トーキング・マイノリティ

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第二次世界大戦下のトルコ社会

2022-11-10 21:10:30 | 読書/中東史

『一冊でわかるトルコ史』(関 眞興 著、河出書房新社)を読了した。図書館の新刊コーナーにこの本が展示されていたので借りて見た。私は“一冊でわかる○○”を謳った書はイージーすぎるイメージがあるので、まず見たことがなかった。
 にも関わらず今回借りたのは、表紙や本中のイラストが可愛かったため。イラストを見て決めるというのもアバウトだが、イラストの影響は大きい。読んでみて思ったより充実したトルコ史入門書だったが、chapter8現代のトルコの「(第二次世界)大戦下のトルコ社会」が最も興味深かった。

 第二次世界大戦下でトルコが中立政策を取り、戦禍に遭わなかったが、何処かの国の平和団体が羨む状況とはほど遠いものだったことはいささか知っていた。この本の「大戦下のトルコ社会」はその解説で、参戦よりも中立を貫くほうが難しいことが描かれている。「大戦下のトルコ社会」の見出しの後、以下の文章が続く。
第二次世界大戦では終戦直前まで中立を維持したトルコですが、ソ連やドイツの攻撃に備えなければならず、軍事予算を増やします。多くの若者が徴兵され、軍事産業が優先されました。鉱山や工場での労働が強制された結果、農業生産力が低下し、食糧難、生活必需品が不足します。すると物価が上がり、国民生活を圧迫しました。」(179頁)

 1940年、「国民保護法」を制定した政府は、物価を決める権限を持つ。しかしこれが裏目に出て、物品が正規のルートで入手できなくなり、庶民の生活はかえって苦しくなる。一方、この状況を逆手に取り利益を得た「戦争成金」と呼ばれる商人や経営者も出てくる。
 このような庶民の不満解消のため、1942年、政府は「富裕税」を導入する。ところが、どれだけの税を取るかは地方の官僚や有力者に任されたため、効果が出なかった。また、イスタンブルの非ムスリム貿易業者は厳しく課税されたため、イスタンブルから出て行ってしまう。

 1943年になると、利益を上げている地主や農業生産者を対象に、農産物税が制定される。しかし、税率が同じだったため、富裕な地主への負担は少なく、稼ぎの少ない農民に大きな負担を強いることになったという。
 これらトルコ社会の実態は、本書で初めて知った。名は忘れたが、あるトルコ研究者が世界大戦で中立を貫いたトルコを引き合いに出し、「中立は高くつく」と言ったのを憶えている。尤もトルコとしても、第一次世界大戦にドイツの求めるまま参戦、敗戦後は亡国寸前までいった苦い体験もあろう。尤も第一次世界大戦がなければ、戦後のトルコ革命も起らなかったかもしれない。

 1945年2月のヤルタ会談で、トルコに対しては参戦すれば戦後に成立する予定の国際連合の原加盟国にするという条件が示された。これを受け、トルコは2月23日にドイツに参戦する。戦時中はトルコもソ連と中立条約を結んでいたが、3月にソ連は中立条約を破棄、トルコに領土割譲を要求したのみならず、「海峡地域でのソ連軍基地の建設まで要求」(179頁)する始末。
 著者は単に“海峡地域”と記しており、具体的にどの海峡なのかは触れていない。ボスポラス海峡ダーダネルス海峡が浮かぶが、黒海に接する前者だろうか。但しソ連のこと、双方の海峡地域での軍基地の建設を要求しかねない。

 ヤルタ会談前にも、スターリングラード攻防戦でドイツに勝利したソ連はトルコに参戦するよう、圧力をかけていた。ドイツが5月に降伏したため、トルコは幸いなことに戦いに参戦せず終戦を迎えられたが。
 戦場にならなかった中立国でも、大戦下ではかなり苦労していたようだ。それでも中立宣言しても踏みにじられ、軍隊を派遣した英露に占領されたイランよりは遥かにマシだった。

 トルコの外交は「ゼロプロブレム外交」と言われ、どこの国とも友好的な関係を持つ。アメリカはもちろんロシア、イラン、中国とも関係を構築していく。ソ連崩壊後は中国とも軍事的に協力関係を持ち、中国製品を購入したほか、トルコ領内の軍事演習場も開放したという。
 こうしたトルコの姿勢をコウモリ外交という人もいるが、地政学的からもトルコは東西世界の中心にあり、その存在は大きい。とかく日本では親日国という面だけが強調されがちだが、このような強かな外交を展開できるトルコは実に羨ましい。
 
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