トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

バカの国 その二

2021-06-12 22:40:08 | 読書/ノンフィクション

その一の続き
 三章までは特殊な個人の“バカ”が中心だが、四章以降は税金や公務を食い物にする輩が列記されている。四章は150頁から始まり、最終頁は255だから、本書の4割強はこの類の“バカ”の話なのだ。その中には仙台に関わる話があり、仙台市民の私は初めて本書で知った話がある。「ムダドーム」というタイトルの記事全文を紹介したい。

仙台市が所有する開閉式ドーム「シェルコム仙台」の屋根が14年間も開いていないことが2017年の9月にわかりました。
 この施設は約1万3千平米の広さがあり、テニスやソフトボールなどいろいろな競技に使用されることを目的に、総事業費117億円をかけて2000年に建設されました。開閉式屋根をもつ競技場は、天気の良い日は自然光を浴びながら、また雨天でも屋根を閉めることにより競技を中止することなく行えるため、非常に重宝される施設です。
 完成した時は仙台市民もさぞかし活用を期待したことだと思います。ところが、実際に屋根が開閉したのは最初の3年間だけで、その回数も20回ほどといいますから、これはきっと雨風をふせぐよりも物珍しさから開け閉めしたのでしょう。

 屋根を開けない理由を、市スポーツ振興課は「近隣の泉ヶ岳から吹き下ろす風が強くて競技に影響がでるため、開けるに開けられない」と説明しておりますが、そんなことは建設前にちゃんと調査をしておくべきで、百億円以上もかけて作ってから、そんなことを言い出すなんてお粗末な話です。

 閉めっぱなしの状態が続いた2016年からは、年一回の定期点検も190万の費用がもったいないと行っていないので、もう点検のためにも開ける気はないということです。何のために開閉屋根を作ったかわかりません。実に無駄な出費をしてしまったものです。「シェルコム仙台」の電動開閉式の屋根がもし固定式であったなら、いったいいくらの費用が削減できたでしょうか。
 市の施設ですから、建設にあたっては市議会の承認を得たはずです。仕事を設計する設計コンペでは、屋根を開けた際の外部とのつながりによる開放感が高く評価されたそうですが、実際にスポーツをする人でなく、議員たちが想像の世界の中だけで勝手に決めるからこんなことになるのです。
 せっかく多額の税金を投入して作った施設が「日の目を見ない」のは残念なことです。

「シェルコムせんだい」について検索したら、宮城県在住ブロガーによる「たとえ「シェルコムせんだい」の屋根が開かなくても」(2018.12.13)という記事がヒット、地元紙・河北新報も2017年9月に、平成15(2003)年を最後に、屋根を開けての使用は無いと報じていたとある。単に私が新聞記事を見逃していただけだった。
「シェルコムせんだい」が建設された2000年当時の仙台市長は藤井黎(はじむ)、岩手県釜石市出身ながら東北大を卒業し、仙台市長になった人物だった。東北大学大学院教育学研究科修士課程修了、仙台市教育委員会委員長という肩書があり、いかにも文化施設建設を好みそうだ。

 ただ、2017年9月になって「シェルコム仙台」の屋根が開閉したのは、最初の3年間だけだったことがようやく分かったというのは、あまりにも遅すぎる。この時点で屋根が閉めっぱなしから14年も経過しているのだ!
 藤井は河北新報に在職していたこともあったが、この地方紙は14年間も気付かなかったのか?地元でありながら、ロクに取材せずとも務まるのが地方紙記者のようだ。市議員のみならず、新聞記者もたるんでいる。
 それに加え、年一回の定期点検が190万もかかるとは絶句した。総事業費が117億円だから、メンテナンスの方が遥かに高い。こんなモノは、まさに「ムダドーム」。バカの市とバカの市民に相応しいハコモノだった。

「ムダドーム」の話は五章に載っていて、次の文章はこの章のまえがき。
税金を貪り食っている輩の中には、「自らの行為が犯罪である」という意識のない者もいます。それは「公務員」です。役所や官庁は民間企業ではないので、自らは一円も稼ぐことはありません。彼等の活動の資金はすべて国民が働いて納めた税金です。
 にもかかわらず、まるで天から降ってくるお金と勘違いして、ジャブジャブと使い放題の役人は日本中にいます。そういう「バカ」を役所から一掃できれば、日本は素晴らしい国になるでしょうが、おそらく私が生きている間は無理でしょう。そして私の孫の時代になっても、彼らは消えてなくならないでしょう。(175頁)
その三に続く

