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倫理と宗教 その②

2010-06-30 21:14:14 | 読書/ノンフィクション
その①の続き
 成果が出ないなら存続も危ういのが国家や企業のような世俗組織であり、そこが一向に成果が表れないが故に続くのが宗教という「聖なる組織」との決定的な違いだと、塩野七生氏は強調する。さらにイスラム、キリスト教も、成果が出ない時に実に適した“理論武装”がある。神の教えに従わなかったから、というのがそれで、成果に結び付かなかった責任は、それを説いた神ではなく、説かれたのに実行を怠った人間の方にあるという訳だ。共産主義には同意できないが、宗教はアヘンであると言ったマルクスには同感しないでもない、と氏は書く。共産主義もまた宗教に劣らぬ凄まじいアヘンだったと私は思うが、この“宗教”のルーツもユダヤ、キリスト教だったのだ。

 これらを踏まえ、塩野氏は日本人に提言する。また「倫理と宗教」から紹介したい。

21世紀に入ってからの世界は、キリスト教とイスラム教という二大一神教同士かにらみ合い、互いに相手に負けまいとして声を張り上げ、しかもそれでも足りずに腕力を競い合うという、厄介な状況になりつつある。このような時代は、一神教でないと肩身が狭いような思いになったとしても無理はない。しかし本当に、それは確かな根拠があるのだろうか。
 もちろん、自分たちの信ずる神以外は認めないからこそ一神教徒である人々からすれば、古代ローマの三十万どころか八百万という日本の多神教は宗教ではないと言うだろう。だが、この考え方はあくまでも、宗教は一神教しかないと思う人の考え方である。

 しかも、一神教と多神教の違いは、1人と多数という神の数にあるのではない。もっとも本質的な違いは、一神教には他の神々を受け入れる余地はないが、多神教にはあるというところにある。要するに他者の信ずる神を認めないのが一神教で、認めるのは多神教なのだから。
 そして、ここが最も重要な点なのだが、信仰という行為が多くの善男善女にとって大切なことである以上、他者の信じる神の存在を許容するという考え方は、他者の存在も許容するという考えと表裏関係にあるということである。これを多神教時代のローマ人は、「寛容」(クレメンティア)と呼んでいた。


 宗教を持たないと言って非難してくるキリスト教徒やイスラム教徒がいるとすれば、それに対して出来る我々日本人の反論は、多神教徒ゆえの「寛容」を掲げることに尽きる、と氏は述べる。あなた方こそ非寛容だとする論法くらい、一神教にとってのアキレス腱はないからだ、と。氏は次のように最後を締めくくる。

それに今は一神教の方が声が高いが、自分たちだけが正しいと信じている人の常で、遅かれ早かれ揺り戻しの時期がくる。要するに、「非寛容」で押してきた双方ともが壁に突き当たり、やむを得ずにしても「寛容」に転換する時期が必ずや来るということだ。その時こそが日本人の柔軟性が活きてくる時だから、我々日本人はその時を、自信を持っていけばよいのである。

 塩野氏の最後の結びには私は疑問を感じる。確かに一神教徒双方が壁に突き当たり、やむを得ずにしても「寛容」に転換する時期が来ることもあるだろう。だが、それも小康状態で、遅かれ早かれ「非寛容」の揺り戻しとなるはずだ。中世以降、世界の富や文明の先端をいっていたのこそ一神教であり、中世はイスラム、近代以降はキリスト教だった。インド、中国のような多神教圏も富と独自の文明を築いていたが、地域大国だったのは否めない。そして、前者はイスラム王朝に支配されてしまった。イスラム諸王朝やイギリスといった一神教に長く支配されながら、現代も多神教文化圏であり続けているのは驚嘆させられるが、これも「寛容」があったからだろうか。

 21世紀でも世界の富や情報を支配しているのは欧米であり、一神教徒なのだ。イスラムとキリスト教の対立は今始まったことではなく中世以来続いており、イスラム誕生から計算すれば、千四百年間も確執が続いているとなる。それこそ倫理性の欠片もない争いも珍しくないし、互いに誹謗中傷同然の情報戦も繰り広げる。宗教とは同教徒には倫理性を保つ効果もあるが、異教徒には非倫理行為を働く原因にもなるようだ。
■参考:『日本人へ/リーダー篇』(塩野七生著、文春新書752)

