アルチューハイマー芸術エッセィ集

音楽批評を中心に日々見聞した芸術関係のエッセィを、気が向いた時に執筆してゆきます。

過去の執筆原稿から① マーラーとわたくし

2009-05-24 22:36:43 | 随想
過去に私が執筆した駄文を、時折転載してゆきたいと思う。

今回の「マーラーとわたくし」は、大学1回生の折にレポートとして提出したもの。今となっては拙さばかりが目立つが、敢えて改訂せずに、読者諸兄に呈することとしたい。

-------------------------------------


「好きな」作曲家は?と問われると、まず「マーラー」と答えたくなる。ブルックナーの7番を偶然聴き、そして感動し、現在に至るクラシック好きへの道を歩み始めた者として、「ブルックナー」だと言いたい。しかし、どうもブルックナーへの思いは「尊敬」と言うに近い気がする。その点、マーラーはチャイコフスキーやブラームスと並んで、理屈抜きに好きな作曲家であり、就中、心から共感できる作曲家なのである。
 マーラーとの出会いは、ご多分に漏れず第1交響曲であった(以下、単に便宜上の問題として「巨人」という名称を用いる)。私がクラシックに目覚めたのは、中学3年生の秋だったけれども、その翌年、即ち高校1年の秋に(たしか9月だった)我が京都コンサートホールにベルティーニ/都響が巨人を引っ提げてやって来た。それを知ったのはちょうど前売り発売の当日で、たまたま京響の定期に来ていた私は有り金を叩いてS席を購入したのだった。今に比べると、まだまだクラシックについて無知であったが、ともかくこのコンビが本邦で最高のマーラーを奏でるコンビだという認識は、何故かあったのである。
 しかし、当時の私はマーラーに関心は一切無かった。その前売りを買って後も、暫くマーラーは聴いたことのない状態が続いていたように思う。件の演奏会が迫った頃、漸く「予習」の必要を感じ、あのワルターの名盤を買ってきたのであった。驚いた。それまで聴いてきたシンフォニーとは質を大きく異にする。今にして思えば、これはこの曲に接した当時の聴衆の印象だったのかも知れぬ。ただ、最も強烈な印象を与えたのは、ちょうど授業で取り上げられた第3楽章冒頭の旋律であった。例のコントラバスのソロ ―あの独特のぎこちなさを持つワルター盤のソロ― が始まってすぐ、「ん?」と思った。どこか聴いたことのあるメロディーである。1分と経たない間に「あ!」と声を上げずにはいられなかった。幼稚園の時によくやった、手遊びの一種の歌と同じ旋律だったのだ。「グー・チョキ・パーで、何作ろう?…」という遊びであるが、果たして全国的なものなのか、私には分からない。しかし、何人か、初めてこの曲を聴く友人に聴かせ、感想を聞いたところ、いつもこの旋律への驚きが返って来た。少なくとも京都では、ポピュラーな遊びであることは事実のようである。ともかく、すぐに解説を開いたところ、ボヘミア民謡だとある。京都の幼稚園の手遊びまでにボヘミア民謡が用いられているとは、大変な驚きであった。いずれにしても私はこのシンフォニーをたいそう気に入り、本番までに何度も繰り返し聴いて、演奏会当日を迎えたのであった。
 
