トーキング・マイノリティ

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海と毒薬

2007-08-16 20:54:24 | 映画
 作家・遠藤周作の代表作に「海と毒薬」がある。私はこの小説を未読だが映画化もされており、映画版は何年か前にNHK BS2で放送した時に見た。ベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞、主演が奥田瑛二、副主人公役が渡辺謙。

 映画制作が昭和61(1986)年でありながら、全編モノクロで撮られているのが面白い。重いストーリーなので、反ってモノクロの方が雰囲気が出せたと思う。内容の大半は忘れてしまったが、追撃されたB29の搭乗員を医師たちが人体実験を目的に生体解剖を行い、立会いもしていた軍人がその人肉を刺身にして食べた、という話だったのは憶えている。
 映画を見ながら私は生体解剖には驚きもしなかったが、米国人を刺身にして食べたことは強い嫌悪感を感じた。いかに戦時下では平常な感覚が失われるにせよ、よくまあ米国人の肉を口に出来るものかと、その精神が理解できない。

 奥田瑛二扮する主人公の医師は当初生体解剖に拒否反応があり、あえて執刀するも、途中で作業が出来なくなる。同じく実験に臨んだ医師(渡辺謙)は対照的に最後まで実験を続行した。戦後、彼らは当然裁きに遭うが、渡辺謙演じる医師はB29が日本の民間人を大量虐殺したことを挙げ、改悛や謝罪など見せなかったのが印象的だった。
 この映画を見た人の感想は様々だろう。原作者の遠藤周作は神なき日本人の罪意識を問題視したがったようだが、不信仰者の私には所詮遠い昔の遠い出来事にしか感じなかった。題名に“毒薬”とあるので、薬物実験を繰り返したのかと想像したが、これは違った。

 現代なら人肉食(カニバリズム)など聞くもおぞましいが、中国大陸では珍しくもなかったし、Wikipediaには世界中で行われていたことが記されている。西欧人は健忘症になっているだろうが、十字軍の時は現地のムスリムを虐殺した挙句食べたことが「アラブが見た十字軍」に見えるし、新大陸でもインディオに対し同じ行為を繰り返している。食物の禁忌が多いユダヤ、イスラム、ヒンドゥー教徒も飢饉になれば人肉食をした歴史があるが、異民族を食べた戦時下のそれとは状況が異なる。

 飢餓で食料がないというなら、人食いの動機も分かる。しかし、飢えてもいないのに、敵への憎悪や蔑視から人肉食に至るのは、平和な時代に生まれ育った私の想像を絶する。たとえ肉親の仇でも、その肉を口にしたいとは絶対に思わない。しかし、相手を人間と思わず動物若しくはそれ以下の存在と考えたらどうだろう。牛豚を食べて罪悪感を覚えるのは、それらの肉に禁忌のある宗教信徒くらいだ。特に戦時下では敵の異教徒、異民族に対する憎悪に取り付かれている。クリスチャンの遠藤周作なら罪の意識をテーマにした物語は十八番だろうが、狂信の果てに人肉食他の蛮行に及んだかつての西欧人の行動の背景は神ゆえなのだ。

 小説「海と毒薬」は昭和20(1945)年の終戦直前に起きた「九州大学生体解剖事件」をモデルにして書かれたという。この事件の被告人たちは、自分たちの行為をその後どのような思いで過ごしたのか、個人差もあるだろう。ただ、Wikipediaの「九州大学生体解剖事件」を読むと、一部被告人は後に自白の強要によって捏造された事件であると主張しているとか。自白の強要、捏造なら特に戦勝国にとって朝飯前だったはず。さらにWikipediaのカニバリズムには、日本の人肉食にはかなり詳細に記述されているのに対し、その規模や歴史では比較にならぬ中国、朝鮮でのそれは2ヶ国合わせても短文で紹介、欧州に至っては僅か5行で済ませているのが意味深だ。

 戊辰戦争時、薩摩藩の兵が会津藩士の死体を食用にしたという。昭和時代の「九州大学生体解剖事件」といい、共に九州人がやったことは興味深い。司馬遼太郎は文化的に薩摩藩は中国に近いと言っていたが、地理的な面から九州は本土より大陸の影響が濃かったのは当然かもしれない。Wikipediaには記載されてなかったが、ロシアも革命後の混乱期、深刻な食糧難に見舞われ、市場には公然と人肉が売られていたそうだ。

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