◆関連記事:「キリスト教の聖人
 「インドが長く支配された訳

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20 コメント

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脱宗教が進まぬ米国 (室長)
2010-06-30 23:55:51
mugiさん、
1.米国は未だに宗教の影響が濃い
 倫理と宗教、これに関して、小生もアメリカ人に説明を試みたことがあります。
小生:「日本人は、死ぬときは仏教で葬式をし、結婚するときは神道で、或いは信者でないのに、キリスト教式の結婚式を挙げたりするけど、近代教育を受けた後は、本当は宗教には大した関心がない。」
アメリカ人:「宗教が無くて、どうやって倫理観を保っているのか?」
小生:「儒教を単純化して、侍の時代に成立した『心学』というのがあって、それにより・・・盗むな、嘘をつくな、人に迷惑をかけるな、努力せよ、勤勉であれ・・・などの基礎的な道徳感情は、親とか村社会によって厳しく教えられている。日本に来た外国人で、キリスト教国より倫理観が低い、と感じる人は少ないと聞く」。
 儒教とか、心学とか、彼らは知らないし、興味もないらしく、普通は以上の議論で終わりで、それ以上深く議論したことはないです。一度仏教の教えを詳しく説明しはじめたら、「そんな異端的な話は聞きたくない」と拒絶され、以降は、気をつけて、宗教論議は避けることとしました。
 基本的に、アメリカ人の多くが、宗教に関しては、相当過激派で、自分自身のキリスト教のなかのセクト(宗派)に沿った、細かい議論、教義に凝り固まり、他宗派、ましてや異教徒との議論は好まない感じだとの印象です。

 他方、ユダヤ教徒、或いはユダヤ系のアメリカ人の中には、多神教としての神道、仏教にも関心を示す者もいました。しかし、小生自身、宗教への関心は薄かったので、神話とか、浄土真宗の簡単な説明しかできませんでした。何れにせよ、アメリカ人は、欧州人より、未だに宗教的な人間が多い、という印象です。

2.欧州は、啓蒙主義、及び社会主義のせいで、無宗教化がより進展している
 欧州の場合、特殊かもしれませんが、小生の二女の結婚相手のイングリッシ(アングロ・サクソンの技術者の子息)家族は、教会に行かない「無宗教」で、二女も宗教嫌いなので、結婚式も「市民結婚方式(結婚誓約は、市役所職員の前で行う)」でした。娘によれば、周囲もほぼ同様で、あまり教会に行く人など見ない、という。もちろん、カトリック王国のアイルランドでは、日曜には教会に行き、帰りにパブで飲む、という人々が多かった気がしますが。

 ブルガリア、ベラルーシ、或いはロシアも、自由化後は、その政治指導者らは、急に良きオーソドックス信徒(ロシア、ベラルーシはロシア正教、ブルはブルガリア正教)を気取り、正教総主教の手にキスしたり格好を付けますが、プーチンも、ルカシェンコ(ベラの独裁者)も、ブルのボリーソフ首相も、元来教育を受けたのは共産主義者としての、「無神論教育、反宗教教育」のはずで、今でも良き信徒になったり、毎週日曜には教会に出かけるなどしていないはずです。単にそれ(信徒気取り)が時代のモード(流行)だからだし、選挙の票取りのためでしょう。

 とはいえ、キリスト教国として復活した旧ソ連、東欧などで、一神教の教義につき完全に無知かと言えば、そうでもないと思う。彼らの母親とか、祖母、祖父、などから、秘かにGOD(スラヴ語ではBog)とか、マリアとか、色々教えられていたはずです。しかし、正直共産主義時代、聖書はほぼどこからも消えていて、もちろん書店では買えなかった。神学校くらいしか、聖書が読める場所はなかったはずです。だから、未だに、宗教的な知識には乏しいし、本当の信徒というのも少数ではないかと思う。伝統文化の復活と、流行として、教会に出かける機会は増えているけど、中身は薄いという印象。

3.脱宗教が進んでいない、だから、米国はイスラム圏との軋轢がより多いのでは?
 要するに、小生が思うに、米国は、善悪をキリスト教的一神教教義に沿って判断して、戦争口実を作り上げ、よく戦争するほど、fanaticな面が残るが、欧州はもはやそれほどfanaticではなくなっていて、より寛容ではないか?ということ。
 なお、mugiさんの言うとおり、教義上「寛容」とか、「妥協」と言うことはあり得ないはずですから、「脱宗教」が進展するのを待つ以外に、対立は収まり得ないと思う。
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RE:脱宗教が進まぬ米国 (mugi)
2010-07-01 22:02:29
>室長さん、