 私の席は3列目のど真ん中、指揮者を間近に見られる席だった。開演間近の印象として、とにかく客の入りが悪かったことを思い出す。国内オケの演奏会だから、価格もS席¥6000程度だったし、しかもビックネームの登場だったのに、客入りはせいぜい7割程度ではなかったろうか。私の両脇も空いていた。
 チューニングが終わり、マエストロが登場する。思ったより小柄で、少し顔の赤らんだ、温和そうな人だと感じた。前プロは「さすらう若人の歌」。この曲については、「予習」無しで臨んだが、巨人の解説でメロディーの転用についての知識はあったので、なるほどなぁと思いつつ耳を傾ける。そんな状態であったから、演奏の良し悪しについてはよく分からなかったのだけれど、少しバリトンが硬いように感じたこと、カーテンコールの中、セカンド・ヴァイオリンの女性奏者が涙を拭っていたことが、今でも鮮明に思い出される。
 さて後半はいよいよ待ちかねた巨人である。第1楽章冒頭の神秘的な響きがホールを満たすや、確かに空気が一変した。他の作品にも実演で接して来た今日でも思うことだけれど、殊にマーラーの名演は、演奏中聴衆が文字通り「固唾を呑んで」聴いている。その反動であろう楽章間の開放感との対比に於いて、それはいつも如実に感じられる。ベルティーニのマーラーは決して情緒過多でも無ければ、ザッハリヒなものでもない。あくまでも作品の寄り添いながらも、実に巧みに指揮者の意志を聴かせてくれる、そんなマーラーである。一言で言うならば、そこには優しさが感じられる。マエストロの人柄なのかも知れない。そんなマーラーだから、第1楽章の、「さすらう若人」の旋律は、背中越しにでも微笑むベルティーニの表情が見えるようだった。実際彼は身体を旋律とともに揺らせて楽しそうに指揮していたし、実にのどかで、朗らかなカンタービレであった。しかし、ここぞというところでの彼の切れ味の鋭さを見逃すべきではない。第1楽章コーダの追い込みの激しさ、スケルツォのリズム感。いずれもマーラーと同時に現代音楽のエキスパートでもあるベルティーニらしい、鋭敏な感覚を思わせるものである。勿論今日の知識での分析であるけれど。
 
 何故か第3楽章の印象が薄いが、あの大編成オケのパワフルなサウンドの洪水である終楽章に、思わず仰け反りそうになったのは言うに難くない。本当にすごい迫力であった。そして何より強烈に記憶に焼きついているのは、曲が盛り上がるにつれてどんどん高潮していくマエストロの後頭部であった。先述したように、ちょうど真後ろで見ていたものだから、血管でも切れないかしらと本当に心配するくらい凄まじいものだったのである。最後の方は興奮していて、もう何がなんだか分からなかった。気がつけば「ブラボー」を叫び、立ち上がっていた。微笑みを湛え、何度も答礼に応じるマエストロ。ポディウムやバルコニー席の人々にも手を振って応える。後日、こういう彼のスタイルを、「聴衆への媚だ」とする評論を読んだが、不愉快以外の何物でもなかった。私は終演後、サインを貰いに行って幸運にも少し彼と会話する機会に恵まれたが、本当に人柄がそうさせたのだとしか思えない、そんな指揮者だった。未だに忘れ得ぬ、握手した時のあの温かい手の感触。それが全てを語っているように思われた。それは彼が世を去った今でも、変わらぬ思いである。
 
 今は、2番や9番の方が好きだけれど、やはりこの「巨人」は特別な意味を持つ作品である。しかし、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる指揮者ではない人々について言うならば、この作品へのスタンスは分かれているように思う。どこか距離を置いた客観的な部分を感じさせる演奏か、それとも全く演奏しないかである。ジュリーニなど、血気盛んなシカゴ時代に録音しているが、意外に大人しい。後者の例に当たる指揮者は、多くの場合、「巨人」の成立や書法に疑問を感じるという。直弟子であるクレンペラーを始め、朝比奈隆やカラヤンが挙げられよう。私はマーラーの音楽について、非常に私小説風なところがあると思う。朝比奈は「巨人」を振るのは「この歳になるとああいう音楽は恥ずかしくって」と語っているが、まことに赤裸々なマーラーの叫びが、あそこにはある。
 そういったマーラー作品のひとつの傾向を、言わばまだ多少未成熟の形で内包するのが「巨人」ではないか。と同時に、彼の音楽の持つ非西欧性・汎世界性の志向も既に見ることが出来る。具体的には、当時としては革新的だったであろうあの序奏に続いて、直ちに木管に提示されるラ-ミの下降四度のモティーフ。この四度の音程は、オクターヴ・五度・三度が音程の中心を占める西欧系の民謡よりも、ハンガリーやアジア系の民謡に多く見られるもので、作曲家の柴田南雄氏は、ここに非西欧・西欧以前との親近性を指摘する。続いてクラリネットで模される「カッコウ」の音も、例えばベートーヴェンの「田園」ではミ・ドと長三度の音程で示されるのに対し、ラ・ミの四度の音程を取っているのである。しかし同時に、全体としてはまだ伝統的な西洋音楽の形式に則っている。こういった点も、この曲がマーラーの作品のうちでまず一番にポピュラリティを獲得した所以であろう。
今ではマーラーのCDはそれこそ山のように買ってきたし、それぞれのシンフォニーについて、愛して已まない愛聴盤がある。またハーディング/東フィルによる「復活」、ゲルギエフ/ロッテルダムpoによる9番(涙を流すことさえ忘れるが如き凄演であった!)など、未だ脳裏に鮮烈な印象を焼き付ける名演にも立ち会った。しかし、私のマーラー体験は、いつまでもあの「グー・チョキ・パーで…」から始まっているし、またベルティーニの温顔と共にある。生涯忘れ得ぬ音楽体験というのは、そういうものなのであろう。


