Invitation to W★ING

<東日本大震災>で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げるとともに一日も早い復興をお祈り申し上げます。

12月8日の惨劇

2011-12-08 16:30:14 | 日記
★今年もあと3週間ちょっと……。 少しずつ掃除を始めようと,取り敢えず部屋の中に所狭しと置いてある本や雑誌を片付ける事から手をつける事に……。 まあ,暇をみて少しずつ片付ければ何とかなるだろうかと楽観しているけど,どうなる事やら。 (笑)


今日12月8日は,二人の<スーパースター>に思いも寄らぬ”惨劇”が起きた,忘れる事の出来ない日なんです。

一人は,もう今から48年も前の事になりますが,1963(昭和38)年,赤坂のナイトクラブ 『ラテン・クオーター』で,些細なイザコザから"プロレス界のスーパースター”力道山が暴力団員に腹部を刺され……一週間後に他界してしまったのです。享年39歳。

そして,もう一人は20世紀最高のロック・バンド 『ザ・ビートルズ』のリーダーでもあるジョン・レノンが,1980(昭和55)年,ニューヨークの自宅 「ダコタ・ハウス」の前で熱狂的なファンの銃弾に倒れ……世界中のファンに衝撃を与えました。 享年40歳。

力道山の時は 「何が何だか分からない」 というのが実感でしたよね。 まだ子供だったし,亡くなった事実よりプロレス自体,これから先どうなってしまうんだろう,という思いの方が強かった様な気がするんです。 でも,私のそんな心配をよそに,豊登・吉村・芳の里・遠藤の4人がスクラムを組んで”新生"日本プロレスを引っ張っていったのです。

もし ……あの時に日本プロレスが無くなってたら,どうだったでしょうね? 15日の午後9時50分に青山の 「山王病院」 で亡くなったのですが,翌月には新体制にてシリーズが始まった訳ですが ……参戦した外人レスラーの事はまるっきり覚えていません!

まだジャイアント馬場さんは居ません。デビュー3年……アメリカで大旋風を巻き起こし,2月にはNWA(ルー・テーズ),WWWF(ブルーノ・サンマルチノ),WWA(フレッド・ブラッシー)の3大タイトルに連続挑戦して脚光を浴び,その春に"凱旋"しました。

確か1月に来日すると発表された,クラッシャー・ブル・ ベドウというロサンゼルス (WWA)地区で暴れまくる話題のレスラーが来日を妨害され? 参戦をしませんでした。 これ以降も日本にやって来ることは無く文字どおり 「まだ見ぬ強豪」(昔よく使われたフレーズですが)となってしまいました。 外人レスラーは誰がやって来たか気になって仕方ありません……。  <茨城>

※写真は力道山の死後,新生・日本プロレスに立ち上がった”四天王”遠藤,吉村,豊登,芳の里(左から)