アルチューハイマー芸術エッセィ集

音楽批評を中心に日々見聞した芸術関係のエッセィを、気が向いた時に執筆してゆきます。

ラドゥ・ルプー雑感

2010-10-17 01:20:18 | 演奏会評
9年ぶりに来日したルプーを聴いた。昨今では「ピアノ界のクライバー」などと呼ばれ、いよいよ希少価値を高めているらしい。それで、私も久しぶりに拙筆をふるうことにした。

プログラムは、
ヤナーチェク:霧の中で
ベートーヴェン:アパッショナータ
シューベルト:ソナタ第21番

演奏の印象としては、とにかく全編「霧の中」であった。というのも、最初から最後まで、殆どペダルに頼りきりで、確かに柔らかな響きを醸し出しはするのだけれども、甚だ曖昧模糊たる演奏なのである。これを美音と言っては、あまりにまやかしめいてはいないだろうか。
それに、多用されるルバートもいかにも気ままであり、ある種独特のモノモノしい雰囲気めいたものは漂うが、おしまいまで、どうにも浅薄な印象を払拭し得なかった。決して凡百の演奏と同列に語るべきものではないが、大家の名演とはまるで言えはしないのである。

ごく瞬間的な名技として、スケールが敢然と下降する際に、ふわりと力が抜けるのである。これはいかにも情熱的に叩いていますという風の、本邦のピアニストたちには聴かれない呼吸の良さだろう。アンコールが、シューベルトの13番第2楽章で、この佳曲については、とてもよかった。何かモノローグを聴くような訥々とした味わいがあり、また素直に「美しい」と思わせられもした。同時に、この人は小品に向くのかしらとも。


ところで、私は背もたれのあるイスを使うピアニストを初めて見た。それにあんなに無表情な人も。私たちはまるで知らされていなかったが、当夜彼は既に著しい体調不良の下に在って、来日ツアー初日となった京都公演ののちは、全てキャンセルして帰国を余儀なくされたとの報である。

そうした事情と、演奏の出来は繋がっているのだろうか。そうだとすれば、彼はステージに上がるべきではなかったのだ。私たちのためにも、何より彼のためにも。世界屈指とされるピアニストを指して、体調不良だったのだから仕方ない、などといったコンクール、いやアマチュアのピアノ発表会めいた陳腐な同情など寄せたくない。それは彼とて同じであろう。これは、常に瞬間の創造に生きる音楽家にあって、本質に関わる問題である。プロとは、常に結果で判断されるべきもの、とも言い得るかも知れない。
ともかく緊急帰国とは穏やかでなく、ひたすら回復を祈るものではあるが、私には大いに疑問の残る演奏会となった。

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4 コメント

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一部同感です (ルプーファン)
2010-10-17 06:20:16
京都公演を横浜から聴きに行った者です。
お書く「多用されるルバートもいかにも気ままであり、ある種独特のモノモノしい雰囲気めいたものは漂うが、おしまいまで、どうにも浅薄な印象」とのコメント、一部同感です。
私はルプーの大ファンで、以前から数回彼のコンサートに行き、大抵は満足して帰るのですが、京都でのコンサートは、聴きながら、「おかしい、なぜこんなに凝縮感がないのだろう、まるで構築や脈絡がなく弾き流しているようだ」と感じることが幾度かありました。アンコールの曲も、彼が出しているCDの中で正に私が最も好きな一楽章でしたので、弾き始めを聴いて内心狂喜したのですが、聴きながら、おかしいなあもっとぎりぎりの切ない音楽が奏でられるはずなのに・・・との感がしてなりませんでした(それでも十二分にルプーの美質は感じられた名演と思いましたが)。
公演終了後、家族に携帯で「ちょっとがっかりした。時差ぼけか何かで調子悪かったんじゃないかな、京都の聴衆には少々残念な公演だったんじゃないか」と連絡して会場を後にしました。演奏の出来は、彼の通常時からは相当乖離していたのではないかと推察しています。

確かにプロは結果が全て。ステージに立つべきでなかったと趣旨の、厳しいご批評は、当夜の演奏を聴いた私には十分理解できるものです。ただ、体調絶不調であるにもかかわらず、何年も待ち続けた京都の聴衆の皆さんのために弾こうと決意してステージに立ってくれたルプーの心意気を、私は評価したいと思います。 
その他の、鋭い的を得たご指摘には感服しました。早起きして貴演奏記を読めて幸せでした。
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追伸です (ルプーファン)
2010-10-17 07:10:39
コメントへの追伸です。ルプーの演奏会についての悪い記憶だけが自分に残っては損だと思いまして・・・。ちなみに2列目ほぼ正面で聴いての印象です。(音が頭上を通り抜けていく感じがややありました)

1.霧の中で
面白い音楽でした。まずまずの出来と、期待が高まったのですが・・・

2.ベートーベン 熱情
私には、「?」でした。冒頭で大きなミスタッチをしませんでしたか。以降、指が回らないのか?何を表現したいのか?という印象を拭えませんでした。「熱情」というより「冷静」「沈鬱、鈍重」かと。これを聴いて、おかしい、本調子ではないなと思わせられました。