5/21 関西フィルハーモニー管弦楽団 第211回定期演奏会

2009-05-22 13:29:58 | 演奏会評
09.5.21(木)19:00 ザ・シンフォニーホール
関西フィルハーモニー管弦楽団 第211回定期演奏会
指揮/小松長生 ピアノ/河村尚子 曲目:貴志康一/大管弦楽のための「日本組曲」より,ラヴェル/ピアノ協奏曲 ト長調,バルトーク/バレエ「中国の不思議な役人」組曲 op.19

新型インフルエンザ流行に伴った公演中止が、クラシックの演奏会にも広がっているこのごろ、果たして開催されるのだろうかという危惧もあったが、楽団・ホールサイド、それから勿論客席も、マスクをつけた人々で活況(?)を呈した。

今回も、先月同様に管弦楽曲を集めたプログラム。それも、規模、演奏の難度ともに容易ならざる作品が並んだ。

まず、生誕100周年を迎える貴志の作品は、殆ど聴き手が恥ずかしくなるような、日本的な旋律を生のまま用いたものだ。けれども、その書法は実に瀟洒であって、土臭さというようなものを感じさせない。それは楽天的といっても言い過ぎではないかも知れないが、寧ろ、この作曲家が持つ平衡感覚の鋭さを、私は聴きたい。「ええとこのぼん」であった彼の、良い側面ではないかと思っている。
演奏は、手堅くまとめたという印象で、もっと思いきって表情を、―特に「道頓堀」などその名に相応しいくらいの―たっぷりつけてもよかった。

次いでラヴェルは、貴志との近似性を感じさせるピアノ協奏曲。この作曲家の持ち味である、目くるめくオーケストレーションの妙。そうして、淀みのない、次から次へと紡ぎ出される旋律。「どうして、こんな美しい音楽が書けたのだろうか?」と問わずにはいられない、あの第2楽章。どれをとっても、私の大好きなラヴェルという作曲家の、特に大好きな曲だ。
私は「左手の協奏曲」は幾度か実演に接していたが、こちらは初めてで、まず独奏とオーケストラのバランスが、レコードに鳴らされた耳には、随分異なって聴こえた。私は7列目に座っていたので、ピアノにはかなり近かったが、それでもオーケストラに埋没してしまうところが、少なくなかった。

それは、独奏の河村さんによるところも大きい。この人は、本質的にこの作品と相性を持たないのではないか。決して圧倒的なパワーで聞かせるという人ではないのに、全体としての弾き方がかかる「剛腕」流で、表情がいかにも一本調子だ。ベタ塗りの油彩画のようで、躍動感にも乏しい。それでも中間楽章は、思わず息を呑んで聴く、強い緊張感を維持していたが、弱音の繊細微妙な味わいは無く、どこか勘所を全て外してしまったような印象しか残らなかった。
オーケストラも、アッチェレランドすれば危うく崩壊寸前というところが少なくなく、冷やりとさせられた。

後半は、まず、バルトーク。前半とは打って変わり、相当の練習量が窺われる熱演であった。私はこの曲を、本当によく知っているとは言えないのだけれど、大きな破綻も無く、かといって事務的な仕事に終始したという訳でもない演奏で、指揮者の手腕の確かさを感じた。とにかく止め処のない凶暴な音楽の波が押し寄せてきて、聴き手はかなりの体力を消耗したろう。私はまだコンサートが続くということに、終了後、驚きさえ覚えたことであった。

コダーイは、まず選曲のセンスを評価するべきだろう。こうしてバルトークと並んで聴くと、同郷の盟友であったこの2人の、その作風の相違をはっきりと知ることが出来るからだ。
「ガランタ舞曲」は、まず冒頭の弦の響きから、並大抵ではない感情移入の激しさを感じる。この演奏会の中で、最も生々しい音が奏でられた瞬間であった。中間部などは、もっと軽快さを持ってもよかったように思うが、小松さんの誠実な、けれども情熱的なタクトに、オーケストラもしっかりと喰らいついたという気がする。東欧の音楽の持つ、どこか哀切な響き―それは、私たち日本人に特別そう聴こえるのかもしれないが―と、燃えたぎる情熱の音楽が、巧く描き分けられていて、素晴らしい出来を示していた。

