前回は『西部警察』最終回を記事にしたが、この回は世界№1の日本人テロリストが大門軍団に立ちはだかるストーリーだった。このテロリストにモデルがいたのかは不明だが、世界№1レベルかは微妙にせよ、かつて世界を震撼させた日本人テロリストがいた。テルアビブ空港乱射事件(1972年5月30日)を行なった元日本赤軍メンバーの1人、岡本公三こそが日本だけではなく世界を震撼させた日本人テロリストだった。
尤も中高年世代と違い20代の方には、テルアビブ空港乱射事件や岡本公三はもとより、日本赤軍さえ知らない人も多いだろう。60年代前半生まれの私自身、「テロリストは地獄の果てまで追いつめろ!」というブログ記事を見て、改めて事件を思い出したほど。
事件は、イスラエルの首都テルアビブ近郊の街ロッドに所在するロッド国際空港(現ベン・グリオン国際空港)で起きた。実行犯は岡本の他、日本赤軍幹部の奥平剛士に安田安之の計3名。以下はwikiからの引用。
「ロッド国際空港に着いた3人は、スーツケースから取り出したVz 58自動小銃を旅客ターミナル内の乗降客や空港内の警備隊に向けて無差別に乱射し、さらに、ターミナル前に乗客を乗せて駐機していたエル・アル航空の旅客機に向けて手榴弾を2発投げつけた。
この無差別乱射により、乗降客を中心に26人が殺害され、73人が重軽傷を負った。死傷者の約8割が巡礼目的で訪れたプエルトリコ人であった。死者のうち17人がプエルトリコ人(アメリカ国籍)、8人がイスラエル人、1人はカナダ人であった。犠牲者の中には、後にイスラエル大統領となるエフライム・カツィールの兄で著名な科学者だったアーロン・カツィールも含まれている」
現代では人出の多い空港などで銃を乱射しようとするテロ行為は珍しく無くなったが、当時一般市民への無差別襲撃は前代未聞であり、全世界に衝撃を与えた事件となった。その頃国内では、ロッド空港乱射事件と呼ばれていたのを憶えている。
実行犯のうち奥平と安田は現場で死亡、岡本は警備隊に取り押さえられ生き残る。2人が死んだのは、「奥平は警備隊の反撃で射殺。安田は手榴弾で自爆した」とされるも、詳しくは判明していないようだ。
日本赤軍による丸腰の民間人相手への無差別乱射に対し、国内外からごうごうたる非難が起こる一方、中東の過激派や一般民衆の中には英雄視する者も現れる。wikiには次の記述がある。
「事件は、パレスチナ・ゲリラを始めとするイスラム武装組織の戦術にも大きな影響を与えたと言われる。岡本らが初めから成功の望みがない自殺的攻撃を仕掛けた事はイスラム教の教義で自殺を禁じられていた当時のアラブ人にとっては衝撃的であり、以降のイスラム過激派が自爆テロをジハードであると解釈するのに影響を与えたとの説もある。
なおこのテロ事件を日本赤軍側はリッダ闘争と呼ぶ。リッダ(Lydda)はロッドの非ヘブライ語での名称である」
アラブ-イスラエル間の抗争にも関わらず日本人過激派が加わっていたのは、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)と日本赤軍が協力関係にあったからである。ロッド空港乱射事件の少し前の5月8日、パレスチナ過激派によるサベナ航空572便ハイジャック事件があり、事件はイスラエル特殊部隊により制圧される。
これにPFLPは報復を決意、ロッド国際空港を襲撃することを計画する。だが、アラブ人ではロッド国際空港の厳重警戒を潜り抜けるのは困難と予想されたため、PFLPは日本赤軍の奥平に協力を依頼、日本人によるロッド国際空港の襲撃が行われたという。
この経緯からロッド空港乱射事件は、必ずしも日本赤軍独自の発案ではないことが伺えよう。PFLPは日本赤軍幹部・重信房子と共同声明を出し、事件発生の日を「『日本赤軍』結成の日」と位置づけるなど、これに対抗する態度を取り続けた。
赤軍首脳部もまた、日本赤軍の名を世界に知らしめると同時に、テロに巻き込まれることを恐れる外国人にイスラエルへの訪問を躊躇わせ、それによりイスラエル国家に有形無形の打撃を与え、仲間のパレスチナ・ゲリラを間接的に助ける狙いがあったのだ。
その②に続く