トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

嫉妬の世界史 その二

2021-10-31 21:42:44 | 読書/ノンフィクション

その一の続き
 鴎外による医事雑誌での当てこすりの対象となったのは、石黒忠悳小池正直だった。医学界のボスたちを批判しながら、その実は軍医制度を整備した医学会の実力者石原を諷(ふう)する文章を寄せた。
 小池は医務局第一課長となり将来の局長を約束されたのに、鴎外は軍医学校長として外に出され、陸軍省の軍医中枢のラインから外される。鴎外がこの種の人事を屈辱としていたのは書くまでもなく、その憤怒は『舞姫』の中で露骨に吐露する。『舞姫』に登場する敵役の「官長」は石黒で、その自在に動く「器械」とは小池というのだ。

 私の高校の教科書には『舞姫』が載っていたが、作品のこのような背景があることを初めて知った。小池は鴎外より8歳年長で、かつては共同で研究や著作を公にしたほどの親密な仲だったが、後に相争うことになった。しかも最初に喧嘩をしかけたのは、鴎外のほうだった。
 石黒は鴎外の才能を認めていた反面、軍医が文学活動をすることを苦々しく思う明治の軍人でもあり、軍務や医務一筋の同僚たちからすれば、堪ったものではない。鴎外も他人の栄達に異様に嫉妬深い性質があり、文学で以って私怨をはらせるのも文士の強みなのだ。
 
 人々の嫉みや嫌悪感を刺激しすぎると、反感どころか積極的な妨害を招くことになる。人の嫉妬を避けようとすれば、鴎外に必要だったのは沈黙だったはず、と作者は述べている。鴎外は己の反発を露わにする必要は少しもなかった。むしろ上巻や同輩の妬心をそそることこそ、自戒すべきだった、と。
 鴎外と並ぶ明治の文豪・夏目漱石は大勢の門下生がおり、後に優れた文学者になった人々も多い。対照的に鴎外は色々な人々と交際はあっても、弟子は取らなかったそうだ。

 ロンメルにもヒトラーとの関係をやっかむ将軍たちが少なからずいた。「砂漠の狐」の異名を持ち、英国兵からも敬意を払われた名将だが、出自はドイツ南部の教養市民階級で、ユンカーが主流の国防軍エリートとは違っていた。
 最初の出会いからヒトラーとロンメルは馬が合ったようで、ドイツ帝国の遺風を漂わせる貴族肌の将軍たちの前では、2人ともくつろげなかった。他方、2人のしっくりした関係は軍上層部のエリートの間ですぐに注目され、やがてロンメルの急速な昇進とともに、彼は先任者たちの警戒の的になった。

 ヒトラーに抜擢されたロンメルは、参謀本部で正規の教育をうけない野戦指揮官だったが、机上よりも戦場で状況の変化に対応する戦術を臨機応変に組み立てた天才だった。1939年にフランスとの戦争が始まると、いつも独断で勝利につながる決定を下した。

 彼の素行は装甲師団の新しい運用術に道を開いたといえ、繰り替えし上官の不興を買う。旗下の兵士からは尊敬されても、師団や軍団単位の大規模兵力をコンサート宜しくタクトを振るはずの上級指揮官からはからは、大作戦に齟齬をきたすと反発を受けた。フランツ・ハルダー参謀総長はロンメルを、「気が狂った将軍」とさえ痛罵したほど。ハルダーは1941年7月6日付の日記に、こう書き遺している。
ロンメルは性格に欠点があり、ことのほか不愉快な人物として際立った存在だ。けれども誰もこの人物と衝突したがらない。(中略)一番高いところにいる御仁が支援しているためだ。

「一番高いところにいる御仁」こそヒトラーなのだが、 文面からは羨望と嫉妬が伺えよう。しかし、何につけても戦果は最大の成功の証である。ロンメルは自分の軍事的天分を引き出してくれる人物を、国防軍の先任者でなくナチスの独裁者に見出すことになった。
 こうして北アフリカ戦線の砂漠で危地に陥ったイタリア軍を救出する任務を受けたのは、貴族出身の優雅な将軍ではなく、軍上層部の閉鎖的サークルから疎外された「はったり将軍」であった。 

