トーキング・マイノリティ

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トルコを知るための53章 その一

2014-06-22 14:09:58 | 読書/ノンフィクション

トルコを知るための53章』(大村幸弘永田雄三内藤正典 共著・編集、明石書店)を先日読了した。行きつけの図書館にあったので借りてきて読んだが、期待以上に濃い内容だった。上記3人の他にも多くの研究者がトルコの歴史や文化、社会、庶民の生活から政治経済、国際関係について執筆したコラム53章が載っている。タイトル通り、まさにトルコを知るために53章であり、トルコに関心を持つ方なら堪らないはす。特にトルコの文化は一般に日本では知られていないが、“東西文明の交差点”と謳われるだけあり、重層かつ多彩なのだ。

 34章「トルコに西洋音楽は根付いたか/現代トルコの西洋音楽事情」は興味深い。トルコの音楽といえば、CMやТVドラマに使われた Ceddin Deden(ジェッディン・デデン/祖先も祖父も)くらいしか聞いたことのない日本人が多いだろう。これはオスマン帝国精鋭軍イエニチェリに付随した軍楽隊メフテルが戦場で奏でた勇壮な歌。聞いただけで元気が出てくるし、歌詞の全文を日本語訳したサイトもある。メフテルを真似、18世紀前半に西欧諸国で軍楽隊を持つようになった。



 実はトルコの音楽は主に18世紀から19世紀にかけ、多くの西洋音楽家たちにインスピレーションを与えていたのだ。モーツァルトベートーヴェンの「トルコ行進曲」は有名だが、他の音楽家や交響曲などにもメフテルが奏でたダウル(太鼓)やズルナ(チャルメラ、オーボエの原型)、ボル(トランペット)、ズィル(シンバル)等の「トルコ風(アッラ・トゥルカ)」の響きが散りばめられている。
 一方、トルコにおいて西洋音楽の積極的な導入が始まったのは、19世紀初め頃。直接のきっかけはメフテルの廃止。オスマン帝国の西洋化の進展に伴いイエニチェリが1826年廃止、西洋式軍団の創設により、メフテルもまた新軍団に相応しい西洋式音楽に取って代わられるようになる。欧州をモデルにした軍楽隊の教育のため、西洋人音楽家がオスマン宮廷に召し抱えられ、公的な西洋音楽教育が始まった。皇帝の居城トプカプ宮殿を中心に、イタリアからのオペラ団をはじめ、作曲家兼ピアニストとして名高かったリスト以下様々な西洋音楽家が迎えられ、帝都イスタンブルに西洋音楽の音色が響き渡るようになったそうだ。

 首都の座こそアンカラに奪われたものの、イスタンブルは現代のトルコにおいても西洋音楽の中心地となっている。毎年10月から翌年5月まで続くシーズン中には国立オペラ・バレエ団の好演が毎日行われ、オーケストラやオペラを連日のように楽しめる。この傾向はオスマン帝国崩壊後、特に強まっており、トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマルは西洋音楽の本格的な導入を進めると共に、和音を持たない古典音楽を「前近代的」として公式な場から排除していた。
 ケマルが望んだのは、トルコ民衆の音楽を核としながら「進んだ」西洋の香りを持つ新しい音楽であった。「トルコ民族音楽+西洋音楽の和音」という図式から誕生する音楽こそ、将来の国家のため、国民のため、理想とされた。

 ならば、西洋音楽はもう完全にトルコに根付いていると思いきや、話はそう単純ではない。オスマン帝国期からもっぱら都市部の上流階層の人々によって親しまれた西洋音楽が、トルコの一般民衆に同じように受け入れられた訳ではない。34章を書いた濱崎友絵氏の体験談は実に面白い。氏が滞在していたアンカラのアパートの下の階には齢70歳を過ぎた老婦人が住んでおり、自室にずらりと並ぶ西洋クラシックのCDコレクションを前に、タバコをふかしつつこう言ったことがあるそうだ。
トルコの音楽は西洋音楽以外の音が使われているけど、私はドレミファソラシの音階からできた曲しか聴かないよ

 「むかし欧州で暮らし、己をインテリと自負するこの老婦人は、おそらくは極端なまでの西洋至上主義者なのだろう」、と濱崎氏は述べており、イスタンブルならともかくアンカラにもこの手合いがいたのだ。日本のクラシックファンにも同類が少なくないと思う。トルコの伝統音楽とは、「ドレミファ…」の音階を基盤とした西洋音楽とは音体系も音楽システムも土台からまるで違っており、全く異なる音楽的感性を必要とするという。これは日本も全く同じだ。

 共和国建国から何年も経ず、トルコと西洋のふたつの音楽を融合させた「新しい音楽」が、若きトルコ人作曲家たちにより生み出されていったのは素晴らしい。共和国期を代表する第一世代の作曲家たちは、欧州で学んだ西洋音楽の技法にトルコ伝統音楽のモチーフを組み合わせ、名曲を次々に世に送り出す。
 現代トルコの演奏家には国際的に活躍する者も多く、ポピュラー音楽界でも国外で活躍の場を広げるアーティストもいるという。「トルコポップの女帝」と呼ばれるセゼン・アクスは、ギリシアなど地中海沿岸諸国をはじめ欧州のトルコ移民にも絶大な人気があるそうだ。
その二に続く

◆関連記事:「クロッシング・ザ・ブリッジ/サウンド・オブ・イスタンブール

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