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ハレム―女官と宦官たちの世界 その一

2022-10-13 21:40:06 | 読書/中東史

『ハレム―女官と宦官たちの世界』(小笠原弘幸 著、新潮選書)を先日読了したが、久しぶりに面白い歴史選書だった。タイトルだけでは艶っぽい話を期待した読者も一部いたかもしれないが、「女官と宦官たちの世界」という副題から至って真摯な学術書なのだ。新潮社HPでは本書をこう紹介している。

オスマン帝国の「禁じられた空間」で、何が行われていたのか――。
性愛と淫蕩のイメージで語られてきたイスラム世界の後宮・ハレム。奴隷として連れてこられた女官たちは、いかにして愛妾、夫人、母后へと昇りつめたのか。ハレムを支配する黒人宦官と、内廷を管理する白人宦官は、どのように権力を手にしたのか。600年にわたりオスマン帝国を支えたハイスペックな官僚組織の実態を描く。

 日本でも放送され、話題となったトルコのТV史劇『オスマン帝国外伝』のサブタイトルも「愛と欲望のハレム」。イスラム世界の後宮・ハレムに限らず、大奥ものТV史劇といえば愛と欲望の世界でなければ大衆に受けないだろう。大勢の美女がひしめく「禁じられた空間」というだけで、想像が膨らむのだ。しかし、大奥やハレムの実態は一般には殆ど知られていない。
 本書で主に取り上げられるのはトプカブ宮殿のハレム。スルタンは夜な夜な美女を相手に、ここで性愛を繰り広げていたと想像していた読者も少なくなかったかもしれないが、最大の目的は後継者を儲けることにあり、Hの場だけではなかった。

 オスマン帝国に限らず後宮制度は、日本も含めアジア諸国では何処にもあった。むしろ後宮のない欧州の方が特異だったが、ひと口に後宮といえ、日本や中国、イスラム圏は異なる。日中やオスマン帝国の後宮を比較するのも一興と思う。
 例えばお毒見役はどの国でも存在していたが、オスマン帝国では担当は女官だった。日本の場合はほぼ男性だったし、中国でも同じだろう。普段のハレムでは、スルタン、母后、そして夫人たちはそれぞれ別に食事を取っていたが、管理監督のためであったという。

 いかに毒殺を避けるためにせよ、スルタンの食卓には毒見役頭とその補佐が控えるだけという寂しさ。後宮の美女と美食を満喫していたというイメージがあり、『オスマン帝国外伝』でもスレイマン1世は後に正式な皇后となる寵姫ヒュッレムと食事を共にしている。スレイマンなら愛する女と食事をしたこともあったかもしれないが、天下のオスマン帝国最高権力者は“孤食”だったのだ。
 また、ハレムの女官たちが食事を作ることは基本的になかったそうだ。母の手料理というものは、所詮は庶民の食事ということか。自らわが子のために料理をする皇后などいるはずもない。

 お家騒動はどの国にもあったが、オスマン帝国では後継者争いで兄弟同士の殺し合いが行われており、敗れた王子とその息子は例外なく殺された。インドのムガル帝国も事情は同じだったが、興味深いことにオスマン帝国ではメフメト2世の治世の15世紀後半、混乱を未然に防ぐという理由で、兄弟殺しが法令集において明文化されるに至った。
 元々イスラム法においては、自由人のムスリムを裁判なしで処刑することは認められていない。だから兄弟殺しの明文化は、国家があからさまにイスラム法の規定を踏み越えた事例といえよう、と著者は述べる。兄弟殺しの明文化など日本や中国では考えられない。

 17世紀以降、新スルタンの即位時にその兄弟たちが殺されるという慣習は廃された。現スルタンの弟は、処刑を免じられた代わり、ハレムの部屋に幽閉されることになる。また現スルタンの王子も、基本的には外出することもなく、即位するまでハレムの中だけで過ごした。所謂「鳥かご制度」である。
 王子たちには、それぞれ10名から12名の女官が侍女として仕えた。王子は即位の機会が訪れるまで、そして機会が訪れなければ、死ぬまでハレムに軟禁された。

 鳥かごにいる王族男性には女官たちが侍女として仕えたが、彼らが子供を作ることは禁じられた。もし彼らに使える女官が妊娠した場合は、堕胎の処置がなされた。もし子が生まれたとしても直ちに処刑された。この非人道的極まる鳥かご制度が完全に廃止されたのは、19世紀半ばになってからだった。
その二に続く

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