 米国民の四分の一がキリスト教原理主義者と聞いたことがありますが、これはかなりの数ですよね。こちらもイスラムのそれと同じく過激のようです。例えば妊娠中絶反対派には中絶を行う病院を破壊したり、医師を殺害する者までいます。歴史が浅い国なので宗教面ではかなりfanaticな面があるようですね。

 一神教自体が多神教への全面否定と対決より成立しているので、一般人は仏教の教えなど聴きたくないでしょう。にも拘らず、一神教の本家のユダヤ系アメリカ人には、多神教に関心を示す者がいたとは意外でした。ただ、シンパづくりやビジネスに利用する
目的もあると思います。山本七平と繋がりのあった米国人ラビのマーヴィン・トケイヤー氏など、かなり神道とユダヤ教を絡めることを述べていましたが、これは親近感だけではないと私は見ています。
 もっとも、教条的なユダヤ過激派も米国にあり、独自の服装をしています。イスラエル国家の存在を認めず、国旗も焼いたりする者までいる。その理由はパレスチナ人を非人道的に扱っているからではなく、律法に基づかない世俗国家がいけないからです。
 
 対象的に歴史がある欧州は、わりと「脱宗教」が進んでいるようですね。貴方の英国人の女婿のケースも興味深いです。本来の宗派は英国国教会でしょうか?日曜毎に教会に行く人は、昔に比べ少なくなってきたのかも。
 米国の「脱宗教」こそが問題のカギを握ると思います。しかし、この超大国は「脱宗教」よりも、宗教に入れ込む度合いが強まっているような。そのため、イスラム圏との軋轢は治まりそうにありませんね。
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ユダヤ人の脱宗教度 (室長)
2010-07-01 23:50:41
mugiさん、こんばんは、
 在米ユダヤ人のかなり多くが、既に脱宗教の傾向があるのではないか?と思いました。小生が会ったユダヤ系米国人は、軍人が多かったので、特殊かも知れないけど、彼らはあまり熱心なユダヤ教徒ではなかったし、多神教などについても知識を広めることにとまどいを覚えるような、狭い見識、知能度の低い人々ではなかった。
 ジャーナリスト、或いはハリウッドの映画監督などのユダヤ系も、やはり近代啓蒙主義の継承者というか、冒険主義的に新しい分野に関心を持って挑戦する、そういう人々の方が多いのではないか?既製の宗教にとらわれない人の方が多い・・・・すなわち「脱宗教化」している場合が多い、という印象なのですが、あいにく直接つきあいのあるそういう階層の人はいないので、断言は出来ない。
 二女の婿の家庭が本来どういう宗教なのか?・・・そういえば、あまり関心がないので質問したこともないです。アイルランドに在住していた経験も長いというので、何となくカトリック系だったのか?と思ったこともあるけど、そういえば、イングリッシですから国教会の方が可能性は大ですね。全然上流ではないから、元来滅多に教会に行かない家系だったかも。彼らの友人らも、本当に宗教に関心のある人は少ない連中で、スポーツとか絵画、ミュージック、ダンスにしか関心がない感じです。

 二女も、婿も英国の美術大学で絵画を学んだのですが、もちろん画家としては売れなかったし、絵画系の技術では、仕事が見つからなかった。ほとんどの級友らもそうです。大卒でも、美術系は仕事が見つからないので、気の毒です。それでも、給与は低いけど、何とか就職口を見つけ、10年ほどのフリーター生活後、普通の市民になれた、というところ。あちらの両親も、結構毎週末3時間も高速を走り駆けつけてきては、パブで食事をおごったり、それなりに経済支援してくれる。意外に日本と同じで、家族愛は深い!むしろ日本以上とも言えるほど面倒を見る。暖かいです。
 英国人、アイルランド人、双方知っている娘達は、両方大好きです。歴史的背景から、相互に仲は悪いし、肌合いが合わないのですが、我々外国人から見れば、さして相違点ははっきりしない。
 
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フランス革命で (madi)
2010-07-02 10:23:00
ことしはパリ弁護士会復活200年にあたります。フランス革命で1790-1810年のあいだ廃止されていたのです。聖職者階級の復活はもうすこしはやかったはずです。
 弁護士や聖職者階級をつぶしたほうが混乱がおおきいという歴史実験はすでになされていたのですね。
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RE:ユダヤ人の脱宗教度 (mugi)
2010-07-02 21:29:20
>こんばんは、室長さん。

