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怖い橋の物語 その一

2020-01-12 21:25:08 | 読書/ノンフィクション

『怖い橋の物語』(中野京子著、河出文庫)を先日読了したが、期待した以上に面白かった。文庫版裏表紙ではこう紹介されている。
橋は二つの異なる世界―日常と非日常、此岸と彼岸を結ぶものであり、出会いと別れの場、ドラマの生まれる舞台でもある。奇妙な橋、歴史的に大きな意味を持った橋、空想の橋、折れた橋、血なまぐさい橋、絵画に描かれた橋…そんな橋たちをめぐる、とっておきの物語を五十五話収録。

 タイトルで誤解されやすいが、不気味な橋はあっても怪奇現象と関連する“怖い橋”の話ばかりではない。初出は北海道新聞への連載で、この時の題名は『橋をめぐる物語』。これが『中野京子が語る 橋をめぐる物語』として単行本となり、本書は単行本未収録作34話を追加し、再編集・改題の上、文庫本化したもの。『怖い絵』シリーズで知られる中野氏だから、文庫本でもこのタイトルとなったようだ。
 本書は「奇」「驚」「史」「情」の順に分類され、世界の様々な橋が取り上げられる。著者がドイツ文学者ということもあり、欧州の橋の物語が多かったが、それ以外の地域の橋の物語も読ませられた。

「驚」には自殺の名所として有名な米国の金門橋が取り上げられており、その意味では確かに“怖い橋”である。ここで自殺を図る人々をテーマとしたドキュメンタリー『ザ・ブリッジ』が制作されたが、監督は自殺する人々を撮る姿勢を非難されたという。
 このドキュメンタリーには映像美すら感じさせるシーンもあり、中野氏の一言「芸術作品の美と毒については、本当に悩ましいとしか言いようがない」(94頁)は重いものがある。

「史」のはじめ「アントワネットは渡れない」にはヴァレンヌ橋が登場する。フランス国王一家が亡命を図ったヴァレンヌ事件の舞台になった僻村(へきそん)に掛かっていた橋なのだ。もしヴァレンヌ橋を渡っていたならば国王一家は亡命に成功、フランス革命も潰れていただろう。
 亡命が惨めに失敗したため、計画そのものがズサンだったと散々言われてきたが、著者は必ずしもそうではない、という。厳重な警備のもと、それぞれ部屋の違う王、王妃、王太子、王女、王妹、養育係の6人を宮殿から、さらにはパリから抜け出させただけでも、逃亡首謀者フェルゼン(本書ではこう表記)の優れた手腕がうかがえよう……と述べる。それでもかなり時間を要していたはずだが。

 著者は国王一家の正体が見破れ、橋を渡れなかった原因も二つ挙げていて、ひとつは国王が最初の宿駅でフェルゼンを切り捨てたこと。もうひとつはすっかり油断しきった王家が物見遊山気分でのんびり進み、分隊との落合場所に5時間も遅れてしまったことを指摘している。臣下を待たせても平気なのはいかにも王族らしいが、「せめてあと一時間なりと早く着いていれば、事情は全く違ったろう」と書く著者。
 先を越された宿駅長により橋にはバリケードが作られ封鎖されていた。アントワネットたちは川の手前で馬車から降ろされ、橋を渡るどころか見ることもついになかったという。

 本書には空想の橋の物語が何篇かある。私的に最も印象的だったのがイソップ物語にある「ロバを売りに行く親子」。この話にも橋が登場していて、橋の上でロバを失う羽目になる。
 親子は通りすがりの者から色々文句を言われ、それに従っても別の通りすがりに非難されるストーリーは聞いたことがあるはず。ついには長い棒にロバの足を括りつけ、逆さに担いで橋を渡ろうとする。当然ながらロバにはこんな姿勢は苦しくて堪らず、もがいて暴れる。そしてひもが外れ、ロバは川に落ちて死ぬ。親子は大損害を被ったのだ。著者の断言に共感した読者は多いだろう。

わかりやすい教訓だ。自らの内に確固たる基準を持たぬ者は、その時々の他者の意見に踊らされ流されて、結局は大切なものを失うはめになる。この親子の災厄が、運命の分岐点たる橋の上で起こったのは必然なのだ。見も知らぬ人間の無責任な言葉に翻弄されるまま、どんどん橋へ、破局へ、愚かな決断へと追い込まれていく過程には、つくづく説得力がある」(52頁)
その二に続く