ポリーニのリサイタルをめぐって

2009-05-13 02:11:51 | 演奏会評
はじめに断っておく必要があろうかと思うが、常は、新聞批評ほどの必要性を持ってではないけれども、些かなりとも演奏会リポートめいた役割を意識して拙文を認めている。しかし、今回は、かかる意識を敢えて排して、私が感じたことを、自由に述べてみたい。それが、殆ど、自分語りを、ひとりごちるような具合になろうとも。


私は、ポリーニを、今回初めて実演で聴いた。実のところ、私は、ポリーニの良い聴き手ではない。いや、かつては、嫌いなピアニストのひとりであった。
予てから、ポリーニの完璧無比な技術はもちろん評価していたし、それがもう、否応なく突き付けられる、ペトリューシカの3楽章や、ショパンのエチュードといった録音に敬意を表してきたつもりだ。
それでも尚、ポリーニは私にとって遠いところにいるピアニストだった。ベートーヴェンは、あまりに冷血な気がしたし、同じ作曲家のコンチェルトやブラームスのそれも、伴奏共ども、筋骨隆々たる立派さが、聴いていて辛かったものである。

そんな印象が改まり始めたのが、最晩年のベームと録音した、モーツァルトのコンチェルトを、聴いてからであった。私はそれまで、彼が、こんなに優しく美しいピアノを弾く人だとは、全く思っていなかった。

それから少なからぬ注意を、ポリーニに対して払い始めたところ、いよいよこのところの彼の深化を看過することは出来ないと、今回、決して安くないチケット代を支払って、出かけたのであった。


発売時は-これは、本当に腹立たしいことなのだが-、プログラムが未定であった。後日発表されたのが、この度のオール・ショパン・プログラム。既にチケットを求めた大半の人達が、狂喜したのではないかと、思う。

けれども、私は寧ろ、残念だった。率直に、ショパンを好まないからだ。後半のプログラムを占めたスケルツォ・マズルカは、殆ど私にとって聴くのが苦痛な音楽である。ソナタの第2番も、第3番と比べて、あまりに貧相な作品と、私は思う。
多分、発売前にこのプログラムが出ていたら、私は行きはしなかったろう。

ただ、断っておけば、何もショパンに限らず、私はピアノ独奏を進んで聴くことは滅多にない。独奏ピアノがフォルティッシモを叩き出しているのを聴くのが、耐え難いという人間なのである。


それでも、私はポリーニを実際に見て、聴くことに大変な期待を寄せて、当日を迎えたのである。


そして、結論のみを言うならば、ポリーニが、当今比肩する者を見出だし難いほどの、まごうことなき名手であると、痛感した。これだけ腕が立って、それでいて知的なピアニストが、他にあるだろうか。選曲、その繋ぎ方、全てが考え抜かれ、一部の隙もありはしない。それはもう、今日の演奏会の、どれか一曲を聴いてみれば、すぐに分かるというものだ。

けれども、それにも関わらず私は、最後まで歯痒い思いを拭い去ることが出来なかった。

-なぜ、ショパンなのか?

この演奏会に来た人を、大別すれば、ショパンを聴きに来た人、ポリーニを聴きに来た人、とし得るだろう。更に後者を、ポリーニの技術そのものを聴きに来た人と、彼が作品を通して何を語るかを聴きに来た人と分けてもよいかも知れない。
私はピアノ演奏技術には疎いし、ショパンは嫌いだから、最後に分類されるより他ない。

その観点で見れば、ポリーニの才覚は、ショパンの音楽を超えている。ポリーニという人が、どういうピアニストであるのか、知ろうとするほどに、ショパンの作品が桎梏となる。

先述したポリーニへの賞賛の気持ちが、ショパンがいかにつまらないかという気持ちに、すっかり押しやられてしまったと言えば、果たしていかばかりの反論を浴びるだろうか?

