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ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ケネディ政権2

2007-05-05 21:53:49 | Public
なぜベトナム戦争が大規模化、長期化したのか。

キューバ危機を招いたケネディが、それによるアメリカの威厳低下を避けるため、ソ連・フルシチョフに強硬姿勢をとらざるを得なかったから。2人のウィーン会談のときにその構図が決定し、そのときすでにアメリカが軍事介入していたベトナムが、アメリカのその「意思表明」の場として作用した。

なぜキューバ危機が起こったのか?

ケネディが若く、それゆえにエキスパート(=選挙というプロセスによって選出される政治家でなく、自分以外の基盤を持たない官僚、もしくは財界人)を重用しすぎたから。そのような人たちは総じて「第二次大戦後のアメリカ」に酔いしれる―――ドイツ、日本への勝利、マーシャルプランによる西欧の大復興計画の成功、その他冷戦初期のさまざまな重要決定をこなしてきたという自負を持った―――「エスタブリッシュメント」であり、大国アメリカに懐疑的になることをしなかった。

・・・
ではなぜ、共和党はそれを指摘し、ケネディを批判して引き摺り下ろそうとしなかったのか?なぜ議会はプレーヤーとして出てこないのか?

選挙民というバックグラウンドを持たないエキスパートが、自分の考えへの信頼、その他の利害関係から意見を述べすぎることの弊害。それは今の日本で言えば経済諮問会議ではないだろうか。

民主主義は、最悪なもののなかの一番ましな方法―――この言葉は、運営に多大なコストがかかるが、意見が平等に反映されることは無く、ときには現在の連立与党のように第三党の意見が過大に政策に反映する、という意味で登場することが多い。しかしこれは、人事システムの意味でも言えるのかもしれない。巨額のお金が係り、それゆえにお金のある人しか当選しにくい政治家選出システム。しかし、そのコストこそが大事なのだ。

where you stand depends on where you sit---- and how you sit.

歴史は壮大な実験の繰り返し。アメリカが試みてきたことは、特に日本人として重大な先行例に思える。

フィリピンの将来

2007-05-04 01:03:46 | Public
15歳かそこらで、介護士を目指す子供が居る。フィリピンの話である。

夜中に働き、おばあちゃんの介護をしながら、最近できたと言う半年間の介護士養成学校に行く。

「おばあちゃんのため、そして僕の将来のために介護士になりたいんだ。」


やっぱり、介護は若者がやる仕事じゃない気がする、、願わくば。ましてや、半年間の取材中にどんどん背が大きくなるような成長期の子にはさせたくない。生が終わりつつある人間の、痛みや切なさを見ながら成長すると、大成しない気がする。

人を育て、外国に送り出し続ける国、フィリピン。いつかその優秀な人材が国内にとどまるような、レベルの高い労働市場が出来上がるだろうか。

発展のひとつの方法として、フィリピンの政策は成功するだろうか。

50年後のフィリピンは、どうなっているだろうか。

アメリカのエキスパートINケネディー政権

2007-05-02 08:37:32 | Public
" Where you stand depends where you sit "

人の意見は、その人の座ってる場所による―――アメリカの言い回しだそうだ。生まれた家、土地、学校、政党、、それで意見が決まってくる。どの国にも言えることだろうが、where you sit がメンタル・コンプレックスを生みやすい国のほうが、その傾向が強いといえるかもしれない。格差や偏見は、いじめを生み、犯罪を呼び、精神科医を氾濫させ、ときに大学での銃乱射事件にもつながる。一方で、功名心を駆り立て、勉強や名声へのエネルギーになり、上り詰めた地位を死守しようという思いになる。世界最高レベルの大学郡は、がむしゃらエネルギーの受け皿として必要不可欠なものなのだろう。

アメリカ外交史の授業をとって、ベトナム戦争期の意思決定がどうなっていたのかについて勉強している。本を読んで授業を聞くだけだが・・・面白いほど「議会」が出てこない。アイゼンハウアー、ケネディー、ジョンソンと続く大統領と、その側近、国防長官やアドバイサーたち。ときどきベトナムのホーチミンや、ソビエトのフルシチョフ。とにかく、アメリカ人軍事関係者がほとんどを決めている。

ベトナム戦争についての講義はまだ道半ばだが、ここまでの話で感じた、ベトナム戦争敗因の決定打は、「50年代60年代の、マッカーシズムによるアジア分析スペシャリスト排斥」だと思った。若く、経験の無いケネディーは様々なエキスパートで周りを固め、政治決定をしていたことは有名だ。ベトナム戦争開戦時、そこにアジアのエキスパートは居なかった。「3人のJohn ; John Porter Davies, John Stewart Service, John Carter Vincent 」がそうだったらしい。

「彼らは知っていた。共産主義者は一様ではない。アジアとロシアに片足ずつを載せてバランスをとっていたチトーと、ロシアの支援がのどから手が出るほど欲しかったカストロは違う。キューバ危機の直後、ケネディー政権には共産主義者はみなカストロに見えた。でも、ホーチミンはチトータイプだったのだ。」

エキスパートが立身出世しやすい国、アメリカ。ハーバードに行ったエキスパートたちが、いつやってくるかわからない自分の番を「次の戦略」を抱えて待っている。