アルチューハイマー芸術エッセィ集

音楽批評を中心に日々見聞した芸術関係のエッセィを、気が向いた時に執筆してゆきます。

3/14 びわ湖ホール プロデュースオペラ「トゥーランドット」

2009-03-15 22:59:50 | 演奏会評
2/14 びわ湖ホール プロデュースオペラ「トゥーランドット」
トゥーランドット姫  並河寿美
アルトゥム皇帝  田口興輔
ティムール  佐藤泰弘
カラフ  福井敬
リュー  高橋薫子
ピン  迎肇聡
パン  清水哲太郎
ポン  二塚直紀
役人  西田昭広
指揮/沼尻竜典 演出/粟国 淳 合唱/びわ湖ホール声楽アンサンブル,二期会合唱団 児童合唱/大津児童合唱団 管弦楽/京都市交響楽団


「レコード芸術」は、時として我々を不幸にする。かつての歴史的名演に日常的ふれられることによって、しばしばそれに、殆ど呪縛的と言いたいような、強烈な印象を与えられる。そうしてそれは、我々がその音楽を聴く時の、ひとつの指標として、強い力を持ち始める。

「巨匠不在」が叫ばれて久しい昨今の楽壇に於いて、敢えてその傾向の強い分野を求めるとすれば、それは声楽、殊にオペラに顕著であろうと、私は思う。

私が聴いてきた、「トゥーランドット」を例に採れば、かつてニルソンがトゥーランドットを歌い、コレッリがカラフを歌った。リューにテバルディを配した、贅を尽した演奏もあった。殆ど「怪物的」とさえ言いたいまでの、圧倒的な彼らの名唱に馴染んだ(!)私たちはおよそ、現役の歌手たちに、どこか不満を覚えずにはいられない。

これは、実に身勝手な弁だと、自覚するのだけれども。

とは言うものの、私が聴いたトゥーランドット、歌手個々人のレベルは極めて高かった。トゥーランドット役の並河女史は、ニルソンのような圧倒的なパワーで押すということではなく、もっとしなやかである。エレーデの指揮で歌ったインゲ・ボルクにやや近い。初めは危ういところも散見されたが、次第に調子を上げたようだった。
福井氏のカラフは、多くのファンにとって、本公演最大の期待であったろうが、それに反しない好演を見せてくれた。実にこの人は、無理をしない。ドミンゴに近いような、制御された、理知的な歌い手である。
私はまた、リューを歌った高橋女史に大いに感心したことであった。純情可憐で、けれども決して弱弱しくはならない強さを持っている。リューが平凡では、このドラマは随分と平板なものになってしまうし、重要な役どころであるが、素晴らしい出来栄えを示していた。
ピン・ポン・パンは、コンメディア・デッラルテの伝統に則った、形式的な役どころには違いなかろうが、プッチーニは彼らのために、実に魅力的な音楽を、書いた。第2幕前半などは、彼らの独壇場である。今回、私が聴いた初日は、びわ湖ホール声楽アンサンブルの若い人たちが歌ったが、些か生硬に過ぎ、客席にまでその緊張が伝わるようだった。

オール日本人キャストによる「トゥーランドット」上演は、決して容易ならざるものと思われるが、私の心配は殆ど払拭されたと言ってよい。

指揮の沼尻氏は、昨年のシュトラウス(バラの騎士、サロメ)では、艶麗で官能的な響きを引き出し、私はそれまでの印象を大いに改めねばならなかった。今回も、弦の響きを中心に、とても流麗な音楽を奏でる。けれども、あの大きなモーションに反して、出てくる音楽は広がりを持たず、オーヴァーと言っても過言でないプッチーニの起伏に富んだ音楽は、すっかり矮小化されてしまったように思う。肝心の盛り上げるべきところで、どこかいつも中途半端に終わってしまう。こういうイタリアオペラは、見得の下手な歌舞伎を見せられたようで、心地が悪い。
この指揮者が、未だ十分なオペラ経験を欠いていることを如実に見せ付けられる結果となった。

けれども、最も罪深いのは演出の栗国氏であろう。近未来の機械文明の世界に舞台を設定したということで、常に舞台には-ちょうどチャップリンの「モダン・タイムス」のような-歯車や蒸気機関といった機械仕掛けが配置される。「北京の民」は、管理された労働者を演ずる。
特定の時間・場所を意識させない目的があったようだが、主要登場人物は皆中国王朝風の衣装で統一されており、理解し難い矛盾を示している。
かかる不可解な設定は、各所に見られたが、私が最も腹立たしいのは、リューを他殺に処したことであろう。これは作曲者が考えたろう東洋的趣味に照応してみても、自刃することがドラマの進行上必須であろうと思う。音楽とテクストを隷属させるような傲慢な演出は、いい加減にしてもらいたいものだ。
加えて氏は、昨年のホモキやグルーヴァーのような徹底振りにも乏しく、幼稚と言っていいような散漫な舞台を露呈した。舞台は全体に暗く、プッチーニ畢生の、絢爛たる音楽絵巻が、甚だ陰気な視覚効果によって阻害されるところとなった。

小林秀雄の「目をつぶってオペラを見てやる」というコトバに、首肯したくなる演出である。私はブーイングを飛ばさずにはいられなかったが、日本人もハッキリとした意思表示を打ち出して然るべきであろう。

若杉弘氏のヴェルディ・シリーズを引き継いでの、沼尻氏によるホール・プロデュースオペラである。監督の果敢な試みは感じながらも、私は前途に暗雲を感じずにいられない。

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