2月24日のロシアのウクライナ侵攻直前の河北新報は、「ウクライナ危機/ロシア侵攻に口実与えるな」(2月22日付)とロシア侵攻に口実を与えた側も悪いと言わんばかりの社説を掲載し、侵攻翌日には「ロシア ウクライナ侵攻/世界秩序 再構築に結束を」など空虚なお題目を書いている。
ただ、侵攻前の21日付国際・総合面のトップ記事はなかなか読ませられる内容だった。大見出しが「軍事介入 夫婦引き裂く」でその上に「ロ・14年にクリミア半島編入」のトーン付文字がある。この新聞にしては久しぶりに興味深い国際ニュースだったし、以下は見出し文。
―ロシアによる2014年のウクライナ軍事介入が、長年連れ添った夫婦を引き裂いた。妻(64)は別居した夫(71)に二度と会うつもりはない。「だって敵だから」
続いて記事全文を引用したい。
―ウクライナ人の妻、タチヤナ・エジョワさんは同国東部ルガンスクの名家の出身、夫は元ロシア兵士だ。ロシアを巡る感情の開きから夫婦の関係は修復不能になり、妻は親露派武装勢力の支配地となった故郷を離れて東部ハリコフに移住した。しかしロシア軍の大部隊は昨年来、ハリコフの約30㌔先の国境近くに張り付いている。
ロシア人とウクライナ人の結婚は、ロシアでもウクライナでも普通のことだ。夫は1970年代に当時ソ連だったウクライナに駐屯した際、ルガンスク在住のタチヤナさんと結婚した。夫の実家は軍人が多く、妻の実家はルガンスク初代市長に連なる家系だ。
「夫はウクライナを好きになれなかったが、私はロシアが大好きだった」とタチヤナさん。
全てを変えたのは、2014年のロシアによるクリミア半島の一方的編入と親ロ派武装勢力の出現だった。平和だったルガンスクはロシアを後ろ盾とした同勢力と、ウクライナ政府軍の紛争地となり、ミサイル発射や民家への誤爆が相次いだ。砲撃による振動で自宅は揺れた。
市内では自動小銃を構えた男たちが並び、歩道にはウクライナ国旗が敷かれた。踏んで歩かせようとする親ロ派勢力の仕業だった。タチヤナさんは町の変貌を見て「ロシアのプーチン大統領は盗賊で人殺しだ」と感じ始めた。
「ルガンスクではウクライナが好きだと話すと、身に危険が及ぶ」といい、家族同様に付き合っていた隣人から、自宅ドアにチョークで「出ていけ!」と書かれた。危険を感じて同年6月、足が不自由な夫を残してハリコフ在住の娘ガンナさん(41)宅に身を寄せた。
その後も夫の面倒を見に帰っていたが、ロシアびいきの夫といつも口論になり、19年を最後に帰宅をやめた。ウクライナを愛する友人らも町を出た。
ロシア国境に近いハリコフはロシア軍に最初に侵攻される可能性も指摘される。「それでもウクライナが好きと堂々と言えるこの町が大好き」とタチヤナさんは言う。もし侵攻されれば、ウクライナ部隊の後方支援に全力を尽くす決意だ。
記事には12日に取材に応じたタチヤナさんとガンナさん母子の写真も載っている。母子でも目元や鼻、口の形が微妙に異なっており、娘は父親似なのやら。このような形で長年連れ添った夫婦が引き裂かれたのも哀しいが、ロシアとウクライナのハーフである娘はどのような思いなのだろう。他人事ながらロシア人の夫のほうは今どうしているのか、想像したくなる。
このようなケースは他にもあるかもしれない。例え夫がロシアびいきでなくとも、この先ルガンスクでウクライナ人が暮らしていくのは極めて難しいはず。親ロ派勢力が歩道にウクライナ国旗を敷き、踏んで歩かせようとしたほどだから。
おそらく少なからぬ日本人読者は、家族同様に付き合っていた隣人が自宅ドアにチョークで「出ていけ!」と書いたことに衝撃を受けたのではないか?日本人は民族対立や紛争に疎いことが多く、ここまでしなくとも......と思っただろう。
しかし、ここまでやるのが民族紛争なのだ。むしろ「出ていけ!」と自宅ドアに書く程度は序の口に過ぎず、家族同様の付き合いがあっても暴力を振るわれるケースも少なくない。隣人や知人が敵になるのが民族紛争である。
