過去に私が執筆した駄文を、時折転載してゆきたいと思う。
今回の「マーラーとわたくし」は、大学1回生の折にレポートとして提出したもの。今となっては拙さばかりが目立つが、敢えて改訂せずに、読者諸兄に呈することとしたい。
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「好きな」作曲家は?と問われると、まず「マーラー」と答えたくなる。ブルックナーの7番を偶然聴き、そして感動し、現在に至るクラシック好きへの道を歩み始めた者として、「ブルックナー」だと言いたい。しかし、どうもブルックナーへの思いは「尊敬」と言うに近い気がする。その点、マーラーはチャイコフスキーやブラームスと並んで、理屈抜きに好きな作曲家であり、就中、心から共感できる作曲家なのである。
マーラーとの出会いは、ご多分に漏れず第1交響曲であった(以下、単に便宜上の問題として「巨人」という名称を用いる)。私がクラシックに目覚めたのは、中学3年生の秋だったけれども、その翌年、即ち高校1年の秋に(たしか9月だった)我が京都コンサートホールにベルティーニ/都響が巨人を引っ提げてやって来た。それを知ったのはちょうど前売り発売の当日で、たまたま京響の定期に来ていた私は有り金を叩いてS席を購入したのだった。今に比べると、まだまだクラシックについて無知であったが、ともかくこのコンビが本邦で最高のマーラーを奏でるコンビだという認識は、何故かあったのである。
しかし、当時の私はマーラーに関心は一切無かった。その前売りを買って後も、暫くマーラーは聴いたことのない状態が続いていたように思う。件の演奏会が迫った頃、漸く「予習」の必要を感じ、あのワルターの名盤を買ってきたのであった。驚いた。それまで聴いてきたシンフォニーとは質を大きく異にする。今にして思えば、これはこの曲に接した当時の聴衆の印象だったのかも知れぬ。ただ、最も強烈な印象を与えたのは、ちょうど授業で取り上げられた第3楽章冒頭の旋律であった。例のコントラバスのソロ ―あの独特のぎこちなさを持つワルター盤のソロ― が始まってすぐ、「ん?」と思った。どこか聴いたことのあるメロディーである。1分と経たない間に「あ!」と声を上げずにはいられなかった。幼稚園の時によくやった、手遊びの一種の歌と同じ旋律だったのだ。「グー・チョキ・パーで、何作ろう?…」という遊びであるが、果たして全国的なものなのか、私には分からない。しかし、何人か、初めてこの曲を聴く友人に聴かせ、感想を聞いたところ、いつもこの旋律への驚きが返って来た。少なくとも京都では、ポピュラーな遊びであることは事実のようである。ともかく、すぐに解説を開いたところ、ボヘミア民謡だとある。京都の幼稚園の手遊びまでにボヘミア民謡が用いられているとは、大変な驚きであった。いずれにしても私はこのシンフォニーをたいそう気に入り、本番までに何度も繰り返し聴いて、演奏会当日を迎えたのであった。
私の席は3列目のど真ん中、指揮者を間近に見られる席だった。開演間近の印象として、とにかく客の入りが悪かったことを思い出す。国内オケの演奏会だから、価格もS席¥6000程度だったし、しかもビックネームの登場だったのに、客入りはせいぜい7割程度ではなかったろうか。私の両脇も空いていた。
チューニングが終わり、マエストロが登場する。思ったより小柄で、少し顔の赤らんだ、温和そうな人だと感じた。前プロは「さすらう若人の歌」。この曲については、「予習」無しで臨んだが、巨人の解説でメロディーの転用についての知識はあったので、なるほどなぁと思いつつ耳を傾ける。そんな状態であったから、演奏の良し悪しについてはよく分からなかったのだけれど、少しバリトンが硬いように感じたこと、カーテンコールの中、セカンド・ヴァイオリンの女性奏者が涙を拭っていたことが、今でも鮮明に思い出される。
