アルチューハイマー芸術エッセィ集

音楽批評を中心に日々見聞した芸術関係のエッセィを、気が向いた時に執筆してゆきます。

アバド/ルツェルン祝祭管ロシアン・ナイト

2009-12-08 06:28:56 | DVD評
音楽の映像というものは、実はあまり見ない。オペラはまだしも、演奏会の映像は、ああして言わば「他人の視点」を強制されるのが、ひどく疲れるし、また音楽にも集中出来ないからである。それでは次からはテレビは消して見ましょうとすると、案外音質がぞんざいだったりする。
近頃はDVDだけでライヴの録音が出たりするから、私としてはあまり喜ばしくない。

その典型かこのアバド/ルツェルンで、DVDしか出ない。けれども、いつかのマーラーの第6番があまり良かったものだから、私はそれから毎年このコンビの演奏を買い続けている。いまヨーロッパに行って、一番見たいのは、彼らの演奏である。

今回は珍しいロシア物のプログラム。俄然興味が湧くではないか。

まずチャイコフスキーの序曲「テンペスト」。私は、この曲を聴いて魅力を感じたことは、残念ながら一度もない。アバドは、例によって非常に明快でスマートな音楽を、ここでもやっている。ただ、それがあまりに見通しが良くて、些か作品のどろどろとしたところと乖離している。ただし、こんなに輪郭のはっきりした演奏をした人は、私は他に知らない。
「ロミオとジュリエット」をやってくれたら、どんなにか良かったのに。

次はある意味ではメインといえるだろうが、エレーヌ・グリモーを独奏に迎えた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。当代きっての美女音楽家の映像というのは、確かに値打ちがありますね。
グリモーという人は、奮然と弾きまくっているようでいて、その音はあくまでクリアで、しかも独特のしなやかさがある。だから剛腕逞しく弾き上げるラフマニノフを好まない私には、歓迎出来るものだ。けれどもここでのグリモーは、もうひとつ方向性がはっきりしない。抒情的な演奏を目指すにしては、やや表情の変化に乏しい。例えば、弱音をもっと効果的に用いて欲しい。第2楽章など、あまり浸りきれないまま終わる。白眉は終楽章で、あのロマンティックなテーマは実に繊細に弾いている。そうしてまた、オーケストラの壮大なトゥッティと渡り合うあたりの貫禄は十分で、よくもこの細い身体でと思わせる。圧巻。
アバドはチャイコフスキーと基本的には同じスタイルで、この人らしく独奏者を優しく包み込んでいる。ただやはり、響きが洗練されていて、こういう曲には物足りなさが残るのもまた事実である。

最後はストラヴィンスキー「火の鳥」(1919年版)。アバド久しぶりの録音。
ただ、これはあまり感心しなかった。個々のメンバーの、すさまじくハイレベルな技量を聴くには良いが、全体としてその響きが迫ってこない。例えば「カスチェイ王の踊り」など、驚異的なオーケストラ性能の高さを突き付けられるが、個人技があくまで個人の段階に留まっているのである。こういう違和感は、全曲を支配している。終曲も、あまりに軽やかに過ぎて行って、聴かせどころがない。マーラーの複雑なテクスチュアを解く、見事な一例を示してくれたアバドも、ここではそれが裏目に出て、まるでつまらない演奏になってしまった。
即ち、こういう多分に「見得」のようなものを織り交ぜて聴かせて欲しいような曲では、彼の指揮ではあっさりに過ぎて物足りない。


といったような次第が、久しぶりに新譜を視聴した私の雑感である。話題性は十分くらいあるのだけれど、あまり成功したプロダクションとは言えまい。