トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

E婆へのブログ論評 その一

2022-12-18 21:30:35 | マスコミ、ネット

E婆のブログ寸評』というブログがある。サブタイトルには「あるときは厳しくあるときは優しく F爺さんを叱咤激励」とある通り、全篇F爺こと小島剛一のブログ記事への寸評である。『E婆のブログ寸評』では取り上げたF爺の記事全てを10点満点で得点を付けている。10点満点の時はあまりなく、多いのは7点か9点、時々0点さえつけるという寸評だった。
 有料サイトなら多少事情は違うにせよ、無料で読めるブログに点数をつけており、実に無礼千万な寸評にしか感じなかった。E婆が何歳かは不明だが、仮にF爺より年長だったとしても面識のない者に叱咤激励するのも失礼である。
 尤も対象にされているのが罵詈雑言が生甲斐となっているあのF爺なので、同情は全く感じない。そこで私もE婆のブログを論評することにした。

 E婆のブログは開始が2018年3月8日、撤退が同年大晦日の期間で現代載っている全記事数は26に過ぎない。最初の記事は開設の挨拶もなく、いきなりブログ寸評で始まるという異様なものだった。私自身、開設の挨拶なしで読書感想を書いたので人のことは言えないが、このようなブログを始めたE婆とはいったいどのような人物なのか?

 余所様のブログ寸評をするのは結構だが、不可解なのはその姿勢。3月に開始したものの、この年の夏の一時期は記事は非公開扱いで読めない状態だった。ブログを閉鎖したのではなく、トップは見れても記事自体は読めない。
 夏の一時非公開の後、記事全てが公開され読めるようになったが、2018年に撤退してからはまたも記事は非公開となる。その後は一部の記事が公開されたり、再び全記事非公開と一貫しない。そのくせブログ自体は閉鎖せず、トップだけが見れる状態がしばらく続いていた。

 コメント非許可なのにある時は一部公開、別の時は全記事非公開するのは極めてご都合主義ではないか。昨年のひろゆき論争時は公開していたようだが、今年8月は再び全非公開扱いに変わっていた。そして最近は全公開と目まぐるしく変わるのは、半端で宙ぶらりんなスタイルで不快。

 私的にはそれより不愉快で腹立たしいのは、元から思い込みの強いF爺が根拠なくmugi=E婆と言い出した時、E婆がそれを全く否定しなかったこと。E婆はmugi=E婆論を展開した記事には一言「何てこと!」と言っただけで、寸評記事は現代削除している。
 それを受け、F爺支持者の匿名コメンターも、「「ブログ主が『標本M』である」という小島様の推測に対しては、一切反論していませんでした。」と書込んでいる
それから現代に至るまでF爺は私をE婆と同一人物と妄信、標本M=標本E論を書き連ねている。
 削除されたE婆の記事は他にもあり、5月には少なくとも数本の記事をアップしていたはずだが、これも削除されている。撤退後の記事非公開になった際、ネット検索で残っていた一部文章は保管したので、うち4本を挙げる。

2018/05/09 - 黛まどか」は〈一時間で上り坂を…… もう読むのが苦痛。この寸評を書くためだけに読むことの愚かなことよ。アンケートなんていうけど、F爺さん、あなた、自分の考えに賛同してもらいたいだけでしょ。0点。 またいつもの面々が次々に ...

2018/05/15 - 黛まどか」: 実在の疑わしい「欧米人巡礼仲間」。 もうやめてください、小島先生。早く言語学領域に戻ってください。0点(10点満点)

2018/05/18 - 数々の矛盾を曝して平気な「黛まどか」。 0点。そろそろ終わりでしょうか。小島剛一氏は、これまで認識していたよりも遥かに執拗な人であることが分かりました。

2018/05/21 - 黛まどか」は本当に遍路宿「山茶花」に泊まったのか。 嫌味ばかりの文章です。読むに堪えません。0点。小島剛一さんは、他人の粗探しのまえに、自分のウソについて清算しなけりゃいけません。だいたい、こういう文章は、熟読しないと書け ...

 E婆のダンマリを見た時、思わずこの腐れ婆!と毒づいた。尤も私自身も還暦にちかい婆だが、この女も相当な食わせ物だ。倫理観を振りかざしF爺を説教している女が、F爺の決めつけにはダンマリを決め込み、私に成りすますことに決めたようだ。

 記事「「小島剛一」の小さなミスと大きな嘘と信頼失墜」でE婆は、「小島剛一という言語学者に注目するきっかけは「トーキング・マイノリティ」というサイトの記事でした。2017年11月から12月にかけてです。」と述べていたが、F爺に言わせれば、ここのような「閑古鳥ブログ」が注目するきっかけになったとは極めて不自然。元からF爺をウオッチングしていたと見るのが自然だろう。
 E婆はプロフィールに「だれかが捨て石にならなきゃ」と書いているが、己が捨て石になる気はなかったらしい。E婆は撤退するまでブログで、私とmugiさんは別人であると一切言わず、私を捨て石にしたのだ。

 尤もネットには様々な解釈をする人がいるものだと感心させられた。昨年のひろゆき騒動で、掲示板には何とE婆とF爺が同一人物と見る書込みすらあったので一部引用する。

438名無しさん@恐縮です2021/07/13(火) 22:24:08.36ID:b5n/EYK+0>>451>>455
>>412
F爺の暇つぶしキャラだったら怖いわ

513名無しさん@恐縮です2021/07/13(火) 22:52:56.52ID:yHx0aOeN0
E婆って…これ、小島の自作自演やろwww
その二に続く

◆関連記事:「トルコのもう一つの顔

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