器廃絶ネットワークが記者会見した記事が載っていた。見出しは「核兵器使用絶対許さず」、以下は記事全文。
―ロシアのウクライナ侵攻を受け、県原爆被害者の会と核兵器廃絶ネットワークみやぎが9日、抗議声明を発表し、「唯一の戦争被爆国の国民として黙っていることはできない。核兵器の威嚇や使用を絶対許してはいけない」と訴えた。
県庁で記者会見した県原爆被害者の会の木村緋紗子会長(85)は「8歳の時に広島で被爆し、父親を亡くした。死んだ父の体に湧くうじ虫を取り続けた。あの時の私と同じ思いをさせたくない」と声を震わせた。
国内で敵基地攻撃能力や核共有の議論が起きる現状について、木村会長は「戦後の日本が平和に暮らしてこられたのは憲法九条と非核三原則のおかげ。国民を守るためにこそ、核兵器を持つことは許されない」と指摘。平和外交と核兵器廃絶の重要性を強く呼びかけた。
宮城県庁で記者会見をする木村会長の写真が載っていたが、先ずピンクに染めた毛髪が印象的な老女だった。まるでSFアニメのヒロインのような薄めのピンク色で、それに合わせたのかマスクもピンク。対照的にシャツとカーディガンはモノクロとなかなかお洒落。
老齢でもピンク色に髪を染色するのは自由だが、髪を紫に染め、全く当たらぬ景気予測を繰り返していた経済学者の女や、不自然な赤い髪のフェミニスト社会学者もいる。そのためか、派手な色に髪を染めた老女にはあまり好印象がない。
木村会長の声明も私には世迷言の一言だった。核兵器の威嚇や使用を絶対許してはいけない、などと言ったところで核保有国が受け入れる保証変らぬ思考停止的平和論はウンザリさせられる。
ただ、被爆者と強調し、死んだ父の体に湧くうじ虫を取り続けたという体験談はインパクトがある。大抵の日本女性、特に未成年にはショッキングに感じるはず。本人もそれを意図して、体験談を繰り返しているのだろう。
尤も私のようなへそ曲がり歴女は特に衝撃的ではなかった。一家全滅で遺体に湧いたうじ虫を取ってくれる遺族もなかった人々も多かったのだから、木村会長の場合はまだマシだった。
写真で見ただけだが、私は高校時代に無数のうじ虫が湧いた遺体を見たことがある。うじ虫を取ってくれる人もなく、多数の遺体が水辺に打ち捨てられていた。場所は日本ではなく、ポル・ポト政権下のカンボジア。いわゆるキリング・フィールドでの大惨事である。
この写真が載った本のタイトルは忘れてしまったが、著者は日本人で、原始共産制下におけるカンボジアの悲劇を取材していた。
悲惨なのは股の間に棒を打ち込まれた遺体が幾つもあり、これまた無数のうじ虫が湧いていた。これを見た時まさか……と思ったが、解説によればこの種の遺体は女性だったそうで、私の予想は残念ながら当たっていた。写真がカラーではなかったことだけは救いだったが。
このカンボジアの共産体制を「アジア的優しさ」と呼んだのこそ、朝日新聞記者の和田俊。和田の当時の記事を紹介したブログ記事があり、記事には和田は現地でなく東京の朝日新聞本社で書いた事が載っている。和田は92年10月~96年3月まで、テレビ朝日の人気報道番組「ニュースステーション」のコメンテーターを務めていた。
ブログ主は「「平和」を唱えると、うまい世渡りができると踏んでいる元朝日新聞記者のずる賢さに嫌悪を覚える」と述べているが、共感した方は少なくないだろう。
とかく被爆者をはじめ平和団体は原爆投下を唯一無二の悲劇と見ているが、敵国から原爆投下されるよりも、同国人の狂信的共産主義組織により虐殺されたカンボジア人の方がより悲劇ではないか?
そして反核団体は米国の軍拡及び核実験は非難しても、中露のそれは全く触れなかった。反核団体の決まり文句はこう。
「世界一の核兵器大国は米国であり、米国の軍拡が核拡散をもたらした。だから、真っ先に批判されるべきは米国である」。
2013年8月6日、イスラエルの高官ダニエル・シーマンは広島の原爆追悼式典を、「日本による侵略行為の報いだ。独り善がりの追悼式典はうんざりだ」とフェイスブックに書き込む。シーマンの意見だけが特殊なのではなく、残念ながらこれが世界共通の認識である。表面では同情しても、腹ではザマミロと思っている方が多いことを日本人は認められないらしい。
過去記事「核の傘」でも書いたが、1998年5月、パキスタンはイスラム圏初の核実験を行ったが、当時の首相ナワーズ・シャリーフは、日本国民向けに次のメッセージをしていた。
「広島、長崎の犠牲者には心からの哀悼の意を感じている。だが、日本が当時核を持っていたら、このような悲劇はなかっただろう」
情緒連綿たる平和論のみで国際問題を語る我国の反核団体はアホでなければ、平和主義を装った反日集団に過ぎない。「平和」を唱えると、うまい世渡りができると踏んでいるのは朝日新聞記者に留まらず、冷戦時代から共産圏は反核平和団体を支援していたことが現代では知られている。
そもそも中露や北朝鮮に何も言わない「核兵器廃絶ネットワーク」など、何の存在意義もない。厄介なのは政権与党にも、憲法九条と非核三原則の墨守を唱える政治家センセイが少なくないこと。
この先も主要メディアは総力を挙げ、国内で敵基地攻撃能力や核共有の議論が起きる動きを徹底して叩き潰そうとするだろう。メディアや平和団体が日本国民を守る意志は欠片もないのは明らかだし、お涙頂戴の体験談で食っている輩もいるのだ。
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独ソ占領下のポーランドしかり、敗戦直後も満州しかり。大量虐殺でウジまみれの死体なんぞ、ルワンダみたいに鉈で引き起こすことが可能なんですがねえ。
良くも悪くも「比較的 相対的」にまともな占領軍ににしか出会ってないからこんなこと言えるんでしょうなあ。核でもミサイルでもなんでも使って独立を守った方が法や秩序が維持されら生きやすいとは思えないんでしょうねえ。
条約、協定、覚書など、所詮は保証のない口約束であり、自国優先の原則に従えば、いつでも放棄されてしまうのです。そうなると、決して裏切らない核兵器に頼った方が、よほど安全、安心ということになります。
今回のロシアのウクライナ侵略戦争によって、やはり核兵器をもった方がいいと考える国が増えるでしょうから、核兵器廃絶など夢物語です。
占領軍も犯罪行為をしていたにせよ、あれでも「比較的 相対的」にまともなレベルでしょう。しかし、それを認めたら反核平和運動は出来ません。あれは反米活動の一種でもありますから。
部族紛争も悲惨ですが、内戦や共産主義体制下の粛清はさらに恐ろしい。同じ民族が宗派に分かれて殺し合えば戦争終結後でも怨念は消えません。ウクライナでも既にロシア系の親戚とは断絶状態になっているとか。
シナでは政府高官以下無名のネット民でも、「国際条約など紙きれ」と言っています。むしろ正直だし、表向きは誠意あふれる口約束をしても、いざとなれば自国優先であっさり反故にします。
核兵器廃絶を訴えている連中は現実を直視できない夢想家でなければ、何処かの工作員でしょう。