サン=サーンス:死の舞踏
ラロ:チェロ協奏曲
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲/ラ・ヴァルス
独奏:堤剛
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
指揮:藤岡幸夫
於ザ・シンフォニーホール
新年度、まずワーグナーの名演奏を聴かせてくれた関西フィルであったが、今回はフランス物中心の、プログラム。今年の関西のオーケストラの定期演奏会プログラムを眺めてみると、このように管弦楽曲を幾つも取り上げるというものが、多い。
私は、こういう趣向の演奏会で、最後まで高い完成度で以って聞き手を引き付けるのは、容易ならざる業と感じているのだけれども…。
さて、はじめのサン=サーンス。私はこの作品、この作曲家のいい聴き手では、ない。実のところ、少しもその真価というものが、分からずにいる人が、サン=サーンスだ。
よって、日常この曲を聴くということは、全く無い。昨夜思い立って久しぶりに聴いた次第。
確かに才人の筆であり、短い中に実に様々な仕掛けが施されていて、その意味に於いて飽きさせない作品であろう。演奏も、過度に小さくなり過ぎず、エネルギッシュなものであった。コンマスの独奏は、やや大人しく、もっと遊びが欲しい。
2曲目のラロは、「スペイン交響曲」を以って音楽史に名を刻んだこの作曲家の、もうひとつ、比較的演奏機会に恵まれた作品である。
とても、渋い曲。ハバネラの軽快なリズムなど、表情の変化に富んではいるし、和声の変化も面白いものであるけれども、些かオーケストレーションも不器用なもので、聴いていて、もうひとつ歯痒い。
堤さんは、地を揺るがすが如き轟音も、絢爛華美な美音も、売り物にしていない人だけれども、実に誠実で、自らの裡にほとばしる情熱を、収斂してゆく。それは、曲想に一致していて、例えば彼がドヴォルザークを弾いている時などとは異なった、不思議なオーラとでも言うべきものを感じたことであった。
ただ、オーケストラがそれに満足なサポートを付けきれていなかった。指揮者共々、おしまいまで手探りのままであったように思う。第2楽章などは、堤さんも生真面目に過ぎて生硬だし、バックとの齟齬が、いよいよ際立った。
休憩を挟んでのラヴェルは、藤岡さんの希望により、初めにダフニスとクローエ組曲。後半に、ラ・ヴァルス。私には、首肯しがたい順番だけれども。
ダフニスとクローエは、中庸からやや遅めのテンポで、じっくり開始される。20世紀最高のオーケストレーション能力を持ったラヴェルの、絢爛たる音の洪水。それを再現するには、例えば木管の技量などに、未だ高いハードルを感じずにはいられない。「夜明け」「全員の踊り」のように、トゥッティによるフォルティッシモで、聴き手を圧倒しているうちは良いが、「パントマイム」では指揮者も緊張感を維持し得ないし、オーケストラも極めて散漫なアンサンブルを露呈していた。
後半のラ・ヴァルスは、藤岡さんにとって随分思い入れがあるようであったが、残念ながら演奏からそれを感じることは出来なかった。ダフニスとクローエと、およそ同様の批判が当て嵌まるであろう。
藤岡さんの良いところは、好きな曲を、実に好きでたまらない風に演奏することだと思っている。けれども同時にそれは、ともすれば全体の見通しを欠いた、勢い任せに終わりがちである。その悪い方が今日は勝ったと言うべきだろうか。さすがにラヴェルには限界を感じずにはいられなかった。
ラロ:チェロ協奏曲
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲/ラ・ヴァルス
独奏:堤剛
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
指揮:藤岡幸夫
於ザ・シンフォニーホール
新年度、まずワーグナーの名演奏を聴かせてくれた関西フィルであったが、今回はフランス物中心の、プログラム。今年の関西のオーケストラの定期演奏会プログラムを眺めてみると、このように管弦楽曲を幾つも取り上げるというものが、多い。
私は、こういう趣向の演奏会で、最後まで高い完成度で以って聞き手を引き付けるのは、容易ならざる業と感じているのだけれども…。
さて、はじめのサン=サーンス。私はこの作品、この作曲家のいい聴き手では、ない。実のところ、少しもその真価というものが、分からずにいる人が、サン=サーンスだ。
よって、日常この曲を聴くということは、全く無い。昨夜思い立って久しぶりに聴いた次第。
確かに才人の筆であり、短い中に実に様々な仕掛けが施されていて、その意味に於いて飽きさせない作品であろう。演奏も、過度に小さくなり過ぎず、エネルギッシュなものであった。コンマスの独奏は、やや大人しく、もっと遊びが欲しい。
2曲目のラロは、「スペイン交響曲」を以って音楽史に名を刻んだこの作曲家の、もうひとつ、比較的演奏機会に恵まれた作品である。
とても、渋い曲。ハバネラの軽快なリズムなど、表情の変化に富んではいるし、和声の変化も面白いものであるけれども、些かオーケストレーションも不器用なもので、聴いていて、もうひとつ歯痒い。
堤さんは、地を揺るがすが如き轟音も、絢爛華美な美音も、売り物にしていない人だけれども、実に誠実で、自らの裡にほとばしる情熱を、収斂してゆく。それは、曲想に一致していて、例えば彼がドヴォルザークを弾いている時などとは異なった、不思議なオーラとでも言うべきものを感じたことであった。
ただ、オーケストラがそれに満足なサポートを付けきれていなかった。指揮者共々、おしまいまで手探りのままであったように思う。第2楽章などは、堤さんも生真面目に過ぎて生硬だし、バックとの齟齬が、いよいよ際立った。
休憩を挟んでのラヴェルは、藤岡さんの希望により、初めにダフニスとクローエ組曲。後半に、ラ・ヴァルス。私には、首肯しがたい順番だけれども。
ダフニスとクローエは、中庸からやや遅めのテンポで、じっくり開始される。20世紀最高のオーケストレーション能力を持ったラヴェルの、絢爛たる音の洪水。それを再現するには、例えば木管の技量などに、未だ高いハードルを感じずにはいられない。「夜明け」「全員の踊り」のように、トゥッティによるフォルティッシモで、聴き手を圧倒しているうちは良いが、「パントマイム」では指揮者も緊張感を維持し得ないし、オーケストラも極めて散漫なアンサンブルを露呈していた。
後半のラ・ヴァルスは、藤岡さんにとって随分思い入れがあるようであったが、残念ながら演奏からそれを感じることは出来なかった。ダフニスとクローエと、およそ同様の批判が当て嵌まるであろう。
藤岡さんの良いところは、好きな曲を、実に好きでたまらない風に演奏することだと思っている。けれども同時にそれは、ともすれば全体の見通しを欠いた、勢い任せに終わりがちである。その悪い方が今日は勝ったと言うべきだろうか。さすがにラヴェルには限界を感じずにはいられなかった。