事実に於いて、演奏会は空前の大成功を見た。まるでトースターからパンが跳ね上がるように、スタンディングオベーションが広がり、関西では、朝比奈さんが亡くなって以来、こんなことは初めてではないかと思う。
アンコールの、「革命のエチュード」、バラード1番となるに至り、会場は凄まじい熱狂に包まれていた。
確かにバラードは凄絶で、穏やかな開始と、次第に熱を帯びて行く、そうして最高潮に達したときの、地を揺るがすばかりの迫力。しかしそれは、私の「強奏嫌い」を消し去るように、あくまで豊かな響きを持っており、全く力付くという印象を与えはしないのである。

これは、全体についても、言えることだ。他のピアニストと比べては、mp以上の音量で、ポリーニは始終演奏しているような具合だが、あれほどうるさく響かない最強音を、私は初めて聴いた。
音楽は些かの澱みもなく、流れる。英雄ポロネーズなど、物足りなさが残ったくらいだ。こういうショパンは、あるいは情緒的なショパン演奏を求める向きには、食い足りないかも知れない。ソナタも、それがかえって、せわしなく感じられた。

けれども、私が今回の白眉と感じたのは、直前で追加された、ノクターンの2曲である。特に変ニ長調が。ポリーニが、あんなにも美しくて、優しいピアノを奏でる人とは、先のモーツァルトを聴いても尚、想像出来なかった。しかし、その演奏は一抹の寂寥感を漂わせている。いつも、どこか寂しげなのである。それは「ギリシア彫刻」「アポロ的」などと一般に比喩されるポリーニ像では、まるで指摘されないものだ。慈愛に満ちた微笑みと、寂しげな横顔-いかにも突飛で、牽強附会の謗りを免れ得ないであろうが、私はあの、「生きる」での志村喬を、ふと思い出したりもした。

彼はずっと、その恵まれ過ぎた技術故に、批評家筋から揶揄されてきた。ディースカウ同様、「うますぎる」などという批判が、甚だ無意味であることは言うまでもないが。
けれども彼の演奏が、かつて確かにテクニックの披瀝のようにしか感じられなかったことも事実である。しかし、いよいよかかる繊細微妙な表情を、その演奏が帯びて来たことにこそ、傾注すべきではないのか。

私はノクターンを聴いてしきりとそう感じたが、ショパンの音楽では、技術の妙ばかりが先立ちすぎて、こうして表情のうつろいが、浮かび上がって来ないのである。そこに私は、ショパンの限界を指摘する。これはもとより、その音楽の優劣を言うのではなく、ポリーニへの適性を言いたいのだ。

殆ど感情的な言い方をすれば、いい加減にピアニストはショパンを弾くという図式から、もっとたくさんの聴き手は抜け出すべきだ。おそらく、このオール・ショパン決定の背景には、様々な音楽以外の事情が絡んでいるのだろうが、その中でポリーニは最大限自分の主張をしてはいる。けれども、これは、日本の聴衆が蔑まれていると言えるのではないか。名手がショパンを、完璧な技巧で弾き切れば、熱狂をもって讃えるという人たちが、あまりに多くはないだろうか?
無論、何を以ってその演奏家の魅力と為すかに決まった基準などありはしないが、少なくとも、ショパンの音楽は、技術以外の、ピアニストが、音楽を通じて自己の何を表出しようとしているのかを聴き取ろうとする時には、あまりに不十分なところが、多い。彼の音楽は、多くの人が思うよりも、形式への志向が強い。そうしてまた、歌謡性が、前進への抑え難い思いに疎外されて、そのロマンティシズムに断絶が生じている場合が少なくない。
そんな中で、ノクターンは、彼の感情が、実は割と素直に書かれていると、私は感じる。マズルカもスケルツォもバラードも、ロマンティシズムと形式へのこだわりに引き裂かれている。例えばシューマンのような、ある種の開き直りのようなものが、もっと必要だったろう。

上述した、ポリーニの演奏がもつ流れの良さと、表情の微妙な明滅とを考え合わせれば、私はやはりモーツァルトが聴いてみたい。バッハ、ブラームス、モーツァルトのプログラムなど、私はいま、ポリーニで1番聴きたい。コンチェルトなら、ラヴェルも、あの第2楽章を想像して、居ても立ってもいられなくなる。

果たして、こうした、ショパンに比べると大人しいプログラムで、人々はどれほど熱狂したろう?あるいは、無名の若手ピアニストが、全く同じ演奏をしたとして、同じ喝采を浴びたろうか?この矛盾した2つの問いに、どう答えたものだろうか。再現芸術としての音楽への接し方を、改めて考えさせられずにはいられない。

ともかく私にとっては、満足感と著しい不満とが、併存する結果となった。

初めから少数派、終わっても少数派であろうか?

