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戦争と平和(百田尚樹 著)その①

2018-01-06 21:10:26 | 読書/ノンフィクション

『戦争と平和』(百田尚樹 著、新潮新書731)を読了した。この本のことは『作家』というブログ記事で紹介されており、以下は記事からの引用。
百田氏は著書『戦争と平和』で、日本人は「言霊信仰」を持っており、悪いことを考えると現実になってしまうとして、万が一や最悪の事態を考えることを避けてしまうと語る。だから十分な覚悟と備えができない面を持つという。何だかわかる気がする。日本のゼロ戦とアメリカのグラマン(主力戦闘機)との比較からも説得力がある百田氏の考えは非常に興味深く、あっと言う間に読んでしまった

 何度も書いているが私は情けないほどの軍事オンチ、戦闘機のこととなればまるで分からず、そのため百田氏の処女作かつ出世作『永遠の0』はまだ未読。ただ、先の記事は主婦ブロガーさんのものなので、面白そうだと思い図書館から借りてきた。実際に私もゼロ戦とグラマンの比較は実に興味深かったし、全編あっと言う間に読んでしまった。
 この本は第1章「ゼロ戦とグラマン」、第2章「『永遠の0』は戦争賛美小説か」、第3章「護憲派に告ぐ」の3部構成となっており、第1章だけで全体の半分を占めている。私的には最も面白く、考えさせられたのが第1章だった。まえがきで著者は第1章をこう説明している。

第1章では、大東亜戦争を代表する「ゼロ戦(零式艦上戦闘機)」にスポットを当てながら、当時の日本人が戦争をどう捉えていたのかを書きました。完成当時は世界最強と言えたこの戦闘機には、実は日本人独特の哲学や美学が詰まっていました。それはゼロ戦にとどまりません。戦争中に作られた日本の兵器はすべて、その長所も短所も含めて、極めて日本的なものばかりでした。
 敢えて言えば、それらの兵器は、本来の目的である「戦争に勝つ」という視点から見れば、ベストとは言い難いものでした。また、日本軍の戦略も戦闘も、「戦争に勝つ」という目的が見えていなかったように思えます。本書の第1章を読まれる読者は、おそらく奇妙な感覚に襲われることになるでしょう。それは「日本人は戦争を理解していなかったのではないか」というものです」(4頁)
 
 そして第1章は以下の書出しで始まっている。
私は、常々、次のように考えてきました。「戦争という極限状態においては、その民族あるいは国家の持つ長所と短所が最も極端な形で現れる」――と。
 どの民族あるいは国家にも、長所と短所があります。ある国はすべて優れていて、ある国は何もかも駄目とか、そんなことはありません。日本も同じです。いいところもあれば、悪いところもあります。そうした長所、短所は普段、平和な時、日常生活においてはそれほど目立つものではありません。
 しかし、戦争のような極限状態においては、それが露骨に顔を出す――私はそう考えています。本章では主に兵器や戦術の比較をしながら、日本あるいは日本人の持つ特性を見ていきたいと思います」(12頁)

 ストレートな物言いで物議を醸し、左派はもちろん右派からも非難されることが多い百田氏。だが、この意見は全くの正論だし、第1章はゼロ戦称賛一色ではなかった。むしろ、日本軍がいかにパイロットの命を軽視していたのかを改めて知り、何とも暗い気持ちになる。
 そもそもゼロ戦とグラマンは、「根本から異なる設計思想」で造られていたのだ。戦闘機に疎い私でもゼロ戦のフォルムは実に美しく、対照的にグラマンはひと目見ただけでゴツイ印象だった。尤も前者は華奢で弱そうに見え、後者はいかにも頑丈そうだった。
 この見方はあながち間違ってはおらず、ゼロ戦の致命的な欠陥に、防衛力がなかったことが挙げられている。軽量化の為、パイロットの座る操縦席を守るべき、背中の板もスカスカにしていたそうだ。これでは一発撃たれてしまえば、パイロットは絶命する。

 一方、グラマンは速度や旋回能力では劣るものの、とにかく頑丈さでは負けなかった。機体が頑丈な鉄でがっちり覆われ、特にパイロットを守る鉄板の頑丈さは相当なものだったという。ゼロ戦の7.7ミリ機銃を何十発と撃ち込まれても貫通せず、パイロットの命を守っている。これを以って著者はいう。
どれほど機銃弾を撃ち込まれても、飛行能力を維持し、パイロットを守り抜く、グラマンF4Fの頑丈さには目を瞠るものがあります。グラマンF4Fに限らず、米軍機は総じて防衛力を重視した作りになっていました」(24頁)

