トーキング・マイノリティ

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書物に見るクレオパトラ

2007-07-16 20:28:52 | 読書/中東史
 世界史上、クレオパトラほど著名な女性は他にいないだろう。現代でもクレオパトラといえば子供でも知っている。J.ネルーは娘に当てた手紙にこう記している。「彼女はその美貌によって名を残した数少ない女性だ。彼女の評判はあまり芳しいものではない」…

 クレオパトラの評判が芳しくない原因は、何と言ってもカエサルやアントニウスという、2人の名だたるローマの英雄と関係を持ったことだ。エジプト、ローマともに古代社会は性的に大らかだったが、これはクレオパトラの生前からローマ人には悪評であり、娼婦女王呼ばわりされていた。女によって破滅した男は古代から現代まで珍しくもないが、アントニウスなどはその典型。勝者のローマが悪女と断罪したのも、己の覇権主義を正義と言いくるめたい背景もあるだろう。

 一方クレオパトラに同情的な人は崩壊寸前のプトレマイオス朝を彼女一人が背負っていたことを指摘し、悲劇の女王と見る。そして悪女とする見方を男優位の蔑視からだとする。歴史家のほとんどは男なので興味本位も加わり、神話が膨らんでいった。クレオパトラを語るのはもっぱら西欧人だったので、故エドワード・サイード氏ならオリエンタリズムも挙げたかもしれない。英雄を魅了した異国の美貌の女王など、西欧人ならずとも好奇心をかき立てられる。

 クレオパトラへの評価は「男を惑わせた悪女」「悲劇の女王」に2分されるが、そのどちらでもある。エジプトやローマと無関係な日本人の本もその解釈で書かれている。かなり前、吉村作治教授の著書『クレオパトラの謎』(講談社現代新書)を読んだことがあるが、教授がクレオパトラの髪は赤茶けた金髪だったのではないか、と書いた箇所には驚いた。エジプトの支配者といえ、ギリシア系の血筋を守るため近親婚を繰り返していたので、金髪の方が可能性は高いが、金髪のクレオパトラでは違和感を覚える方もいるだろう。

 作家・宮尾登美子さんも『クレオパトラ』という、彼女を主人公とした歴史小説を書いている。この小説を読んだ友人に言わせれば、「“女”クレオパトラのメロドラマ。廓ものでも書いていればいいのに」。私も宮尾作品としては駄作だと思うが、クレオパトラという題だけでつい見てしまった。女王よりも一人の数奇な女の生涯を描いてあるのだが、それが登場人物全体の矮小化に繋がっている。敵となるオクタヴィアヌスも単なる陰険な若者にしか感じられなかった。

 同じ女性作家でも塩野七生氏となれば、クレオパトラに対する評価は実に辛辣だ。『ローマ人の物語』5巻目にクレオパトラが登場するが、気の強い自信過剰な野心に燃える女王といった描き方。それだけならまだしも、「女の愚かさ」という表現でクレオパトラの手腕を非難、最後も「毒蛇は野心だけが先走った女の一生を終わらせた」。塩野氏の男性読者も「女性というのは、実に同性に手厳しい」と感想を述べていた。
 新潮社の『ローマ人の物語』の人気登場人物アンケートによれば、女性部門のナンバーワンがやはりクレオパトラだった。「愚かにして美しい」(男34歳)「男が常に求め続ける女の美」(男45歳)などの見方がある一方、女性読者からは人気薄だったとか。

「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、歴史は変わっていただろう」と言ったのはパスカルだが、芥川龍之介はこれに反論しており、「あのような立場にいた女性なら、少しくらい鼻が低くても変わらない」と。J.ネルーも芥川とほとんど同じことを書いている。例え絶世の美女でなかったとしても、ローマの男たち、特にアントニウスを骨抜きにしたのは確かであり、魅力に富んだ女だった。
 吉村教授は現代のイタリア人にクレオパトラをどう思うか聞いたらしい。「クレオパトラ?結構。あんないい女ならエジプト人だろうがシリア人だろうが、今のカミサンおん出して一緒になる」と答えた者もいたというから、さすが女好きのイタリア人。

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5 コメント

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美女好き (Mars)
2007-07-16 22:16:49
こんばんは、mugiさん。

日本では、世界の三大美女とはいえば、クレオパトラ・楊貴妃・小野小町ですが。実はこれ、日本だけで言われている三人だそうです。世界的に言えば世界三大美女は、クレオパトラ・楊貴妃・ヘレネだとか。美女が嫌いな男性は、○性愛者を除き、少ないでしょうね。

美女からは、全く相手にされない、私がいうのも何ですが、上記の美女達が優れていたのは、何も美貌だけでなく、男を虜にする仕草・立ち居振る舞いがあったからだと思います。反対にいかに美貌の持ち主でも、鉄火面のような女性よりも、美貌が劣っていたとしても、仕草・立ち居振る舞いがよい女性の方が人気がありそうです。
そういう意味から言えば、「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ~」の仮定も、芥川先生の意見に投票します(汗)。

「人は見かけが九割」という本もありますが、他人同士の社会では、見かけこそ重要でしょう。
しかし、親族・友人・恋人ともなれば、人は見かけだけではなく、内面的な良いところも、悪いとことも見えてきますが。それを単に指摘するだけではなく、妥協していくのも、見かけだけではなく、かといって内面だけを、取り立てて評価をするでもなく、、、。
「美女は見かけが九割」なのでしょうか?