20世紀末のルワンダ紛争において、全国民の10%から20%が虐殺されたとされるが、どうせアフリカだから、と思った日本人もいたことだろう。しかし、20世紀末に10年間も続いたユーゴスラビア紛争でも凄惨な民族浄化が行われている。この時も家族同様に付き合っていた異民族の隣人が敵に豹変したのだ。このような社会情勢は日本人の想像を絶する。
それでもアフリカやバルカン諸国のような“民度の低い”地域とは違い、人権意識の高い西欧ではこのようなことはないと思っている能天気日本人もいるだろう。そのような人には20世紀末まで続いた北アイルランド紛争を見よと言いたい。
こうしてみると、日本のメディアががなり立てる“多文化共生”という言葉くらい、薄っぺらいものもない。この言葉を使っている連中も内心では信じていないと私は見ている。
その二に続く
◆関連記事:「ロシア侵攻に口実与えるな」
1月ごろは戦争が発生するとはとても思えず、オデッサの人も基本的に無関心、戦争があっても東の方が取られるだけ、と言う感じです。1月22日の日付の記事を見ると、開戦を心待ちにしているように見える日本のネットの書き込みに対して激しい嫌悪感が書かれています。小泉氏と見られる人物に対する反感も述べられています。生活基盤のある方にとって、軽々しく戦争勃発を認める事はできません。
この方は、ロシアがウクライナに侵攻するのはそうそうないだろうと思われていました。ウクライナ人に対する憎しみがあるはずもなく、「合理と規律で行動する(筆者の考え)」ロシア軍が無茶をするは考えておられなかったのです。ウクライナが破壊されればロシアの世論もも黙っていないだろうと。また、戦争が勃発しても食料の備蓄などがあるのでウクライナに残るおつもりでした。
結局この方は家族三人で無事脱出されたのですが、プーチンに対して激しい反感を持っているのに対し、開戦後もウクライナをむやみに破壊するはずがないと信じておられました。今振り返るとこの方の感じていた話と異なる経過をたどりました。また、ウクライナ・ロシア政府の発表は無闇に信用はできず、真実はどこにあるのか分かりません。この方のご家族と、ウクライナに残っている親族の方の幸運を祈ります。
ttps://nanioka.com/five-days-in-january/#toc1
こちらは、1月時点で小泉氏がこの方に対して用心するよう書き込まれた文章です。現実は日本在住の小泉氏の予測が的中してしまいました。残念な事です。
ttps://twitter.com/OKB1917/status/1483076353922826241
オデッサに居住、ウクライナ人(?)の妻のいる日本人の話は興味深いですね。奥様のロシア人の母はとかもく、ウクライナ語を解さないウクライナ人の父もプーチン支持とは意外でした。
ウクライナ軍事侵攻があったので、『悪魔の選択』(F.フォーサイス著、角川書店)を暫くぶりで再読しています。この小説は1979年に発表されていて、ウクライナ人過激派が登場します。旧ソ連時代、ウクライナでは徹底したロシア化政策が取られていたことが載っていますが、ホモドロールは記されてなかった。
件の日本人は、「私らの生活は全く平穏そのものだしこちらの親族友人ですわロシア侵攻かみたいな話してる人一人もいないです」と書込んでいましたね。今から見れば嵐の前の静けさでしたが、部外者が開戦を予測する書込みに激しい嫌悪感を抱くのは無理もありません。
しかし、「合理と規律で行動する」ロシア軍が無茶をするは考えず、ウクライナが破壊されればロシアの世論も黙っていないだろう、に至っては甘すぎるような。アフガン侵攻だけでロシア軍が合理と規律で行動するはずもなく、プーチンの情報統制も知らなかった??
ロシア人の義母や半ロシア人のような義父はさておき、開戦後もウクライナをむやみに破壊するはずがないと信じてに至っては、この日本人もお花畑頭に見えます。チェチェンやシリアで何をしたのか報道を見ただけで分かるはずだし、焦土作戦は十八番の国でした。
対照的に日本在住の小泉氏の予測は素晴らしい。現地で暮らしていた日本人の方が気付かなかったのは残念でした。