 グラマンの機体がごついのも美的センスがないゆえではなく、敢えて直線を多用する設計を採用したのは、作りやすさを重視したから。つまり、大量生産が可能な戦闘機を作ったということ。
 対照的に職人技を求めたのが日本であり、著者はゼロ戦を見ていると、とにかく、何よりも優れた戦闘機を作る――ただそれだけを求めていたとしか思えない、というのだ。作るからには最高のものを作りたい、そのためにはどんな手間も惜しまないという精神で、ゼロ戦はまさしく工芸品、あるいは芸術品といってもいいレベルの戦闘機だった、と。だが、それを作る工程には夥しい作業があり、大量生産は不可能だったのだ。
その②に続く

◆関連記事:「アジア主義の悲劇
 「ナショナリズムの光と影

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2 コメント

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少数精鋭思想 (スポンジ頭)
2018-01-07 11:01:02
おはようございます。

 記憶モードですが、日露戦争後、勝利20周年だかを記念して軍人たちが座談会をしました。その座談会はきちんと合理的な発想で話が出来ていたのだそうです。ところが、その後軍が真っ先に手掛けたのは兵器の開発ではなく、軍刀の一新。座談会に出席した軍人の一人は航空機の時代なのに日本は防衛が出来ていないので危険だと主張していて、結局東京大空襲でそれが真実となりました。

 日露戦争は薄氷を踏む勝利なのですが、当時の政府はそれが言えませんから精神力の勝利と言い、時代交代につれ、それを自身が信じ込んでしまった、と言う面もあります。ゼロ戦に関しては当時の日本が物量がないゆえの精神主義・少数精鋭主義と言う考え方が結果的に無防備な航空機を誕生させてしまったものと思えます。少数精鋭ですから個人の技量で防御を行い攻撃する、と言うやり方ですね。

 大量生産の話ですが、これは当時の日本に対抗できる生産方法が確立していないのではないのでしょうか?工場であれだけ大量に一括生産をこなせたのは当時の世界でアメリカぐらいだと思います。品質管理方法も戦後アメリカから齎された物です。

 イスラエルの戦車に「メルカバ」と言うのがあるのですが、これが防御を優先した頑丈なもので、周囲のアラブ人と比較して相対的にユダヤ人の人口が少ないイスラエルで、戦争に参加できる人員を確保する為にそうなっているのですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%90_(%E6%88%A6%E8%BB%8A)

 戦争は好きではありませんが、対処法を考えなければいけない時代なのですよね。
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Re:少数精鋭思想 (mugi)
2018-01-07 21:46:33
>こんばんは、スポンジ頭さん。

 コメントにある日露戦争勝利20周年の座談会は興味深いですね。兵器の開発ではなく、軍刀の一新をしたことに危惧した軍人もいたそうですが、結局は軍刀を優先させた。現代から見ても上層部の考えは不可解です。少数精鋭を取りながら、日本軍が熟練搭乗員を使い捨てたことをその②で書きました。
 百田氏も日本海海戦の勝利に、バルチック艦隊の水兵の疲労の極みを指摘しています。水と食料、燃料不足に悩まされ、日本海に来るまでに多数の水兵が死亡していたとか。日清戦争も相手は清の正規軍ではなく李鴻章の私兵で、戦意に乏しかった。

 もちろん物資不足の戦時中、日本に大量生産できるシステムは望めませんが、それなら少しでも生産の効率を上げ、もっと早く戦闘機を作るように出来なかったのか、と感じました。当時の日米の潜水艦を比較すると、日本の潜水艦の種類がとても多かったそうです。色々な種類が製造され、「品数と品揃えは壮観」(71頁)と百田氏は書いています。
 一方、米国は基本的に一種類しか製造しなかったそうです。そのため量産が容易だった。戦場で一番モノを言うのは「数」であることを米国は知っていたから、と著者は言っています。

「メルカバ」という戦車は初耳ですが、いかにもあの国らしいネーミングですね。兵器名にはその国の特徴がよく表れます。蛇足ですが、韓国には「安重根」なる潜水艦があるそうです。余り性能がよくないのは軍事オンチの私にも分ります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8D%E6%A0%B9_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6)

 殆どの庶民は戦争を望んでいませんが、平和を唱えていればよい時代は過ぎ去りました。日露戦争20周年の時のように対処法を検討しなければ、また悲劇に見舞われるかも。
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