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John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

シスター笹川に与えられたメッセージをもう一度読んでみよう

2022-03-10 21:47:18 | ロザリオの黙想
三度目のメッセージは1973年10月13日

 

「愛する私の娘よ。これから私が話そうとすることをよく聞きなさい。

そしてあなたの長上に告げなさい。

前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は人類の上に大いなる罰を下そうとされておられます。

その時、御父は大洪水よりも重い今までにない罰をくださるに違いありません。

火が天から降り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。

良い人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。

生き残った人々には、死んだ人を羨むような苦難があるでしょう。

そのとき、私たちに残された武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。

毎日、ロザリオの祈りを唱えて下さい。

ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。

悪魔は教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。

私を敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。

祭壇や教会は荒らされ、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。

特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。沢山の霊魂が失われることは、私の悲しみです。

これ以上罪が続くなら、もう罪の許しはないでしょう。

勇気を持ってあなたの長上に告げてください。

あなたの長上は、祈りと贖罪の技に励むことを一人一人に伝えて熱心に祈るよう命じるでしょう。」

 


宣教について考える

2022-01-07 21:49:32 | ロザリオの黙想
最近、ある疑問について考える。

頭が少々混乱ぎみなんで、
変な事を書くかもしれませんが、あしからず。

カトリックとして、神や聖母を宣教する者の
悪魔的ビジュアル、あるいはファッション
もっというとロックをきくのはありか?
という問題がある。

自分的にいうと、自分は大のハードロック好きで
よく、ハードロックを聞く。
エレキギターも弾くし、アコースティックギターも弾く。
ハードロックが好きではあるが、ポップスもクラッシックもきく。

でも、ひとつの線引きはしている。
悪魔的な衣装、メイクをしているアーティスト、悪魔的な歌詞を歌って
いるアーティスト、悪魔を宣伝しているアーティストは聴かない。

日本にも外国にもそれらしきアーティストはいる。

それらを全面に出して宣教することはありなのか?

たとえば、ハードロックを聴かない人からすれば、
ハードロックは悪魔的なものと見えるのかもしれない。

言いたいことがまとまらないが、悪魔的なメイクを横において
宣教している人に戸惑う。

あるYouTuberのことを言っている。

凄くカトリックを的確に宣教している方で
それ自体は、凄く良いもので、尊敬しているし、感謝もしている。
カトリックの宣教動画は希少価値があるし、やる人はめったに見かけないからだ。

なぜ、この画像?
戸惑う。
敬虔な信仰、素晴らしい動画による宣教。

でもそのメイクの意味は
地獄からきた悪魔。

本人は、そのアーティストの大ファンで、意味も知っていて
取り外す気はないという。

私はこう思う。

ブログなりTwitterなり、そのトップは自分の今、一番大切にしているものを
フロントに貼るものだと。

私の、ブログの画像はマリア様であり、Twitterの画像は、イエズス様に抱かれた自分
であり、聖テレーズなのだ。
私の一番は、イエズス様であり、マリア様なのだ。

心の中の一番は何気ない日常の一部に出る。

私達の一番はイエズス様であり、マリア様でなければならない。
それにとって変わるものを置いてはならないと思っている。

特に宣教している者にとっては必須条件ではないのかと思っている。
だから、今回の件に戸惑っていると言っている。

神を愛するものは、悪魔を自分の方から寄せ付けてはならない。
そう思っている。

悪魔的な衣装、悪魔的な音楽、
ハロウィーンは悪魔を呼び寄せる祭りなのだ。

人間側がそうは思っていなくても、
悪魔はそうは思っていない。
悪魔はそういう人間を好み、そういう人間をターゲットにするのだ。

なかなか理解に苦しむ問題で、どう判断していいのか?
わからない。

今回の画像の疑問点は、神やマリア様、カトリック教会を愛しながら
悪魔を否定しない点にある。

私は、悪魔を宣伝するようなことがそのアーティストに認められたなら、
そのアーティストを聴かないようにする。
すでにそのバンド名が反キリストを表しているバンドは一切聞いていない。

自分が罪により、悪魔に負けることがあったとしても
自分から悪魔を宣伝するような行為、メイク、呼び寄せるようなことは
しないと決めている。

悪魔は、もともと天使であるから
人間を騙すことなど、いともたやすくしてしまうのである。
だからこそ、神に頼って絶えず自分を警戒して見ている必要があるのだ。

言わんとしていることがわかっていただけたかな?


2021~妹へのラブレター

2021-12-31 22:37:18 | ロザリオの黙想
スマホの着信音がなる
あの時、どのような思いで
あなたは、スマホのボタンを押したのだろう
天に召される数ヶ月前
苦しい思いを聞いてほしくて
きっとそうしたのだろう
あなたもきっと自分が天に召されるなんて
思っていなかったんだろう、きっと。
あなたの話しは途切れることなく
ずっと深夜まで続いてしまった。
俺はずっと仕事で疲れていたんだ、
早く眠りたくて、明日の仕事のために
でも、その時話を聞いてあげるべきだった
あなたの思いを聞いてあげるべきだった
今更ながら思っている
そうすれば、あなたの命はつながっていたのかもしれない
でももうあなたはいない
聞いてあげたくてもあなたはいない
そして、自分の話も話せないんだよ。
あなたが天に旅立ってから
あなたがメールでくれた好きな曲を
歌詞を何気なく観てみたんだ。
気づかなかった、
あなたが自分を好きだったなんて
妹にしか思えなかったから、
それでも、妹としてずっと好きだよ
ずっと、ずっと
いつか、必ず会える日がくる、
永遠に離れない時がやってくる、
永遠の妹よ・・・・