3.シューベルトのソナタ21番
これは名演と思いましたが、いかがでしょうか。彼のCDでの21番は速いテンポで弾き飛ばしていて、「ああルプーも終わってしまったのか」と残念に思っていたのですが、京都での演奏は、CDよりずっと落ち着いたテンポをとり、音楽の表情も豊かで、これは実演を聴けてよかったと思いました。ところどころ散漫な感があり、こんなはずではないのにとは思いましたが、ルプーの魅力はそれなりに味わえると思いました。

4.アンコール
手の届かない永遠の美への、切ないまでの憧憬。そんなものを感じさせる、P、PP主体の名演。もっと集中した音楽が弾けるはずだと感じましたが、まあ名演かと。

ステージに立つべきではなかったとのご批判は理解します。率直にいうと残念な演奏会でした。でも、もしかすると、彼の最後の来日公演となるかもしれない公演で、彼の美質の一端に触れることができたのは、一生の財産になったと思いたいです。ゼロか1かでいえば、演奏しなければ、ゼロ。でも演奏してくれれば、0.3くらいは体験できるのですから。 
良いコンサート評に感謝しております。
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拝復 (アルチューハイマー)
2010-10-18 01:22:26
ルプー・ファンの方からの理解あるレスポンス、とても嬉しく受け止めました。およそ叱正を免れまいと思いつつ、敢えて世に問うことにした拙文でしたので。

小生は今回初めて彼の実演に接しましたので、「ルプー、こんなはずでは…」と思われていたところを、「ルプー、こんなものなのかしら…」と感じていたろうとご推察下さい。

アパッショナータはいちばんミス・タッチが目立っておりましたね。いまこうして事情を知れば、殆ど音を並べることが精一杯というような次第であったかもしれません。

シューベルトは、あの曲は作曲者晩年の「怪物的」作品のひとつであって、色々なアプローチが世に出ていますが、なかなか極めつけというものに出会いません。というのは、小生自身にとっても、未だその実相を捉えきれてはいない、ということに他ならないからでもあります。
その中で、レコードではルプーは、寧ろ速めのテンポで切れのあるアプローチを展開していますね。本邦では、井上直幸さんがいくらか似たアプローチで、佳演を残してくれました。
当夜のルプーの演奏は、例えばリヒテルのような異様な遅さではないものの、かなり念の入った演奏になっていました。小生の印象としては、シューベルトの旋律美、そしてその対極にあるかのような恐ろしいまでの寂漠感-とルプーの音色がかなりの親和性を見せていました。しかし、やはりこれをソナタという確かな形式を有した作品として捉えた時、あの演奏からは全体の把握というものが希薄であった、するとあの曲は、いよいよ怪物として独り歩きしてしまった。そんな感覚です。

ただし、やはりルプーという人は「音色」を持っている、彼の音というものを響かせられるはずの人だと思いました。(もしいつもあんなにペダルを使うなら些か辟易ですが)小生は、ピアニストの「音」を愉しむということを、ピアノ演奏の大変な贅沢と感じています。先般ビルソンの実演に接しましたが、古楽器派の人たちの演奏には、フレージングやアーティキュレーションの斬新さはあるが、こうした音色美とでもいうべきものは希薄なんですね。あるとすればそれは、寧ろ楽器の個性であって。


ともかくも、最も不本意であったのはルプー自身でしょうから、万全のコンディションでの再訪を期待するばかりです。
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ありがとうございました (ルプーファン)
2010-10-31 22:12:24
先日はご返信を頂戴しありがとうございました。今回のルプー来日は、仕事で多忙で苦しい日々の中での心の支えになっていましたので、来日中止直後は肉親を亡くしたとき以来の悲しみと喪失感に打ちひしがれておりました。最近ようやく悲しみも忘れられつつあります。失望のどん底のときに、実に内容が濃く、音楽への目を開かせてくれる評論を拝読できて幸せでした。感謝しております。

ルプーの一つの特質は確かに音色なのかもしれません。たとえば、シューベルトの即興曲作品90-3などは、他のピアニストで聴くと、メカニカルな、現代のピアノの音を聴いているような感じが拭えないことが多いのですが、以前ルプーのコンサートで聴いたときは、微妙なたゆたいと揺らぎをまとった、えもいえぬ美しい音の演奏で、ルプーと同世代に生きてルプーのピアノを聴くことができて何と幸せなのだろうと思ったものです。また、以前公演で聴いた、ダヴィッド同盟舞曲集も、多種多様な音を駆使した筆舌に尽くしがたい音楽でした。
お書きになった評論を拝読して、ルプーの魅力は、もしかすると、構成・構築もさることながら、多様な音色で作り上げる一種魔法のような世界を、(内田光子のように作為のかたまりといった形ではなく)自然に繰り出せる能力にあるのかなと思いました。 

ちょっとルプーを高く評価しすぎかとも思いますが、私のとってのルプーはそんなものですので、再来日をまた日々苦しい思いをしつつ待ちたいと思います。 お聴きになられた京都公演より、本調子での演奏ははるかに上だと、私は思っております。
今後も洞察力あふれる評論を楽しみにお待ち申し上げます。
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