私は結婚していないので分かりませんが、母親曰く、
「恋愛時は相手の九割を見て、結婚後は相手の九割に目をつぶる」とか。
難しいものですね(劇汗)。

追伸、
埼玉県には、「美女木」という地名もありますが。宮城他にも、「美女」に関する地名はあるのでしょうか??
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後世へ話題提供で功一級 (のり坊)
2007-07-16 23:51:19
わお~、クレパトラですか。なんとも劇的な生き方の人ではありますなあ。
彼女の動き方一つで大きく歴史が変わってしまったし、別なメが出ればあるいはその後のエジプトも全く違っていたかも知れぬ...
ハハハ、塩野さんは、この人には特に辛口ですね...凡庸ならば女王にまでなろうとしないだろうし、まあ後世への話題提供だけでも功一級なんですけどね。
とういわけで単なるBookish Learningですが去年の夏頃、このひとなどを追いかけてました。
で、TBさせていただきます。最近は、はなの高さなどはなんとでも...!?
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2007-07-17 21:13:16
>こんばんは、Marsさん。
極度の○性愛者でもない限り美女が嫌いな男性がいないように、美男が嫌いな女性もいません。いつの時代も美しい者が愛される。美男美女はそれだけで得ですね。ハァ~~

一部の学者の意見だと、楊貴妃は男好きのする白痴型美女だったとか。確かに頭が切れたなら、則天武后や西太后のようなコワイ女になりますが、だからこそ傾国の美女となるのでしょうね。本人は意図しなかったでしょうが。
容貌だけでなく、仕草や立ち居振る舞いも合格となる女性が、「美女」と認められます。美貌と男を虜とする立ち居振る舞いが備われば完璧でしょうが、やはり数が少ない。

残念ながら見かけが重要なのは今も昔も変わりませんが、文化圏により外見を非常に重視する所もありますから。そして大統領以下こぞって整形に走る。で、外面がマシになっても、中身は変わらない有様。

「美女」が付く地名は検索すると、結構多いですね。逆に「美男」のつく地名はヒットしない。地名をつけるのが男だからでしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/36609860.html

あと、有名な観光地の立山・黒部には「美女平」がありますよ。
http://www.tate-yama.com/travel/bijyo/1.htm


>のり坊さん
クレオパトラくらい劇的な人生をおくった女王もいないでしょう。
あの最後も見事ですね。もし、彼女がパルミラのゼノビアのように生き延びれば、案外忘れがちな人物になったかも。中国史には床で最後を迎えた女独裁者もいますが、人気のあるのはやはり悲劇の美女のようです。

塩野さんは不思議なくらいクレオパトラに厳しいですね。アントニウスの方にはむしろ甘い。同性の嫉妬でしょうか?
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mugiさん、こんばんは (ドグマ)
2007-07-18 02:36:37
クレオパトラの鼻は実際には低かったとも言われてますよね。

実際の彼女の魅力とは、外見というよりも立場でしょうね。血筋はアレキサンダー大王の時代まで遡り、ローマが喉から手が出るほど欲しい豊潤なエジプトを支配しており、数ヶ国語話せる才女。これほど、政略的に利用できる女性は中々いませんよ。
絶世の美女の町娘よりも、不細工だけど、教養や愛嬌や家柄立場の有る女性の方が、権力者の男性にとっては魅力になりますよね。
まぁ絶世の美女は、正室以外で侍らせれば良いわけですし。

それと、塩野氏はローマ至上主義者のカエサル親衛隊ですから、仕方ない論評ですかね(笑)
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クレオパトラの鼻 (mugi)
2007-07-18 21:41:16
>こんばんは、ドグマさん
逆にクレオパトラの鼻は高すぎたという説もあります。彼女の彫刻を見ると、むしろわし鼻気味でした。ギリシア系だから鼻が高くても不思議ありませんが。

仰るとおりクレオパトラは豊かなエジプトの支配者なので、カエサルならずとも、権力者なら政略的に利用したがるでしょう。豊かでも軍事的に弱い国はいつの時代も狙われる。パルティアもエジプトを欲してましたから、ローマと手を組んだのです。アントニウスをパルティア戦に向かわせたのは、東の帝国に対する牽制もありました。

塩野氏も「カエサルという恋人を書きたい」「西欧史きってのよい男」と言ってましたから、バランスの欠いた論評になったのかも。
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