この詩は、霊的妹に捧げたものです。
線維筋痛症という難病に10年以上苦しみながら
死の2年前に洗礼、死の6か月前に堅信を受け
主のあわれみにより急性心不全で亡くなりました。
私は、亡くなってから6か月以上もたって、
妹の死を知りました。
妹は、信者歴は凄く浅いのですが霊的にはふつうの
信者と比べ物にならない位深い信仰の持ち主でした。
それでいて外国育ちでもあり明るく、謙遜な人でした。
私は、妹を守ると神に言いました。
私は、妹を守ったんだろうか?と
自問自答しています。
あの時、自分はいっぱいいっぱいだったんです。
妹は私に何も、別れを告げることなく
天に旅立ちました。
すごく、霊的につながっていたので、
私はその時、後の生きている人生の半分は
失ったと思いくらいにショックでした。
妹が味わった病とは別ではありますが、
今、体の痛みと戦いながら生きています。
霊的な妹の兄として恥ずかしくない人生を
送れるようにと、気合いを入れて
全身全霊、一生懸命に仕事してます。

サルベ・レジナ 文語 自分用

2021-11-06 21:34:27 | ロザリオの黙想
サルベ・レジナ


元后あわれみ深き御母
我らの命、慰め、及び望みなるマリア
我らちくたくの身なるエワの子なれば、
御身に向かいて呼ばわり
この涙の谷に泣き叫びてひたすら仰ぎ望み奉る。
ああ、我らの代願者よ、
御あわれみの御眼(まなこ)もて我らを顧みたまえ。
また、このちくたくの終わらん後、
尊き御子イエズスを我らに示したまえ。
寛容、仁慈、甘美にまします童貞マリア、
天主の聖母、我らのために祈りたまえ。
キリストの御約束に我らをかなわしめたまえ。
アーメン。

どうも口語はしっくりこないですね。
やっぱり、文語です。
これで良かったんだよね。

自分が忘れた時のために。
自分用。

神は私達をどうするおつもりなんだろう?

2021-09-04 16:32:56 | ロザリオの黙想
日々、神を愛するカトリック信者ならこう思いながら、
生活するのを余儀なくされているのだと思う。
ワクチンを打つべきか、否かも考え、
そして、神のみ旨は打つべきなのか、そうではないのかを
絶えず自問する日々が続く。
TVでは感染者の数が絶えず流れ、私達の不安を煽り、
打たないことが悪いことのような感じさえもする。
しかしながら、ネットにおいてはワクチン派と反ワクチン派に分かれ、
情報の共有を絶えず発信している。
政府もワクチンに頼りっきりで、接種もなかなか追いついていない。

経済に関しても今年は持つかもしれないが、来年は悲惨になるという人もいる。

結論からいうと誰が総理になっても
コロナは続く。

天災を含むすべての災いは神が起こしたという人がいるが、それは違う。
人間が災いを招いた結果なのだし、神を無視し続けている結果が今の状況なのだ。

神自身、そして、神が選んだすべての人を通して、
時の終わりには、大災難が地球を襲うと警告されてきた。

その時の終わりが今、始まったと感じざるを得ない。

神はとうとう手を地球の人間たちに振り下ろし始められた。
そして、神様自身は自分の耳を塞いでいらっしゃり、
眠っているふりをしていらっしゃる。

私は、もう、25年以上神を愛してきたが、今、震えている。
私達は、一体どうしたら良いのだろう。
人間である以上、罪を犯していないとは言わないし、
多数の欲もある。
でも、人生を神に捧げてきた。
修道者ではないにしても、これからの人生も捧げた。

幸いにしてコロナには感染していない。
ワクチンも打っていない。
コロナによって自分の命を神に捧げれば神は納得してくださるかもと思ったりもした。

コロナによって、
生活が激変し、生活が破綻したり、
死んだりしたり、環境が一変した人が多いかもしれない。

でも、コロナによって、普通に生活することがいかに幸せなのか、
また、なぜ、このような事になってしまったのか、
これから考える時間が増える人が多くなることだろう。

あの悲惨な阪神大震災から始まって、東北大震災が、そして、
今回のコロナでも、人は神に向かうことはほぼなかった。

神が人類に話しかけているのに、いっこうに神の話を聞かず、
人間の力でどうにか出来ると思っている。

その結果が今なのではないかと。

神はおっしゃった。

いったん天罰が地球に下り始めたら、注意せよと。
止まることがなくなるから、と。

今、天災やかつてない気候変動が地球を襲っています。

これから阪神大震災クラスの、また、東北大震災クラスの
地震や津波が日本や世界を襲わないとはいいきれませんし、
いずれは起きるでしょう。

神よ、私達はどうすればよいのでしょうか?

このコロナにより、神自身も苦しんでおります。
教会のミサ参加者が大幅に減りました。
その結果、神に捧げられる祈りが減り、その結果、救われる人がへっています。
人が救われないのは神にとっては苦しみ以外の何ものでもありません。

教会への献金が減り‥教会維持も困難になり、教会閉鎖をするところも
増えるかもしれません。
バチカンも観光客がへり、困っているようです。

神よ
私達をあわれんでください。
あなたを求め、
未来にあなたに対して
祈り求める多くの人を
想像してください。

また、
あなたに対して
少ないけれども
祈り、犠牲を捧げている人を
かえりみてください。

その人達の
あなたへの愛ゆえに
あなたを今は愛さない人を
かえりみてください。

私達は、
その人達があなたへの
大きな愛を持って
あなたに帰る事を
信じています。

私達は
あなたが私達のために
十字架にかかり、
罪をあがなって
くれた事を知っています。

そして、
あなたが私達を
限りなく愛してくださっている
事を知っています。

あなたの慈しみに信頼し、
私達の祈りを
改めてあなたにお捧げいたします。