 米国の知識人にはユダヤ系が多いし、彼らには教条的なユダヤ教徒はまず少ないと思います。ただ、彼ら自身は「脱宗教化」していても、その分敬虔なキリスト教徒を利用することもあるのではないか、と私は考えています。つまり、聖書を引用し、親イスラエル世論づくりに貢献することも行う。何しろ、ホワイトハウス記者会見室の「特等席」を与えられていた名物記者さえ、あの国に対しては批判も出来ないのですから。ユダヤ人を悪く描いたハリウッド映画など、未だに見たことがありません。

 英国のロックミュージシャンには美術大学で学んだ人が結構多いですよ。もちろん、日本と同じく音楽や美術で成功する人は一握りだし、結局は堅気の仕事に就く他ないようです。 
 欧米の若者は成人したら、親は一切面倒を見ないと言っていた日本の文化人がいましたが、必ずしもそのような親ばかりではないようですね。そういえば、ニートの言葉は英国発祥です。あるB級英国映画では、母親と同居し職に就かない若者が登場していました。母親は口やかましく、あれこれ息子に注意するのだから、日本以上だと感じました。
 ところで、上流の英国人は教会に行く機会が多いのでしょうか?

 どこの地域でも隣国は仲が悪いのが常でしょう。日本と朝鮮も相互に仲は悪く、肌合いが合わないのですが、外国人はその相違点を認識しているのでしょうか?先日、台湾人のブロガーさんからもコメントがありましたが、「日韓問題は複雑ですよね」と論評しています。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/700c2d77a76e91b45a9b9ce72fc455ca#comment-list
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RE:フランス革命で (mugi)
2010-07-02 21:31:37
>madiさん、

 フランス革命により、聖職者ばかりか弁護士会も廃止されていたとは知りませんでした。
 革命前の聖職者が腐敗堕落していたのは確かですが、クリーン好みの革命家よりも、生臭坊主の方が無難ということですね。
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上流の英国人は? (室長)
2010-07-03 16:33:32
mugiさん、こんにちは、
 上流の英国人が教会に行くか?というのは、小生には難しい質問です。ロンドン勤務の経験もないし、英国紳士達を詳しく観察したことがないから、正直分かりません。意外に色々なことに関し、昔は興味が無く、観察していなかった、と自分ながら呆れます。

 アイルランドなら、上流階級も、二派に分かれていて国教会系のプロテスタントなら、英国国教会系の教会に、カトリックならカトリック系教会に、それぞれ日曜毎に集まり、その後は、それぞれお決まりのパブに集まって酒を飲むのですが。
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倫理とは、知性とは (shiretoko)
2010-07-03 21:23:47
mugi様お世話になります。

別の欄で、mugi様がキリスト教徒に対して政教分離の訴訟を起こすことはできないかとおっしゃったことにもつながるのかもしれませんが、常々思っていたことを述べさせていただきます。キリスト教徒またはそれらしき人が、日本は無宗教であると主張します。なぜなら、明治時代religionに対応する言葉がなく宗教という造語を創ったのである。だから、日本には宗教が存在しなかった。迷信しかなかったのである。このような論説を彼らから聞くことがよくありました。彼らの主張の通りであれば、日本における宗教はキリスト教だけになります。であれば、日本国憲法に規定されている政教分離の原則は、キリスト教にだけ適用されるのではないでしょうか。神道、仏教、修験道、陰陽道等々は「迷信」ですから、目的効果基準における習俗の範囲内に規定されるのではないでしょうか。

彼らは二言目には日本人はキリスト教を受け入れなければならない、と言いますが、これは日本国憲法に定められた信教の自由を侵害していることにならないでしょうか。

キリスト教徒や左翼は、日本の価値観を否定することができるのであれば、どのような見解にも話に乗ります。しかし、日本を否定する複数の見解を一つにまとめてみれば、矛盾だらけになります。なぜその矛盾に気づかないのか不思議な気持ちになります。

一神教でなければ倫理、道徳が存在しないのであれば、なぜ、キリスト教国の犯罪発生率は、日本のそれよりも高いのでしょうか。2005年のOECD加盟26カ国の統計で、犯罪率の最も低い国は日本です。そして日本以外の国はすべてキリスト教国です。なんの根拠があって日本には倫理がないと言えるのでしょうか。また、ハゲタカファンドに倫理があるのでしょうか。