 ロンメルは陸軍中将に任命されると、北アフリカではすぐに英軍に大きな打撃を与え、瞬く間に大将となる。それでもロンメルは、何時も戦車や偵察飛行機に乗って最前線で戦局を指導し、気が付けば敵軍の真っ只中に迷い込んでいたこともあった。
 ヒトラーの祝辞と寵愛は、ロンメルの敵対者たちの嫉妬心を刺激した。嫉妬とないまぜになった反感は、型にはまらないロンメルを嫌ったドイツの上官たちの間で、沸騰するほどに高まっていた。

 軍には独自の命令系統や指揮秩序というものがある。上下の関係やシステムを無視して全能の命令権者ヒトラーと直接結びつくロンメルは、官僚機構としての国防軍で嫌われるのは当然だろう。
その三に続く

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (牛蒡剣)
2021-10-31 22:01:29
ロンメルはベルサイユ条約で10万人以下に規制された陸軍に,参謀教育を受けてないにも関わらず、残れた人物なので、必要以上に風当たりが大きかったと思います。しかも彼文才があり1次大戦の体験記がバカ売れしてベストセラー作家に仲間入りしておりこの点の妬みもあったようです。

勿論高級軍人としては戦術能力は滅茶苦茶高いですが大将 元帥として戦域全体を見通して、戦局改善につなげる能力はちょっとなあという方。特に補給計画が滅茶苦茶で正規の参謀教育受けた将校たちからすれば「自分が目立つために無茶滅茶苦茶ばかり
言いやがって!こん畜生め!」というのが本音だったと思います。まあ上官同僚からは恨みを買いやすいなあと。部下からすると権限をどんどん与えてyやりたいようやらせてくれて人気があったろうと思います。
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ミッターマイヤー (スポンジ頭)
2021-10-31 22:25:42
 ロンメルは明らかにミッターマイヤーのモデルですけど、ミッターマイヤーがゴールデンバウムの門閥貴族の間で昇進を妬まれたと言う話はありましたっけ?なければ意外に軍は風通しが良かったと言う事ですね。
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牛蒡剣さんへ (mugi)
2021-11-01 22:07:10
 ロンメルが上官から激しい嫉妬を買っていたことは本書で初めて知りました。wikiにも体験記がバカ売れしていたことが載っており、これも初めて知りました。尤も出版社とつるんで印税を脱税していますが、ベストセラーまで出したのでは嫉みを買いますよ。

「砂漠の狐」の異名があり、騎士道精神を持つ名将のイメージの強いロンメルですが、最近は見直されているようですね。本書にも補給に問題があったことが見えるし、ゲーリングも強い反感を抱いていたとか。

 ヒトラーのお気に入りでありながらロンメルは心酔者ではなかった。そして最後は「名誉の自決」だから悲劇です。
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Re:ミッターマイヤー (mugi)
2021-11-01 22:08:35
>スポンジ頭さん、

>>ミッターマイヤーがゴールデンバウムの門閥貴族の間で昇進を妬まれたと言う話はありましたっけ?

 何年も前にDVDを見たので記憶があいまいですが、そんな話はなかったような……
 
 門閥貴族の間で昇進を妬まれたのはラインハルトですが、下級でも一応貴族なのに平民のミッターマイヤーが妬まれなかったならばおかしい。話が複雑になるので、ミッターマイヤーへの風当たりは省略したのやら。
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Unknown (鳳山)
2021-11-02 08:01:23
森鴎外の舞姫の背景にそういう事情があったのは知りませんでした。

ロンメルは正規の参謀教育を受けていなかったので兵站の重要性を理解できてなかったそうですね。だから兵站にとらわれない非常識で大胆な作戦を実行でき、モントゴメリーなど常識的な英軍の指揮官たちは対応できなかったとか。しかし兵站の限界はあるわけで、最終的にロンメルが敗北したのはそこでした。
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鳳山さんへ (mugi)
2021-11-02 22:53:19
 私も本書で『舞姫』の背景を初めて知りました。あのロマンスはドロドロした男の嫉妬で描かれていたとは驚きます。