◆関連記事:「ザ・ブリッジ

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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
運がなければ (スポンジ頭)
2020-01-13 12:48:18
>臣下を待たせても平気なのはいかにも王族らしいが、「せめてあと一時間なりと早く着いていれば、事情は全く違ったろう」と書く著者。

 実のところ、国王は時間に厳格な人で、なぜこの時ばかりはこんなことを仕出かしたのか理解できません。教育係に「時間を守るのは身分の高い者の行動」、と教えられていたのです。それが緊急時に物見遊山をやらかすからヴァレンヌ事件を書いたアメリカの歴史学者に「ピクニック」と評される有様ですし。食事にこだわるし…。自分が仮にその場でいたタイムトラベラーで歴史改変を考えなくていいなら、罵倒して物理的な力を使っても先に進ませるところです。運がないときはおかしな行動をする、と言う例でしょうか。変に神の加護を信じていたのかも知れません。

 …それにしても、ツヴァイクも使用したフェルセンの親族が纏めたフェルセンの日記や手紙本は今でも普通に4,500円ほどで販売されているのですが(外国の密林で販売)…。素人でも見つけられる史料なのですが…。国王一家がモンメディに到着する前にモンスにいる必要があったのですが…。国王一家がモンメディに到着したら合流する予定でしたが…。>切り捨てた

 フェルセンは1992年の10月頃にヴァレンヌ事件の失敗分析を日記中で行っており、複数の原因の一つとしてルイ十六世の行動(長居をする、顔を晒す)を「軽率」と評していますが、その場にいなかったショワズールも批判の対象になっています。また、自分が切り捨てられた、と言う話は記していません。もちろん、内心は自分がいれば成功していた、とは思ったことでしょう。ちなみに、フェルセンはショワズールの能力を低く見ており、王妃に対しても自分の考えを伝えていました。個人的には案内役の貴族の同行を取りやめ、トゥルゼル夫人を同行させたこと、一網打尽の危険を回避する為、二手に別れなかった事が大きい気がします。

 ただ、モンメディへ到着しても、コンシェルジュリーでの体調を考えると王妃はそれほど長生きはできなかったかもしれませんし、また、内戦となった場合はフェルセンの影響を受けた上で立役者となり、反動的特権階級のイメージが強くなっていたでしょう。

 ところでこの本、参考資料とか記載されていますか?
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Re:運がなければ (mugi)
2020-01-13 22:29:51
>スポンジ頭さん、

 国王が時間に厳格な人だったとは知りませんでした。にも関らず、何故このような緊急を要する時に物見遊山をする気になったのか解せません。常に窮屈な生活を強いられ、一時的に緊張がゆるんだ反動でしょうか。やはり運がなかったとしか言いようがありません。

 私は未読ですが中野氏はヴァレンヌ逃亡事件を扱った作品があり、レビューではかなりフェルセンを持ち上げているようです。本作でもフェルセンを国王が「切り捨てた」ため、逃亡は失敗したという捉え方でした。国王一家がモンメディに到着したら合流する予定には全く触れられていません。

 確かにフェルセンが同行していたら、逃亡は成功した可能性があります。中野氏も残念そうに語っていますし、切り捨てた原因のひとつに国王の嫉妬を挙げていました。

 本書には参考資料の記載はありませんでした。もとになった単行本には記載されていたのかもしれませんが、単行本は未読なので分かりません。
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運がなければ その2 (スポンジ頭)
2020-01-14 01:05:42
>切り捨てた原因のひとつに国王の嫉妬を挙げていました。

 他に何か挙げているのですか?
 
 確かにフェルセンが王妃の愛人だから同行させられない、と言うのは理由としてあったでしょうが、何しろフェルセンが理由を書き残していない以上、「~だろう」と言う書き方しかできません。それに、5月時点で同行しないと決定しているのですから、「最初の宿駅でフェルゼンを切り捨てた」と言う氏の書き方はおかしいのです。「元々フェルセンを同行させないとしていたこと」なら分かりますが。

