Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

W★INGの真実 Ⅰ

2011-12-10 03:00:14 | 日記
★1991年12月10日 ……東京・水道橋の後楽園ホールは,満員の観衆で膨れ上がっていました。 この僅か4ヶ月前に格闘技とプロレスを融合した"プロレス団体”として同じ後楽園ホールで旗揚げ試合をやったばかり。それだけに "再”旗揚げ試合なんか見にお客さんは来てくれるか……心配のしどうしでした。

鳥が大きな”翼”を広げて飛び立つみたいに……W★ING〈ウイング〉と,ある友人が付けてくれたけれど,最初は何かピンときませんでした。 ただ,既存の団体みたいに『〇〇プロレス』 といった(野暮ったい)名称だけは付けたく無かったのです。 そういう意味では《FMW》も同様で,こちらは確かゴング誌の竹内さんが名付け親でしたね。

《W★ING》という名称もそうですが,正直な話し 格闘技とプロレスを融合して行うという事自体,私はやりたくはなかったのですが,大迫氏(=W★ING社長)が何故だか"格闘技"に固執していて"やむなし"といったところでした。 大迫氏はFMWの社長を勤めた人でしたが,この人に問題アリだったんです。

私が大迫氏と初めて顔を会わせたのはFMWの時。 大仁田選手が連れてきたと記憶してますが,途中から姿を消してしまいました。 大仁田選手との間に一体何があったのか分かりませんが……私がFMWを離れた後,どういう巡り会わせかまたも一緒になってしまいました。 (笑)それも渋谷の街中でバッタリ! この偶然が”運の付き”だったんです。(笑)

8月7日の旗揚げ試合から《W★ING》は僅か3シリーズで"崩壊”の道を辿るわけですが……はっきりした月日は思い出せないものの,大迫氏が 「このままではしょうがないので別々にやっていきましょう」 と,相談ではなく,既に決定事項といった感じで私に言ってきました。 多分,秋口だった,と思います。

「でも,その前に解決する問題があるのでは…」 との問いにはハッキリとした答えが返ってきません。 会社設立に際しては,過去に大迫氏がやっていた会社の「定款」を使い,実質W★INGの運営資金(当面の運転資金)800万を私が出したのですが,大迫氏は1円たりとも出す事なく,会社に貸付けた800万は戻ってくる事はありませんでした。

私に大迫氏を見る目が無かったといえば,それまでですが……W★INGと大迫氏の新団体の間で選手達の気持ちは揺れ動き,私の方は当日(12月10日)まで正式なカードを出す事が出来ませんでした。 大迫氏の方は一試合も行わないまま結局は"終焉"を迎えてしまったのですが,その大迫氏が 「手を変え,品を変え」 妨害をしてきたのです……。 (明日へ続く)

※写真はFMWとW★INGの初期に社長を勤めた大迫和義氏