昨年五月に大地震にみまわれた中国、四川。
今、地震後に懐妊した妊婦が急増しているという。
今朝の読売新聞の記事。
特に38歳前後の妊婦が多いという。
なぜか。
ひとつは、「一人っ子」を失った悲しみからだ。
他に子供はいない。
たとえば、中学校の倒壊で1600人の子供が犠牲になったが、
この場合3200人の彼らの両親はほぼ全員、
たった一人の子供を亡くした悲しみに見舞われていることになる。
「子供が産めるうちに」と30代後半の母親たちは「再出産」を急いだ。
もうひとつは、「老後の糧」をなくした不安からだ。
社会保障制度の充実していない農村、農民は、
子供は老後を支えてくれる唯一の「投資先」。
なくてはならな含み資産だった。
この記事のちょうど裏側が、産科医療補償制度の解説記事。
脳性まひで産まれた子供への補償制度がこの一月から
始まったというもの。
制度というものは、なんと人間の動きや感情に
大きな影響を与えるものかと再度実感した。
中国の、窮屈に制限された動きの中で、
地震という異常事態によってうまれた悲しみや不安に、
自分で対処しなければいけない。
産めるものならもっと子供がほしかった。
若いときに、産みたかった。
明らかに、一人っ子政策という制度がこの事態を生み出した。
制度がなければ、こんな極端な状態ができあがることはなかった。
自由ということは、後悔せずに人々が生きていくための
重要なインフラかとも思った。
自分の選択に、なかば強引にでも納得しながら生きていかなくてはならない。
そうしないと、不幸だ。
強制力を持つ国家に、自由を否定され、納得も出来ずに
選択しなければならない状態は、いつまで続くのだろう。
記事によると、現在地震後に懐妊した妊婦は同省で757人という。
生まれてくる子供はみな、地震が起きたためにこの年に生まれ、
地震で子供を亡くしたことに悲しむ両親と、復興中の混乱した
経済やインフラと、必ずや親の面倒をみるという使命とに
直面しながら大きくなるのだろうか。
彼らが大きくなる頃の中国など、全く想像が出来ない。
よりましな、自由な国になっていることを願うが。