◆関連記事:「戦争と平和(百田尚樹 著)

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4 コメント

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「信じる」バカ (motton)
2021-06-14 11:16:38
>それは「公務員」です。役所や官庁は民間企業ではないので、自らは一円も稼ぐことはありません。彼等の活動の資金はすべて国民が働いて納めた税金です。

このバカな認識はどうすればいいのですかね。

公務員(行政)は、企業では人事部や経理部などの間接部門に相当します。彼らは、直接商品を売って稼いでいるわけではありません。「効率的に」稼ぐ環境を整えるのが彼らの仕事です。「触媒」といってもいいでしょう。
無駄(非効率さ)を理由に責められることはあっても、自ら稼いでいないことは責められる理由にはなりません。

また、非効率さを正す義務があるのは政治(企業における経営者)です。公務員が使う金(行政予算)は議会で承認されたものです。承認する権限のある政治家を選ぶのは国民(企業における株主)です。

行政というものは、太古の昔(猿だった頃)から存在します。古今東西の社会で「そういう「バカ」を役所から一掃」が現実化したことはありません。
そういう不可能なことを「おそらく私が生きている間は無理でしょう。そして私の孫の時代になっても、彼らは消えてなくならないでしょう」というのは煽動でしかありません。

現実には、古今東西の社会で、日本の公務員(特に国家公務員)は最もマシな部類です。マシだったから、国民が選んだ政治家がバカであっても、なんとかやってこれたのです。
(バカな批判で上質な人材を確保できなくなり質が落ちてダメになっていっていますが。)

近年、中央官庁がブラックな職場だというのが認知されてきました。(労働基準法の対象外なので、かなり酷い。上場企業なら国に潰されるレベル。厚労省が一番酷いのは笑えない。)
原因は、官僚を奴隷だと思っているバカな政治家です。普通の国なら、相応のバカな奴しか公務員にならないので、すぐに行き詰まるのに、日本の公務員は「まだ」質が良いので何とかなってしまう。)

だから、空気を読めるマスコミは従来のようなバカな批判はしなくなりました。少なくとも、地方の役所と中央官庁を同列で批判することはもうしていません。

上記は一例ですが、百田尚樹は「浅い」のです。薄っぺらい。その原因は能力では無く意思(対象への興味)の欠如です。
日本への興味(愛国心)が本当にあれば『日本国紀』なんて書けません。個人の能力では、価値ある日本の通史を書くことなど不可能だから。

『「ゴー宣」「逆説の日本史」を読む俺は他人より優れている そんなふうに考えていた時期が俺にもありました』
ttps://tmiyadera.com/blog/2265.html
の批判に賛同します。
私も、2000年前後の「逆説の日本史」などは構わないと思っているのです。当時の通説への"アンチテーゼ"を提示して、読者の興味を引き出すのが目的だったので。既存の権威を「信じる」のはなく、自分で「調べろ、考えろ」と。サヨク(理想主義者)の思想の内容ではなく「信じろ」という姿勢を否定するために。
だから、後年、読者が「信じる」ようになってしまったと感じた小林よしのりが「転向」したのも理解します。

しかし、百田尚樹は「信じろ」と言っています。「調べない、考えない」バカを相手に商売するために。
少しググったら同様の批評をする人はいますね。
『百田尚樹と小林よしのり。「右派本のマーケット」をつくった2人の決定的な違い』
ttps://www.huffingtonpost.jp/entry/ishido20200620_jp_5ef0079dc5b60f5875985e8d
返信する
Re:「信じる」バカ (mugi)
2021-06-14 21:47:33
>motton さん、

 最後の文章は極論と思ったので引用しました。公務員は自らは一円も稼ぐことはない等、まるでネットを徘徊するニートの公務員叩きそっくり。その三で挙げたイタリアのずる休み役人は困りますが、日本の大半の公務員はちゃんと仕事を果たしており、それに相応しい労働賃金を払うのは当然です。

 さすがに最近のメディアは、地方の役所と中央官庁を同列で批判することはしなくなりましたが、今でも河北新報では公務員には厳しい。公務員の知人はそれが嫌で全国紙を購読しているとか。