「ノルウェー捕鯨の三重苦」でmugi様からお返事を頂いた中に、「国内のキリスト教徒にも、アングロサクソンのキリスト教的価値観に盲従する輩もいるのです」とありました。まったくおっしゃるとおりですが、素朴な疑問として、この件だけではなく、他のことでも、自分自身が差別される根拠となっている宗教をなぜ信仰するのかさっぱり分かりません。

>ローマ法王が信者に向かい説くことの殆どは、キリスト教を信じない異教徒が見ても正しい。

このような通俗的な教えしか垂れない宗教がなぜ生き残るのか不思議ですが、裏を返すと差別的な言葉遣いになりますが、知的水準の低い人にターゲットを合わせているのではないかと思います。ヨーロッパの知識階級の人がなぜキリスト教から離れていくのか。なぜ、日本、インド、東南アジアでキリスト教が受け入れられなかったのか。なぜ、韓国、フィリピンでキリスト教が受け入れられたのか。答えはここにあるのではないでしょうか。

>塩野氏の最後の結びには私は疑問を感じる。確かに一神教徒双方が壁に突き当たり、やむを得ずにしても「寛容」に転換する時期が来ることもあるだろう。だが、それも小康状態で、遅かれ早かれ「非寛容」の揺り戻しとなるはずだ。

おっしゃるとおりだと思います。これも差別的な言葉遣いになりますが、一神教(特にキリスト教)には、反省し教訓を得る能力は組み込まれていないと思います。未だに中世暗黒時代から何度も同じ失敗を繰り返しています。精神的奴隷状態と言えるのではないでしょうか。

mugi様の論述を読ませて頂いて、まとまりはありませんが思うところを書かせて頂きました。これからもよろしくお願い致します。
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RE:上流の英国人は? (mugi)
2010-07-03 21:35:01
>室長さん、こんばんは、

 前の貴方のコメントで、婿殿は「全然上流ではないから、元来滅多に教会に行かない家系だったかも…」とあったので、ならば上流は教会に行くのか?と、ふと疑問に感じたのです。上流、労働者階級問わず、個人差もありますが、現代の英国人は昔ほど敬虔なクリスチャンではなくなってきたのかもしれませんね。

 アイリッシュが新教、旧教を問わず、日曜礼拝の後、パブに集うというのはいかにもです。日本人クリスチャンも熱心に日曜礼拝する人もいますが、日本人が全てキリスト教に帰依することを祈っているのやら。
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日韓関係 (室長)
2010-07-04 00:13:55
mugiさん、日韓関係について少し小生の意見をコメントさせてください。
1.戦略的パートナー
 日本にとっては、社会主義勢力の北朝鮮、中国との「緩衝国」として、韓国の存在は、軍事的に心強いものです。
 韓国にとっても、日本に駐留する米軍が、有事における最後の頼み、という意味でも、民主主義国日本が背後にあることは、軍事的に見て好ましいはず。
 すなわち、双方の利害は一致しているし、海を隔てた隣国というのは、それなりに大陸国の隣国とは違い、仲良くできる場合もある、と思う。

2.心暖まるエピソード
 先般釜山で、ツアー客が射撃場の火事で死亡したときも、家族が毅然としていて、韓国民は、日本人が泣きわめいたり、声高に賠償を要求したりという、中国式、韓国式なら当たり前の態度を取らなかったことに感嘆して、対日印象がよくなった、という新聞記事があった。日本でも、地下鉄で線路に落下した酔っぱらいの女性を救助して、命を落とした韓国人青年に賞賛の声が上がった、と記憶します。
 相互によい思い出を積み重ねていけば、隣国同士でも、徐々に関係はよくなりうると信じたい。

3.韓流ブーム
 最近、ある韓国人有名俳優が自殺して、そのお通夜だか葬式だかに、100名もの日本人(女性)が参加して涙を見せ、韓国社会にやはり対日感情を和ませる効果らしいものがあるらしい。
 小生も、韓流時代劇、歴史劇が大好きとなったし、韓国料理も好きです。理論的に納得できない件に関しては、小生も妥協は嫌だけど、仲良くできる部分を積み重ねていくべきだとは思う。
 ともかく、地政学的にというか、根本的に中国に対しては、軍事的警戒心を解くわけにはいかない相手だが、韓国とは、台湾とともに、手を組むべき仲間だと思う。小生は、日韓台湾3国が助け合う、というのが、正しいあり方だと思う。
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