トーキング・マイノリティ

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アジア主義の悲劇 その①

2009-10-29 21:20:31 | 読書/日本史

 先日、第一次大戦敗戦後のトルコを描いた歴史小説『トルコ狂乱』を読了し、つい、日本の戦争過程と重ね合わせてしまった。もちろん状況や時代、背景の全く異なる日本とトルコを比較するのはナンセンスだし、“戦後処理”も日土では対照的である。しかし、戦争に至る経過では似ている点もあり、日本がアジア主義を掲げ戦争に突入したように、トルコもまたある種のアジア主義である「汎イスラム主義」を掲げ、亡国寸前に追い込まれている。

 あの戦争について、日本の知識人が夥しい書や論文を書いている。その見解はそれぞれ異なるにせよ、概ね反省論と弁護論に二分されている。それらの戦争関連書の中で、私がいちばん共感したのが高坂正堯氏のエッセイだった。高坂氏は『世界史の中から考える』(新潮選書)で、実に興味深い分析をしていた。「日本政治史から考える」というテーマで、「何故、日本は大失敗したのか」「英米への反発が招いた悲劇」「アジア主義はなぜ生まれたのか」と3回に亘り、考察を試みている。特に「何故、日本は大失敗したのか」の冒頭に、パターン化した安易な反省論に心底ウンザリしていた私は感銘を受けたので、その箇所を紹介したい。

明治維新に始まる近代日本の政治は太平洋戦争と敗戦に集約される。別の視点はもちろん可能だし、望ましくあるかも知れないが、私のように国際政治を学ぶ者はどうしても、そうして視点から見るし、このシリーズでもそうしてきた。だから、このシリーズを終えるにあたって、太平洋戦争の過程をまとめておくことにしよう。何故、無謀でもあり、正当性の乏しい戦争をしてしまったのか。

 ここで、まず断わっておきたいのは、私はいわゆる戦争への反省論をするつもりはないということである。私は特に日本における反省論にはなぜか反発してしまう。それというのは、そうした論者には自分とは無関係の体制や国民について語っているようなところがあるからである。それでは反省にはならないし、歴史から教訓を学ぶことも出来ない。
 まず、私は体制が変われば全てが変わるという考え方に反対である。そのように巧くいくはずはない。ずいぶん長い歴史を持つ人間が同じところに住んでいる以上、変わらないものも多いはずだからである。それに、種々の資料から判断する限り、戦後の日本人が立派な存在になったとはとても思えないのである。また、戦前の日本人はそれなりに立派な人々を含んでいたし、彼らは真面目に考え、悩みもした。しかし、その結果は惨憺たるものになってしまったのである。

 したがって、彼らが過ちを犯すようになった素質は、我々の中にもない訳ではない、と考えるべきであろう。さらに言えば、今日の我々と無縁ではなく、承認するのが嫌な体質のようなものを捜し求めて反省するのでなければ、真の反省にはなりえない。そして、人間の常として、それは我々の美徳とも繋がっているのである。
 そうした体質を軍国主義と要約することにも私は反対である。それが日本人の特質であるという見方は、歴史を知らない者しか持ちえない。逆の見方が外国人の口からも発せられてもいるのである…

 高坂氏はその根拠として、19世紀はじめ来日、日本に拘禁され、その体験を書いたロシア海軍士官ゴローニンの『日本幽囚記』を引用する。ゴローニンは日本人の礼儀正しさと、平均的知識水準の高さに感銘を受け、平均値は彼の国より高いとしながらも、“巨人”は見受けられない、と鋭い指摘もしていた。彼が日本人の欠点と考えたのは、「臆病」であり、こう記している。
-我々が美徳の一つに考えている資質のうち、現代日本人に欠けているものがひとつだけある。それは我々が剛毅、勇気、果断と称するものであり、また時には男らしさというものである…

 つまり、江戸時代末期の日本人は軍国主義と逆で「臆病」だったのだ。続いてその背景をゴローニンは書く。
しかし、彼らが臆病であるとしても、それは日本の統治の平和希求的な性質によるものであり、この国民が戦争をしないで享受してきた永い間の太平のためである。いやむしろ流血の惨事に慣れていないためだと言ったほうがよかろう。
その②に続く

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