 売れっ子作家だけあり百田氏は文章は巧みですが、対象への興味が欠如しているという指摘はさすがです。『日本国紀』も図書館から借りて読みましたが、これほど軽い日本通史は珍しい。内容は殆ど忘れましたが、明治以降に多くの頁が費やされていたのが意味深でしたね。

「ゴー宣」「逆説の日本史」を読む俺は他人より優れている、と考えていた人がいたことは初めて知りました。読んだのが大学生時代と若気の至りもあったのでしょうか。
「世の中に絶対に正しい事は無く、また見方によってどうとでも姿を変える。多角的にモノを見なくてはいけない。」は全くの正論です。しかし、これが世の中に通じないのは何時の時代も同じです。

 私は未だに小林よしのりは未読なので論評できません。但しリンク先のハフポストも全面信用は出来ませんね。ハフポストが朝日系列なのは知られており、「ハフポストの言う「ファクトチェック」がどれほどのものなのか?もう少し謙虚に書けないのかな。」というコメントは実に嫌味たっぷり。
 こちらも「信じろ」と遠回しに言っており、「調べない、考えない」世間知らず相手に煽動するのは同じです。「今も昔もメディアは繰り返し「ファクトチェック」をしている。」に至っては、冷笑した人もいたでしょう。自称リベラルの認識は未だに変わりないと感じます。
返信する
ゴー宣 (motton)
2021-06-15 10:24:33
「ゴー宣」は大学院生の頃に読んで、歴史や外交軍事などに深く興味を持つきっかけの一つになったので、読んでいなかったら、ここにも来ていないかもしれません。

「ごーまんかましてよかですか?」のキメ台詞にあるように、俺の傲慢な意見を言うが聞くか?で「信じろ」ではないんですよね。一般的に信じられている通説の存在がある時代背景があってこそ成り立つものです。"トーキング・マイノリティ"だから価値がありました。(今、読むものではないかもしれなません。)
小林よしのりは、メジャーになり過ぎました。本人は自覚した結果、迷走している気もしますが、メジャーであることを目的とする百田尚樹とは合わないでしょう。

>ハフポスト
朝日新聞が「1+1=2」と書いても間違いではないように媒体の名前で内容を否定はしません。媒体の名前を参考に補正はしますし、バイアスがかかり過ぎたりレベルが低すぎて補正が無理な媒体や著者は名前で足切りはしますが。(朝日新聞の方が産経新聞よりマシ。)
基本にあるのは、「発言した人物によって受け取り方が変わるような情報であれば、その情報にはそもそも価値がない」という「モヒカン族」の思考です。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/モヒカン族_(ネット用語)

mugiさんの思考にも近いのではないかと思います。
返信する
Re:ゴー宣 (mugi)
2021-06-15 22:28:43
>motton さん、

「ゴー宣」は話題になっていたので、タイトルは忘れましたが、小林よしのりの何かの作品を軽く立ち読みしたことはあります。漫画だけあり拷問シーン(中共による鼻そぎ)はインパクトがあり、さすが右翼と非難されることはあると感じました。
 当時はネットは一般的ではなかったし、中国を非難するのはタブー視されていた時代だったはず。その風潮に風穴を開けた小林の功績は大きかったでしょう。

 小林が“転向”したことには信者から批判があるようですが、元から作品もインタビューも見ていないため、特に感想もないんですよね。
 ただ、以前のレスでも書きましたが、朝まで生テレビで姜尚中に叱られ、シュンとなっていたのは情けないと感じました。やはり漫画家は東大教授に弱いのやら。これが百田氏や井沢元彦氏であれば反論しているでしょう。

 媒体の名前で内容を全否定するつもりはありませんが、朝日やハフポストと聞くと、やはりうがった見方になってきます。正論や正確な記事も多いにせよ、慰安婦報道の印象は最悪です。そのためネットユーザーも、何かあれば攻撃の機会を伺うようになったと思います。
 匿名のネットユーザーばかりではなく、朝日報道を激しく非難しているアルファブロガーや実名研究者もいます。私も非難されて当然の内容と思いましたね。尤も河北新報よりはマシでしょう。

「モヒカン族」というネット用語は初めて知りました。これも由来は漫画でしたか。私も「モヒカン族」なのかは自己診断は出来ませんが、リアルで「それを言っちゃオシマイ」と言われたことがあります(笑)。
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