トーキング・マイノリティ

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専門分野で間違える専門家たち その一

2021-01-12 22:00:28 | マスコミ、ネット

 オールドメディアに懐疑的なネットユーザーも、新聞やТVに登場する専門家の発言は概ね正しいと思うだろう。しかし、その“専門家”には、専門分野のはずの事柄に意図的または無知としか思えない記述が見られることがある。
 そんな“専門家”のコラムが昨日の河北新報に載った。昨日に相応しく「成人の日に寄せて」というタイトルで、寄稿者はドリアン助川。コラムにはタイトルよりも大きく「失敗恐れず自分の舞台に」という見出しがついており、コラムのはじめを引用したい。

大学でのボクの授業のひとつに「音楽産業と文化」がある。1960年代のザ・ビートルズからヒップホップの先端を行くケンドリック・ラマーまで、綺羅星のごとくアーティストたちが講義に登場する。
 階級社会の壁をぶち壊してはい上がってきたザ・ビートルズや、米国公民権運動と共にあったボブ・ディラン、性的マイノリティーへの理解が足りなかった時代にバイセクシャルであることを歌でカミングアウトしたフレディ・マーキュリー。男性が勝手につくり上げてきた女性シンガー像を見事に破壊して見せたパティ・スミス。学生たちは彼ら彼女らのライブ映像にくぎ付けになり、「この人はすごい」「憧れます。かっこいいです」とレポートに書いてくる……

 コラム脇にはドリアン助川の経歴が載っていて、「作家、歌手、明治学院大国際学部教授。1962年生まれ。94年にバンド「叫ぶ詩人の会」のボーカルとしてデビュー。著書に「あん」や「線量計と奥の細道」(2019年、日本エッセイスト・クラブ賞)など」とある。
 それにしてもコラムの冒頭を見ただけで、今時の有名大学の“国際学部”ではこのような授業をしていたことに驚いた。国際学講義というよりも、過去に活躍した欧米ロックミュージシャンの知識と映像を見るのが“授業”らしい。現代音楽部なら話は別だが、このような内容は趣味の分野に過ぎず、こういうことまで大学で教えなければならないのか、と感じた。

 但し、この現象は日本の大学に留まらずイタリアも同じようであり、2012-09-14付の記事でも紹介した塩野七生さんの意見を再び引用する。
大学とは意外にも、既得権に安住している人々の巣(ねぐら)でもある。また、そこで教えるテーマも、こういうことまで大学で教えなければならないのか、と思うくらいだが、これもまた、研究の自由という錦の御旗を掲げてきた結果に違いない

 助川のコラムは冒頭からツッコミ満載だった。彼は男性が勝手につくり上げてきた女性シンガー像を見事に破壊して見せた例としてパティ・スミスを挙げているが、その先駆者ジャニス・ジョプリンをお忘れか?と言いたい。先駆者ゆえの苦悩で若死にしたジョプリンと違い、パティ・スミスは現存している。
 そしてユダヤ系のボブ・ディランが米国公民権運動と共にあったのは当然だろう。あのキング牧師もユダヤ人と共に活動をしていた映像が載っているブログ記事もある。黒人を体よく利用していたのだ。

 しかし、「性的マイノリティーへの理解が足りなかった時代にバイセクシャルであることを歌でカミングアウトしたフレディ・マーキュリー」の個所に、クイーン&フレディファンの端くれである私は不快よりも強い怒りを覚えた。
 結論から言って、この箇所は完全な誤り。生前のフレディはバイセクシャルであることを歌でカミングアウトしたことはなかった。せいぜい“ほのめかし”くらいで、歌でもインタビューでも自分はバイセクシャルと言ったことはない。1962年生まれの助川なら現役でクイーンを聴いた世代で、それを知らないとは言わせない。この歌手上がりの教授殿は、現代主流のLGBTに合わせた歪曲を若い世代に教えているのか?

 昨今は名曲「ボヘミアン・ラプソディ」は、実はフレディがバイセクシャルであることをカミングアウトした歌という解釈が広まっているが、曲解と強引なこじ付けにしか思えない。
 カミングアウト説が広まったのは、『フレディ・マーキュリー/孤独な道化』(ヤマハミュージック)の影響が大だろう。著者レスリー・アン・ジョーンズは英国の元ロック・ジャーナリストだが、ゾロアスター教や日本についてもおかしなことを書いていたのは気になる。さらにフレディ自身、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞への説明は断固として拒否していた。

 バンドメンバーのブライアン・メイはインタビューで、この曲について次の様に語っており、同業者の意見の方がより真実に近いのではないか。
答えは決して分からないと思うし、分かっていても僕は教えないと思うよ。自分の曲がどういう意味かなんて、当然、僕は人に教えたりしない。教えてしまうのはある意味歌を壊してしまうことだと思うんだ。優れた曲というのは、自分の人生で起こった個人的な出来事に引きつけて、自分なりに解釈できるから優れているのだから。
その二に続く

◆関連記事:「フレディ・マーキュリー/孤独な道化

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