>レビューではかなりフェルセンを持ち上げているようです。

 私もこの本はきちんと読んでいませんが、ボンディのところまでだとと、本当に国王は嫉妬深い愚物として描かれています。ラスト近くでも国王になる心構えを説いたルイ・シャルル宛の遺言を引用して、ルイ・シャルルが国王になれると思っていた愚か者扱いでした。ルイ十六世にしてみれば、革命家は反乱軍で自分は正当なフランス国王ですし、「王太子」に対してそれぐらいの事を書くのは当たり前でしょう。テルミドールのクーデターの後、一度はプロヴァンスが復帰できる目もあったといいますし。何となくですが、氏はルイ十六世の遺言を全文読んでいないのではないか、と言う気がします。

 前にも書きましたが、出発日のフェルセンの日記に国王が彼に対して丁寧に感謝の言葉を述べた事が記されているのを念頭に置くと、極めて違和感があります。日記には国王か王妃のどちらかが書いた、メルシー宛の手紙もフェルセンは当日預かっていますし。旅が続けられなくなったら、フェルセンがブリュッセルに赴いて彼らのために行動する、と打ち合わせた事も記されていますし。

フェルセンの6月20日の日記より
(引用開始)
「Les deux me dirent qn'il n'y avait pas à hésiter et qu'il fallait tonjours aller. Nous convinmes de l'heure, etc., etc., que s'ils étaient arrêtés, il fallait aller à Bruxelles et faire agir ponr eux , etc., etc. 」
(引用終了)

(グーグル翻訳)
二人は私に、ためらいはなく、いつも行くべきだと言った。 私たちは、彼らが逮捕された場合、ブリュッセルに行って彼らに行動などをさせなければならないという時間などに同意しました。

 この日記の英語版を確認しましたが、国王一家が逮捕された場合、フェルセンがブリュッセルに行って、彼らのために行動することになっています。

 最初は気づかなかったのですが、フェルセンは国王一家が足止めを食った場合の打ち合わせを国王夫妻と行っているのですね。例の本だといきなり国王がフェルセンの動向を拒否したので王妃が呆然としている場面がありますが、ギリギリまで、アクシデントが生じた場合に於けるフェルセンの行動を夫婦で打ち合わせているので、それは考えられません。

 しかし、この本でも参考文献の記載がされていないとなると、何とも…。
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Re:運がなければ その2 (mugi)
2020-01-14 21:42:38
>スポンジ頭さん、

 国王がフェルセンを「切り捨てた」もうひとつの理由は、外国人貴族であったことです。逃亡首謀者が外国人では失敗時に当人の命に関るだけではなく、国王の面子も丸つぶれになりますから。

 改めてツヴァイクのアントワネット伝の逃亡の箇所を読み返しましたが、いきなり国王がフェルセンの同行を拒否した描き方でした。「どういう理由であるかはわからない」が、「いずれにせよフェルセンは「彼は望まなかった」としるているのである」となっていました。中野氏はツヴァイクの描き方に従っているとしか思えません。

 この描き方ではフェルセンがアクシデントに備え、その打ち合わせを国王夫妻と行っていたとは到底思えません。参考文献の記載がされていないのも「不都合な事実」を隠したかったため?と邪推したくなります。
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補足 (スポンジ頭)
2020-01-16 01:31:00
> 国王がフェルセンを「切り捨てた」もうひとつの理由は、外国人貴族であったことです。

 これはあり得る理由です。逃亡失敗後、フェルセン他関係者に対して当局が出頭命令を出しています。はっきり覚えていませんが、フェルセンの他にブイエやショワズールの名前もあったはず。ただフェルセンは一切理由を書き残していません。

 フェルセンと国王夫妻の話し合いについて補足すると、場所はテュイルリーで日中。打ち合わせに要した時間は不明ですが、それは20日の日記がメモのようなものに書かれて原本の前半部分が失われた結果、開始時間が特定できないからです。話し合いの終わりに国王が感謝の言葉を述べて去ると王妃は非常に泣き、午後6時にフェルセンは一旦王妃の傍を離れて帰宅します。王妃が泣いていたと言うのが印象的です。

 アクシデントが発生した場合、フェルセンが同行していたら血路を開いて救援を求めに行く事となり、救援の役目を果たせない可能性がありますから、ボンディで別れるべくして別れたと言うのが自然です。尤も、フェルセンが同行した場合、危険は発生せず無事到着できたでしょうけれど。

 しかし、ツヴァイクは事実のみを記載して虚構を作り出す能力が卓越していますね。あの描写を読んで、フェルセンにはちゃんと役目があること、王妃も承知していること、読者が感じるような心残りは当時のフェルセンにはなかったことなど、想像できるはずがありません。そして、ベルばらで更に誤解が広がって行く訳です。