さて後半はいよいよ待ちかねた巨人である。第1楽章冒頭の神秘的な響きがホールを満たすや、確かに空気が一変した。他の作品にも実演で接して来た今日でも思うことだけれど、殊にマーラーの名演は、演奏中聴衆が文字通り「固唾を呑んで」聴いている。その反動であろう楽章間の開放感との対比に於いて、それはいつも如実に感じられる。ベルティーニのマーラーは決して情緒過多でも無ければ、ザッハリヒなものでもない。あくまでも作品の寄り添いながらも、実に巧みに指揮者の意志を聴かせてくれる、そんなマーラーである。一言で言うならば、そこには優しさが感じられる。マエストロの人柄なのかも知れない。そんなマーラーだから、第1楽章の、「さすらう若人」の旋律は、背中越しにでも微笑むベルティーニの表情が見えるようだった。実際彼は身体を旋律とともに揺らせて楽しそうに指揮していたし、実にのどかで、朗らかなカンタービレであった。しかし、ここぞというところでの彼の切れ味の鋭さを見逃すべきではない。第1楽章コーダの追い込みの激しさ、スケルツォのリズム感。いずれもマーラーと同時に現代音楽のエキスパートでもあるベルティーニらしい、鋭敏な感覚を思わせるものである。勿論今日の知識での分析であるけれど。
何故か第3楽章の印象が薄いが、あの大編成オケのパワフルなサウンドの洪水である終楽章に、思わず仰け反りそうになったのは言うに難くない。本当にすごい迫力であった。そして何より強烈に記憶に焼きついているのは、曲が盛り上がるにつれてどんどん高潮していくマエストロの後頭部であった。先述したように、ちょうど真後ろで見ていたものだから、血管でも切れないかしらと本当に心配するくらい凄まじいものだったのである。最後の方は興奮していて、もう何がなんだか分からなかった。気がつけば「ブラボー」を叫び、立ち上がっていた。微笑みを湛え、何度も答礼に応じるマエストロ。ポディウムやバルコニー席の人々にも手を振って応える。後日、こういう彼のスタイルを、「聴衆への媚だ」とする評論を読んだが、不愉快以外の何物でもなかった。私は終演後、サインを貰いに行って幸運にも少し彼と会話する機会に恵まれたが、本当に人柄がそうさせたのだとしか思えない、そんな指揮者だった。未だに忘れ得ぬ、握手した時のあの温かい手の感触。それが全てを語っているように思われた。それは彼が世を去った今でも、変わらぬ思いである。
今は、2番や9番の方が好きだけれど、やはりこの「巨人」は特別な意味を持つ作品である。しかし、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる指揮者ではない人々について言うならば、この作品へのスタンスは分かれているように思う。どこか距離を置いた客観的な部分を感じさせる演奏か、それとも全く演奏しないかである。ジュリーニなど、血気盛んなシカゴ時代に録音しているが、意外に大人しい。後者の例に当たる指揮者は、多くの場合、「巨人」の成立や書法に疑問を感じるという。直弟子であるクレンペラーを始め、朝比奈隆やカラヤンが挙げられよう。私はマーラーの音楽について、非常に私小説風なところがあると思う。朝比奈は「巨人」を振るのは「この歳になるとああいう音楽は恥ずかしくって」と語っているが、まことに赤裸々なマーラーの叫びが、あそこにはある。
そういったマーラー作品のひとつの傾向を、言わばまだ多少未成熟の形で内包するのが「巨人」ではないか。と同時に、彼の音楽の持つ非西欧性・汎世界性の志向も既に見ることが出来る。具体的には、当時としては革新的だったであろうあの序奏に続いて、直ちに木管に提示されるラ-ミの下降四度のモティーフ。この四度の音程は、オクターヴ・五度・三度が音程の中心を占める西欧系の民謡よりも、ハンガリーやアジア系の民謡に多く見られるもので、作曲家の柴田南雄氏は、ここに非西欧・西欧以前との親近性を指摘する。続いてクラリネットで模される「カッコウ」の音も、例えばベートーヴェンの「田園」ではミ・ドと長三度の音程で示されるのに対し、ラ・ミの四度の音程を取っているのである。しかし同時に、全体としてはまだ伝統的な西洋音楽の形式に則っている。こういった点も、この曲がマーラーの作品のうちでまず一番にポピュラリティを獲得した所以であろう。
今ではマーラーのCDはそれこそ山のように買ってきたし、それぞれのシンフォニーについて、愛して已まない愛聴盤がある。またハーディング/東フィルによる「復活」、ゲルギエフ/ロッテルダムpoによる9番(涙を流すことさえ忘れるが如き凄演であった!)など、未だ脳裏に鮮烈な印象を焼き付ける名演にも立ち会った。しかし、私のマーラー体験は、いつまでもあの「グー・チョキ・パーで…」から始まっているし、またベルティーニの温顔と共にある。生涯忘れ得ぬ音楽体験というのは、そういうものなのであろう。