都をどり・鴨川をどり雑記

2009-05-06 01:05:55 | 古典芸能
去る4月28日、5月1日に、それぞれ都をどり、鴨川をどりを見物してきた。これは毎年のことであって、まさに京の年中行事であって、私たち京都の人間は、都をどりで花開く春を実感し、鴨川をどりの幕開けとともに、夏の予感を覚えるのである。

さて、都をどりは京の花街中、最も多くの芸妓舞妓を抱える、祇園甲部の出し物。従って、鴨川をどり・京をどり・祇園をどり・北野をどり、いずれよりも規模が大きく、勢い、華やかな催しとなる。そこへ来て、今年はNHKのドラマの影響だとかで、例年に増しての盛況を呈し、観光バスが幾台も乗りつけて、まさに立錐の余地も無い賑わいであった。

そんな次第であったから、平日の昼間の公演というのに、1階席ではあったか、殆ど最後部の端を宛がわれるところとなった。

さて、「よーいやさ」の掛け声と共に、芸妓衆が舞台にずらりと並べば、さすがに艶やかで、客席はため息交じりの歓声に沸く。演目は、これも例年通りと言ってよいか、京の四季をテーマとした舞踊である。今年は、間に義大夫で「野崎村」が入り面白く見た。
ただ、地唄が全体に不調で、例えば昨年見た「三人の会」(甲部・先斗町・宮川町、最古参の名妓共演による舞踊会)に比べては、あまりに貧弱と言ってよく、この道の愛好者には残念であったろう。肝心の舞踊も、実のところ、さほど強い印象は受けやしなかった。
お茶席の立て出しもひどい点前であったし、いよいよこちらは観光行事と成り切ってしまったのであろうか。


一方、鴨川をどりは、茶席は付かなかったけれども、御招待ということで、5列目花道横の好座席。細かい足捌きなども間近に見られて、楽しんだ。
さて、鴨川をどりは、前半は舞踊劇を置く。演奏がテープによるもので、これはいかにも残念なのだけれど、毎年-出来不出来が甚だしいが-趣向を凝らしたもので、こちらを楽しみにする京童も少なくない。昨年は、些か退屈さを禁じ得なかったが、今年の「艶競女歌舞伎」は、筋も考えられていて、随分面白かった。
後半は、都をどり同様、京の四季による舞踊。まず、春の先斗町に舞妓衆が並んで華を添える。「どうどすえ」の声に、思わず客席も微笑みに満ちたことであった。
私の知る市乃ちゃん(「はん」と言うべきかしら)も出番の組で-この人はとてもタッパがあるので、実に際立つ-、楽しんで、見た。
加えて、私は初日の最初の公演を見たので、即ち1組であるが、先述した「三人の会」のひとりである、来葉さんの出番に当たり合わせたのは、まことに幸いであった。他を圧倒する、貫禄の踊りである。とにかく絶対的な安定感が、確かにありながら、手先足先の所作が、実に自然でしなやか、失礼ながら「それなりのお齢」には違いないが、思わず見惚れる、さすがの上手さである。

地唄も甲部より数段上を行く。むろん、あちらは芸妓衆が謡う訳だけれども。私が見た組では、もみ蝶さんを、三味線でみた。


かかる次第で、今年は鴨川をどりが遥かに素晴らしい舞台を見せてくれた。華やかというよりは寧ろ、粋な印象が、強い。平日は多少の空席もあるようだし、関心のある読者諸兄はぜひお運びを。

余談ながら、パンフレット冒頭の辞で、市長が「鴨川をどりが始まらんうちは、春という感じがしない」というような旨、認めていたが、私が冒頭述べたように、5月という時期からしても、鴨川をどりは夏の到来を告げるものとして、私たちは普通、捉えている。京都という土地柄で、こういうことを書くというのは、言葉を選ばず言えば、恥を曝す以外の他では無い。私の遠縁にあたる、かつての富井清市長は、自身尺八の大家であった。また、高山義三市長の、並々ならぬ芸術への情熱無くして、京都市交響楽団は生まれ得なかった。京都市長たる者、一層の深い文化理解を求めたい。