 ただ、運命の無情さを読者に印象づけるには、ボンディの別れに至るまでの情報を遮断してあのようなそっけない書き方にした方が効果的でしょう。理由も分からず急に行動を中断させられ、結果的にフェルセンの悲劇的な最後に繋がるのですから。
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Re:補足 (mugi)
2020-01-17 21:21:51
>スポンジ頭さん、

 フェルセンと国王夫妻はテュイルリーで逃亡の打ち合わせをしていたのですね。夫妻はテュイルリーに軟禁状態だったから当然ですが、確かに著者の言うとおり、ここから国王一族を連れ出すのは大変でした。歴史にイフは禁句とされますが、本当にフェルセンが同行していたならば目的地に無事到着、逃亡は成功していたかもしれません。

 ツヴァイクが伝記を発表した当時は文献資料を読む人は限られていましたが、今やネットで閲覧できる時代になりました。だからこそ事実のみを記載して虚構を作り出す能力が発揮できましたが、素人でも史料の読める今は難しくなっています。

 それでもベルばらの影響力は未だに根強いですよね。ツヴァイクの描き方に従い、突然の同行拒否。尤もベルばらでは国王は苦悩に満ちた様子でフェルセンの身を案じ、「お気をつけられよ」と声をかけています。私がそうだったように、多くのファンはこれを史実と思い込んでしまうでしょう。
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同行拒否 (スポンジ頭)
2020-01-18 10:06:43
>尤もベルばらでは国王は苦悩に満ちた様子でフェルセンの身を案じ、「お気をつけられよ」と声をかけています。

 こちらは完全に忘れていました。ピシャッと同行拒否をした部分のみ覚えていました。多分、通常温和で気弱な国王らしくない描写だったからだと思います。また、昼間に拒否していたような。

 でも、私が鈍感だからでしょうか、同行拒否をされたフェルセンがその後どうするつもりだったのか、と言う疑問はベルばらでもツヴァイクでも湧きませんでした。行き先で合流することになっていたとも思いませんでした。実際ネットを見ると、亡命成功ならフェルセンと王妃は会えなくなるのに、それでも亡命を手伝ったフェルセンは立派、と言う意見があり、名作の影響力に感心させられます。
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Re:同行拒否 (mugi)
2020-01-18 21:55:10
>スポンジ頭頭さん、

「お気をつけられよ」の前にベルばらでは、「フェルゼン伯ご苦労でした ここから先はもうわれわれだけでだいじょうぶだ このままお帰りになっていただきたい」と話しています。漫画ではピシャッと同行拒否をした印象はありませんでした。絵柄が温和で気弱な国王そのものだったからでしょう。

 国王の同行拒否に同意したフェルセンは「このままベルギーへ亡命いたします」と答えています。フェルセンを涙で見送るアントワネット。名場面でした。
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記憶違い (スポンジ頭)
2020-01-18 22:54:16
 全く記憶を書き換えていました。 いつになく厳しい表情の国王が「ここまでにしていただきたい」と言った記憶だったので。フェルセンのその後もベルギー亡命の話を読んだら疑問に思わないはずで、ベルギーの話も、涙ながらで見送る王妃も全く覚えていませんでした。子供の頃に読んだ印象的なマンガも、年月の経過と共に捻じ曲げてしまったようです。

 しかし、ツヴァイクの簡素な文章でここまで話を膨らませた作者はやはり素晴らしいですね。帰る国があるスウェーデン貴族がベルギーに亡命と言うのも奇妙ですけど、第二の故郷であるフランスは革命の最中で戻れない、と言う意識を表したものでしょうか。
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Re:記憶違い (mugi)
2020-01-19 21:47:40
>スポンジ頭さん、

 子供の頃に夢中になった漫画でも、成人すると記憶もあいまいになってきます。そのため本棚の奥にしまっていたベルばらを読み返してレスしました。そうでなければ私もかなり記憶違いのコメントをしていたことでしょう。

 文章だけの伝記と違い劇画は緻密な絵が求められます。ツヴァイクの簡素な文章だけでは当時の衣食住や登場人物の心情は分かりませんよね。漫画家は作家と画家の才能が必要だし、ある意味作家よりも大変かも。
 ヴァレンヌ逃亡失敗後、再びフェルセンが宮殿に忍び込むのはスゴイ。彼には様々な批判もありますが、やはり最後の騎士でした。
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