今回の「マーラーとわたくし」は、大学1回生の折にレポートとして提出したもの。今となっては拙さばかりが目立つが、敢えて改訂せずに、読者諸兄に呈することとしたい。
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「好きな」作曲家は?と問われると、まず「マーラー」と答えたくなる。ブルックナーの7番を偶然聴き、そして感動し、現在に至るクラシック好きへの道を歩み始めた者として、「ブルックナー」だと言いたい。しかし、どうもブルックナーへの思いは「尊敬」と言うに近い気がする。その点、マーラーはチャイコフスキーやブラームスと並んで、理屈抜きに好きな作曲家であり、就中、心から共感できる作曲家なのである。
マーラーとの出会いは、ご多分に漏れず第1交響曲であった(以下、単に便宜上の問題として「巨人」という名称を用いる)。私がクラシックに目覚めたのは、中学3年生の秋だったけれども、その翌年、即ち高校1年の秋に(たしか9月だった)我が京都コンサートホールにベルティーニ/都響が巨人を引っ提げてやって来た。それを知ったのはちょうど前売り発売の当日で、たまたま京響の定期に来ていた私は有り金を叩いてS席を購入したのだった。今に比べると、まだまだクラシックについて無知であったが、ともかくこのコンビが本邦で最高のマーラーを奏でるコンビだという認識は、何故かあったのである。
しかし、当時の私はマーラーに関心は一切無かった。その前売りを買って後も、暫くマーラーは聴いたことのない状態が続いていたように思う。件の演奏会が迫った頃、漸く「予習」の必要を感じ、あのワルターの名盤を買ってきたのであった。驚いた。それまで聴いてきたシンフォニーとは質を大きく異にする。今にして思えば、これはこの曲に接した当時の聴衆の印象だったのかも知れぬ。ただ、最も強烈な印象を与えたのは、ちょうど授業で取り上げられた第3楽章冒頭の旋律であった。例のコントラバスのソロ ―あの独特のぎこちなさを持つワルター盤のソロ― が始まってすぐ、「ん?」と思った。どこか聴いたことのあるメロディーである。1分と経たない間に「あ!」と声を上げずにはいられなかった。幼稚園の時によくやった、手遊びの一種の歌と同じ旋律だったのだ。「グー・チョキ・パーで、何作ろう?…」という遊びであるが、果たして全国的なものなのか、私には分からない。しかし、何人か、初めてこの曲を聴く友人に聴かせ、感想を聞いたところ、いつもこの旋律への驚きが返って来た。少なくとも京都では、ポピュラーな遊びであることは事実のようである。ともかく、すぐに解説を開いたところ、ボヘミア民謡だとある。京都の幼稚園の手遊びまでにボヘミア民謡が用いられているとは、大変な驚きであった。いずれにしても私はこのシンフォニーをたいそう気に入り、本番までに何度も繰り返し聴いて、演奏会当日を迎えたのであった。
私の席は3列目のど真ん中、指揮者を間近に見られる席だった。開演間近の印象として、とにかく客の入りが悪かったことを思い出す。国内オケの演奏会だから、価格もS席¥6000程度だったし、しかもビックネームの登場だったのに、客入りはせいぜい7割程度ではなかったろうか。私の両脇も空いていた。
チューニングが終わり、マエストロが登場する。思ったより小柄で、少し顔の赤らんだ、温和そうな人だと感じた。前プロは「さすらう若人の歌」。この曲については、「予習」無しで臨んだが、巨人の解説でメロディーの転用についての知識はあったので、なるほどなぁと思いつつ耳を傾ける。そんな状態であったから、演奏の良し悪しについてはよく分からなかったのだけれど、少しバリトンが硬いように感じたこと、カーテンコールの中、セカンド・ヴァイオリンの女性奏者が涙を拭っていたことが、今でも鮮明に思い出される。
