トーキング・マイノリティ

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海難1890 15/日・土 その二

2015-12-15 21:40:18 | 映画

その一の続き
 映画ではエルトゥールル号遭難事件で、村人が総出で懸命に乗組員への救助活動を行った様子が映されている。東北と変わりなさそうな寒村にも拘らず、村人たちは着物や非常用に備えていた食料、貴重な米まで提供した。さらに海に潜り、遺品の回収にも尽力している。それは村人にとって、「当り前」のことだったのだ。おそらく日本の他の寒村でも、同じような対応をしていたであろう。
 しかし、縁もゆかりもない異民族にそのような行為をするのは、他国では必ずしも「当り前」ではなかったのだ。エルトゥールル号遭難事件より4年前の1886年、同じく串本町ノルマントン号事件が起きていたが、英国人船長は同国人やドイツ人乗客は助けても、日本人乗客25人は見捨てられ、全員が溺死している。これが当時の欧米列強の「当り前」だった。

 もし日本の友好使節団の艦がトルコの領海で嵐で沈没していたら、トルコの漁村でも助けたのだろうか…と私は想像してしまった。救助活動をしたとしても、日本ほどは懸命ではなかったと思う。
 2008-07-27付けの記事にも書いたが、20世紀初めに中東世界を旅した英国女性ガートルード・ベルは、オスマン帝国の政治体制は酷評しつつも、「1人でいる時のトルコ人は、法と秩序の与える快さを尊ぶ気持が強い」と批評していた。またトルコの農民について、「なかんずく人を親切にもてなす心は何にも優るものであった」と敬服の念を奉げている。

 映画の後半は、海難から95年後のイラン・イラク戦争時の日本人救出のエピソードになる。「日本人を救出せよ!トルコ航空機決死のフライト」というブログ記事にはその時の様子が紹介されているが、映画もほぼ同じ描き方だった。この時テヘランには200人以上の日本人が取り残されていたが、トルコ人に至っては600名もいたという。普通ならば欧州やソ連のように自国民を優先させ、外国人の搭乗は拒絶するはず。しかし、トルコは違った。
 野村豊イラン駐在大使の要請に応えたトルコのオザル首相(当時)が、トルコ航空のパイロットたちに有志を募ったところ、その場にいた全員のパイロットが手を挙げるシーンは圧巻。映画の脚色か、と思ったが事実のようだ。ちなみにオザル首相の執務室には、トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマルの巨大な肖像画が掲げられていた。

 こうしてギリギリのところでトルコ航空機に乗って日本人は脱出できた。一方、残されたトルコ人はトルコ大使館が用意した車に分乗、陸路でイランを脱出し祖国へ向かった。トルコ首相官邸にはこの出来事への電話が殺到する。他国民を優先して自国民を後回しにしたことへの非難ではない。その行為を讃え、誇らしく思うというものばかりだったという。オザル首相も不平を言わなかった自国民を誇らしく思ったそうだ。

 日本人を救出してくれたトルコには本当に感謝している。しかし、それ以上に日本人並びに日本政府が情けなかった。日本は自衛隊の海外派遣不可の原則のために航空自衛隊機による救援が出来ず、日本航空は航行安全の保証がされない限り、臨時便は出さないと宣言する始末。人の命が危険にさらされているという理由で救出に向かったトルコ航空と、現地は危険なので臨時便を出さなかった日本航空。明治の串本町村民の気概は何処に消えたのか?
 自衛隊の海外派遣不可の原則を変えるには国会承認が必要なのだが、ダッカ日航機ハイジャック事件(1977年)で福田首相は、国会承認なしに“超法規的措置”を取っている。自衛隊法が改正され、有事で在外邦人を国外に脱出させる必要が生じた時、自衛隊機や護衛艦により在外邦人を輸送することが決められたのは、何と2013年である。自衛隊機や護衛艦派遣を、「戦争が出来る国になる」として反対した連中が、いかに日本人の人命を省みないのか知れよう。

 オザル首相は湾岸戦争(1991年)では米国に軍事協力を行い、欧米諸国での存在感と評価を高める。一方、日本は約130億ドルの資金協力で済ませ、金だけ出す姿勢を非難された。湾岸戦争前後にオザル首相にインタビューした日本人がおり、首相がこんな感想を述べていたのを憶えている。
「かつて日本は非常に勇敢だったが、現代は軍事行動について極めて慎重になっているようだ」

 映画のラストで、現トルコ大統領エルドアンによるメッセージがあったが、政治宣伝さながらで妙に白けた気分になった。12月4日付河北新報の第25面で、この作品の広告が載っており、そこにあった森永卓郎の発言はこうだった。「外交は、カネではなく力でもない。真心
 真心で外交が動くこともあるが、カネも力もない国の外交力などたかが知れている。そして森永のような輩こそ、自衛隊法改正反対の主だったメンバーなのは想像に難くない。

◆関連記事:「トルコを知るための53章



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4 コメント

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もしかして… (のらくろ)
2015-12-16 04:20:33
>森本卓郎

森永卓郎?
それとも森本毅郎?

あ、もしかして、カホクがそう書いた?
だとしたら、新聞としてオワッテルな!
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映画に対するトルコの反応 (madi)
2015-12-16 09:37:26
トルコの反応をまとめたものです。
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1762.html
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Re:もしかして… (mugi)
2015-12-16 21:09:31
>のらくろ さん、

 正しくは経済アナリストの「森永卓郎」でした。全くお恥ずかしい限りです。早速訂正いたしました。

 今回に限らず、カホクは「森永卓郎」の意見をしばしば載せています。新聞としては既にオワッテいるし、明日にでもとるのを止めたいのですが、家族の意向で止められません。
 カホクの友好紙のひとつに東京新聞があり、近頃はこの新聞の読者投稿を紹介するようになっています。その内容も酷いものですよ。東京新聞も赤いようですね。
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Re:映画に対するトルコの反応 (mugi)
2015-12-16 21:10:31
>madi さん、

 実はこの映画に対するトルコの反応が気になっていたのですが、おおむね好評だったのは安心しました。「トルコ人と日本人は同じトゥーラーン民族であり親戚同士だ」というのはともかく、多くのトルコ人にも映画を見てもらいたいものです。

 私が観たのはレディースディでしたが、結構鑑賞者が多かったですね。このような作品は女性向きではないと思っていたので、予想外でした。
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