トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

スタジアム清掃活動について思うこと

2022-11-27 21:10:07 | 世相(日本)

 ここ暫くのスポーツニュースは、ワールドカップが中心となっている。サッカーは元から関心がないし、どうせ負けると思っていたから日独戦も見なかったが、結果は予想だにしなかった勝利。私も一日本人なので、母国が強豪チームに勝つのは嬉しい。
「日本とドイツのサッカー協会の差を見せつけられちゃうし、日本代表は勝っちゃうしで、残念というほかない」とツイートした日本共産党の中野区議会議員・羽鳥大輔のような者もいたが、元から骨の髄まで反日種族の共産党。ツイッターで改めてその本性が可視化されたのは大いに結構なことだ。

 そしてWCに限らないが、昨今の国際スポーツ競技では日本人サポーターによるスタジアム清掃活動が当たり前に行われるようになってきた。日本人サポーターの清掃活動は国内外ともに概ね好評だ。もちろんこれにも、前東京都知事・舛添要一やに大王製紙元会長の井川意高などが非難、後者に至っては、「ゴミ拾い褒められて喜ぶ奴隷根性」とまで腐していたことを報道したニュースサイトもある。
 会社のカネを私的なギャンブルに使い、それを制止できなかった奴隷根性の大王製紙重役連の件はさておき、実は私もスタジアム清掃活動について、あまり感心しない。国内のスタジアム清掃活動ならば問題ないが、海外となると考えモノと思っている。

 清掃活動自体は善行だし、日本人サポーターは外国人から褒められたくてゴミ拾いをしているのではないと思う。海外からの称賛に喜んでいる日本人の大半は、スタジアムでの清掃活動をしたことのないかもしれない。私自身、何かのスポーツのサポーターになったこともなく、スポーツ施設での清掃などしたことがない。それでも日本人に限らず、褒められれば嬉しくなるのが人間の性だろう。
 ただ舛添が述べたように、身分制社会などでは分業が徹底しており、文化や社会構成の違いから来る価値観の相違は現実にある。例えばインドでは清掃作業は低カースト層のものと決まっていて、清掃作業員は感謝されるどころか、徹底して蔑視される。実家はクリーニング業といえば、例え日本人でもたちまち侮蔑されるのが普通だ。尤もこのような社会が良いとは思わないし、この先もインドは変わらないだろう。

 毎回日本人が海外で清掃活動をしていると、何時しかそれが当たり前になり、感謝の念も薄れていく。清掃なら日本人に任せておけばいい、連中なら何時もタダでやってくれるから……と考えるようになる外国人も出てくるのが気がかりだ。これぞタダ働きの奴隷ではないか。口には出さずとも、基本的に異教徒は己に奉仕するために存在していると考えている外国人は少なくないのだから。
 元から日本では清掃や整理整頓を好む社会背景があるはず。中には汚部屋の方が落ち着くと感じる日本人もいるにせよ、異様に清掃を好み、街には塵ひとつない国の方が世界的には少数なのだ。海外、特に第三世界では日本のような清掃は根付かないだろう。

 20年近く前だったが、宮城県北部の栗原郡出身の職場の上司から興味深い話を聞いたことがある。上司の祖父母は皇居の清掃に参加したことがあるというのだ。その時は東北新幹線も開通しておらず、栗原から上京するだけで数時間はかかったはず。しかもお足代も出ず、自主的に清掃に参加したというだけで驚いた。
 皇居で行われる清掃や除草のボランティア活動を「皇居勤労奉仕」といい、交通費や宿泊代は自腹という。「1945年(昭和20年)12月、東京大空襲による宮殿の焼け跡の片付けをしたいと宮城県栗原郡の青年団60人が宮内省に申し出て、3日間焼け跡の整理に当たったのが最初とされている」(wiki)から、元から日本人には清掃好きの遺伝子でもあるのやら。

『五体不満足』で一躍有名となった乙武洋匡氏は、不倫が発覚する前から清掃ボランティアを行っており、その様子を動画で見たことがある。障碍者でもちゃんと清掃ができることをアピールする目的だったろうが、いかにも善行の見世物といった感じで不快だった。介護人付で清掃ボランティアをするのは勝手だが、やはり清掃作業は日本人一般に受けるようだ。

 ちなみに私は清掃ボランティアはしたことがない。町内会の清掃活動なら毎回ではなくとも参加しているが、これはボランティアには含まれないかもしれない。他の町内会は不明だが、私の属する町内会では清掃作業の後、500mlベットボトルのお茶を渡している。百円もしないペットボトル飲料をもらっている時点で、有料作業だった。

◆関連記事:「ドイツ国歌と死刑
勝てばドイツ人、負ければ移民

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る