さて後半はいよいよ待ちかねた巨人である。第1楽章冒頭の神秘的な響きがホールを満たすや、確かに空気が一変した。他の作品にも実演で接して来た今日でも思うことだけれど、殊にマーラーの名演は、演奏中聴衆が文字通り「固唾を呑んで」聴いている。その反動であろう楽章間の開放感との対比に於いて、それはいつも如実に感じられる。ベルティーニのマーラーは決して情緒過多でも無ければ、ザッハリヒなものでもない。あくまでも作品の寄り添いながらも、実に巧みに指揮者の意志を聴かせてくれる、そんなマーラーである。一言で言うならば、そこには優しさが感じられる。マエストロの人柄なのかも知れない。そんなマーラーだから、第1楽章の、「さすらう若人」の旋律は、背中越しにでも微笑むベルティーニの表情が見えるようだった。実際彼は身体を旋律とともに揺らせて楽しそうに指揮していたし、実にのどかで、朗らかなカンタービレであった。しかし、ここぞというところでの彼の切れ味の鋭さを見逃すべきではない。第1楽章コーダの追い込みの激しさ、スケルツォのリズム感。いずれもマーラーと同時に現代音楽のエキスパートでもあるベルティーニらしい、鋭敏な感覚を思わせるものである。勿論今日の知識での分析であるけれど。
何故か第3楽章の印象が薄いが、あの大編成オケのパワフルなサウンドの洪水である終楽章に、思わず仰け反りそうになったのは言うに難くない。本当にすごい迫力であった。そして何より強烈に記憶に焼きついているのは、曲が盛り上がるにつれてどんどん高潮していくマエストロの後頭部であった。先述したように、ちょうど真後ろで見ていたものだから、血管でも切れないかしらと本当に心配するくらい凄まじいものだったのである。最後の方は興奮していて、もう何がなんだか分からなかった。気がつけば「ブラボー」を叫び、立ち上がっていた。微笑みを湛え、何度も答礼に応じるマエストロ。ポディウムやバルコニー席の人々にも手を振って応える。後日、こういう彼のスタイルを、「聴衆への媚だ」とする評論を読んだが、不愉快以外の何物でもなかった。私は終演後、サインを貰いに行って幸運にも少し彼と会話する機会に恵まれたが、本当に人柄がそうさせたのだとしか思えない、そんな指揮者だった。未だに忘れ得ぬ、握手した時のあの温かい手の感触。それが全てを語っているように思われた。それは彼が世を去った今でも、変わらぬ思いである。
今は、2番や9番の方が好きだけれど、やはりこの「巨人」は特別な意味を持つ作品である。しかし、所謂「マーラー指揮者」と呼ばれる指揮者ではない人々について言うならば、この作品へのスタンスは分かれているように思う。どこか距離を置いた客観的な部分を感じさせる演奏か、それとも全く演奏しないかである。ジュリーニなど、血気盛んなシカゴ時代に録音しているが、意外に大人しい。後者の例に当たる指揮者は、多くの場合、「巨人」の成立や書法に疑問を感じるという。直弟子であるクレンペラーを始め、朝比奈隆やカラヤンが挙げられよう。私はマーラーの音楽について、非常に私小説風なところがあると思う。朝比奈は「巨人」を振るのは「この歳になるとああいう音楽は恥ずかしくって」と語っているが、まことに赤裸々なマーラーの叫びが、あそこにはある。
そういったマーラー作品のひとつの傾向を、言わばまだ多少未成熟の形で内包するのが「巨人」ではないか。と同時に、彼の音楽の持つ非西欧性・汎世界性の志向も既に見ることが出来る。具体的には、当時としては革新的だったであろうあの序奏に続いて、直ちに木管に提示されるラ-ミの下降四度のモティーフ。この四度の音程は、オクターヴ・五度・三度が音程の中心を占める西欧系の民謡よりも、ハンガリーやアジア系の民謡に多く見られるもので、作曲家の柴田南雄氏は、ここに非西欧・西欧以前との親近性を指摘する。続いてクラリネットで模される「カッコウ」の音も、例えばベートーヴェンの「田園」ではミ・ドと長三度の音程で示されるのに対し、ラ・ミの四度の音程を取っているのである。しかし同時に、全体としてはまだ伝統的な西洋音楽の形式に則っている。こういった点も、この曲がマーラーの作品のうちでまず一番にポピュラリティを獲得した所以であろう。
今ではマーラーのCDはそれこそ山のように買ってきたし、それぞれのシンフォニーについて、愛して已まない愛聴盤がある。またハーディング/東フィルによる「復活」、ゲルギエフ/ロッテルダムpoによる9番(涙を流すことさえ忘れるが如き凄演であった!)など、未だ脳裏に鮮烈な印象を焼き付ける名演にも立ち会った。しかし、私のマーラー体験は、いつまでもあの「グー・チョキ・パーで…」から始まっているし、またベルティーニの温顔と共にある。生涯忘れ得ぬ音楽体験というのは、そういうものなのであろう。