 何しろ軍事に疎いので、単にロンメルすげーと思っていましたが、兵站がネックだったのですね。むしろ正規の軍事教育を受けていない人のほうが非常識で大胆な作戦を実行できます。アラビアのロレンスもそうでした。
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森鴎外 (スポンジ頭)
2021-11-06 00:50:39
 永井荷風の話を読む限り、森鴎外に嫉妬深さとか感じられません。温雅で歴史や文学の真髄を求める人物です。無論、私が読んだ荷風の話はごく一部ですし、時期もあったでしょう。

 しかし、ウィキで脚気論争を読むと本当に酷いですね。科学を重視する医者の態度とは思えません。それに留学中は論文の捏造までやっています。軍医としての功績はあるのでしょうか。

 人の評価は複数の人間の意見を聞かなければできないものですね。
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Re:森鴎外 (mugi)
2021-11-06 21:41:59
>スポンジ頭さん、

 同じ軍医仲間と永井荷風とでは対応が違っていたと思います。当時としては女性蔑視が少なく、有名な女性文学者たちを早くから評価していたそうで、本書にある陰険で執念深い鴎外と同一人物には思えませんでした。

 当時ドイツ留学が出来るのはエリート中のエリートなのに、臨床実験もまったく行われていない論文捏造までしていたのは呆れます。安易に学術的権威の説を採用する医師は現代でも大勢いますが。

 私も脚気論争を読んで驚きました。日露戦争で陸軍で約25万人の脚気患者が発生、約2万7千人が死亡する事態となったのは恐ろしい。これでよく勝てたものです。
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森鴎外 その2 (スポンジ頭)
2021-11-07 09:38:38
>鴎外は軍医学校長として外に出され、陸軍省の軍医中枢のラインから外される。

 森鴎外の葬儀には勅使も来ていたのですが、鴎外としては失敗の人生だったのでしょうか?晩年は軍医と異なる道を歩みました。それでも世間からしたらエリートの成功者です。

> 当時ドイツ留学が出来るのはエリート中のエリートなのに、臨床実験もまったく行われていない論文捏造までしていたのは呆れます。

 同じく文学を志した寺田寅彦もドイツ留学をしましたが、こちらは立派な物理学者として東大教授となりました。これは性格の差なのでしょう。しかし、この人は東大主席卒業なんですね。

>日露戦争で陸軍で約25万人の脚気患者が発生、約2万7千人が死亡する事態となったのは恐ろしい。

 死亡率が10%を超えています。兵士が病気でそれだけ死ぬとは大問題ですよ。これで勝てたのですから、ロシア国内がそれだけ混乱していたとしか思えません。しかし、これだけの重大事になっていてかつ食事の問題が明らかになっているのに、細菌説に固執するのはもはや面子で反対していたとしか見えません。私が軍医だったら、この鴎外の下につくのは嫌です。
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Re:森鴎外 その2 (mugi)
2021-11-07 22:06:07
>スポンジ頭さん、

 世間からしたらエリートの成功者ですが、鴎外は足るを知らなかった男と本書では結論付けています。鴎外は爵位を欲していたそうですが、結局もらえませんでした。それを悔しがる言葉を遺しています。

 鴎外は東京医学校の卒業席次が8番ですが、それでもエリート中のエリートですよ。さらに文才もあり野心も並外れていたから、やはり足るを知らなかったのです。

 脚気といえば、単に足がふらついて立てない病気と思っていましたが、死に至る恐ろしい病だったのですね。大正時代には結核と並ぶ二大国民亡国病と言われたことがwikiに載っていて、死者が1,000人を下回ったのは1950年代とか。
 己の面子のために細菌説に固執した鴎外も罪深いですが、一般にエリート学者にはその類が少なくありません。
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