トーキング・マイノリティ

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西部警察最終回

2017-06-24 21:40:12 | 音楽、TV、観劇

 名作刑事ドラマ『西部警察』の最終回を先日見た。視聴率25.2%を記録したといわれる最終回「大門死す!~男達よ永遠に…」をNHK BSプレミアムが完全放送。放送日は6月21日の午後9時9分~同11時30分。NHKのPRサイトでは、ドラマをこう紹介している。
伝説の刑事ドラマ「西部警察」。1979~1984年に放送され、毎回、ド派手なカーアクションや銃撃戦、爆破シーンが登場しました。なんと、壊した車両の台数は約4,680台、封鎖した道路は40,500か所、使用されたガソリンの量は12,000リットルだそうで……すごすぎです!

 特にド派手な爆破シーンが圧巻だった西部警察だが、費やした車両数やガソリン量を今回初めて知った。他にもアクションやカーチェイスは映画並みの迫力、これ等が楽しみで毎週観ていた方が多かった。そして私と同じく、このドラマを懐かしく観た中高年世代もいただろう。
 当然、制作費もかさんだが、wikiに見る制作費とその捻出方法は興味深い。「石原プロは番組の長期ヒットに伴い、30億円の資産を形成したという」ほど。

 西部警察は刑事ドラマとしても異色な日本全国縦断ロケという大規模な地方ロケを行なっている。私的には最も記憶に残っているのは、やはり地元が舞台となった第9弾:仙台西部警察PARTⅢ第32話「杜の都・激震!!」と第33話「仙台爆破計画」の前後篇シリーズだった。後篇のタイトル通り、製造した核爆弾を爆破させ、仙台を壊滅しようとするテロリストと大門軍団の戦い。
 テロリストが当時最盛期だった地元スーパー、エンドーチェーンのサテライトスタジオから、高名な原子物理学者とその息子を誘拐(当時、拉致という言葉は一般的でなかった)という設定は強引だが、このスーパーは協賛企業でもあったのだ。見慣れたはずの街の風景がドラマを通して映ると、また印象が違ってくる。

ロケ地巡り仙台篇「弐」」というブログ記事には、ロケされた場の当時と現代を並べた画像が載っている。ロケされたのが1983年8月25日~9月3日ということもあり、ロケ地の風景は全て異なってしまったのは感慨深い。有難いことに仙台爆破計画のカーチェイスシーンをアップした動画まであったが、次のコメントには思わず笑ってしまった。
「国道45号を一時封鎖! (日産サニー宮城本社前のシーン) 現在の交通量では考えられません…」


 最終回「大門死す!~男達よ永遠に…」は、やはり完結篇に相応しい作品であり、最高の出来だと思う。最終回を見ていたはずなのに、何故かシーンの殆どは忘れてしまった。13年ぶりに観直し、これほどの傑作刑事ドラマがかつて放送されていたことに改めて感服させられる。最終回を取り上げたブログ記事によれば、敵側の「要塞の製作費が3,000万、爆破費用がなんと5,000万、この作品の総製作費はなんと…数億円!!」とか。
 1984年当時の風俗も興味深い。当時、街を歩く女性の大半はスカート姿で、パンツスタイルはまず見かけない。大門のアパートには緑色の冷蔵庫が置かれていたが、緑色の冷蔵庫はかつて我が家でも使っていた。事務所ではまだまだダイヤル電話が使われており、ボンネットミラーの車も結構多かった。

 大門軍団最強の敵役・藤崎に扮したのが原田芳雄、ふてぶてしく冷酷なテロリストを好演していた。藤崎率いるテログループと対決する前、返上された大門軍団の警察手帳を見た佐川係長のシーンも印象的。何時も「大門くん」、と小言ばかり並べる小心な中間管理職のイメージが強かったが、誰もいない職場で、「何故私にだけ知らせてくれなかったんです?私だって……」と男泣きするのだ。
 ラストで大門は藤崎と相討ちになるかたちになると思いきや、大門のとどめを刺したのが藤崎の情婦だった。情婦の放った銃弾が大門の心臓を打ち抜く。仲間たちへの大門の最後の言葉も泣ける。
「みんなと…デカをやれてよかった…ありがとう…さむい…」

 事件解決後、テロリストの要求総てを呑んでいた警察上層部に対し、木暮課長は今後誰かに事件を伝えるようなことがあれば、こう伝えるように言う。
「日本を救ったのはあなた方でもなければ我々警察でもない、大門圭介という1人の男です」



 大門の遺体と1人向き合った木暮は、こう語りかけ、男泣きする。記者会見で号泣する県議員は醜悪以外の何者でもないが、普段は泣かない強い男が泣くのは様になるのだ。
「大さん…疲れたろう?だから眠ってるんだろう?違うか? 頼む…一言でいい…何とか言ってくれ…言ってくれ…言ってくれ!! 大さん俺ぁなぁ…お前さんのことを…あんたのことを弟みたいに好きだった…」

 大門の妹は木暮とメンバーが見守る中結婚するが、メンバーの1人は「男の子を産めよ」という。今ならたちまち性差別と抗議されるだろうが、1984年当時は問題ではなかったのは意味深い。
 木暮が自分と大門団長の警察手帳を海に投げ捨て、一言「さよなら…」と呟き幕となるラストシーンも素晴らしい。流れるエンディングは裕次郎の「みんな誰かを愛してる」。裕次郎も西部警察最終回から3年後、満52歳で没する。

 西部警察の主題歌は様々あるが、私は渡哲也の『日暮れ坂』が最も気に入っている。第何話かは忘れたが、負傷しつつも喫煙する大門が映っていたラストがある。こんな時わざわざ煙草を吸わずとも…と感じたが、嫌煙権が認められる前の時代なのだ。このドラマに限らず当時の刑事ものでは、ヘビースモーカーの主人公は珍しくなかった。


 80年代半ばまでは、このような硬質なドラマが制作されていたのだ。この作品のスタッフや役者はほぼ日本人だったし、ハーフや外国人が当り前に登場する今のドラマとは完全に違っている。渡哲也のような俳優は、今の日本にはもう出てこないだろう。
 ネットのない時代にせよ、視聴率は軒並み2桁代、最低時でも6.8%だったのだ。今では視聴率6.8%の番組は当り前となっている。


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2 コメント

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西武警察の時代 (Sです(笑))
2017-10-17 14:09:46
バブル前のあの時代ですね。
早く大人になりたい(大人に見られたい)セーラー服をスポーツバックに入れて私服で友達と繁華街の喫茶店に入っては雑誌見ながらビーチガールに憧れていました。でスケバンに遭遇して命からがら逃げてきたり(笑)
そんな、時代でしたね。
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Re:西武警察の時代 (mugi)
2017-10-17 22:13:36
>Sです(笑)さん、

 仰る通りバブル前、戦後日本で最も輝いていた時代だと思います。貴女の高校の制服がセーラー服だったとは羨ましい。セーラー服は仙台の公立校の制服にはなかったし、それが制定されていたのは私立校の2校だけでした。特に母校の制服はダサすぎ。そのため未だにセーラー服への憧れがあるのです。

 スケバンも実際には見たことはありません。東北の地方都市ということもありますが、ロンスカの不良は漫画やТVでしか見たことがなかった。友人と行くのは喫茶店ではなくハンガーガー屋、それが私の高校時代でした。
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