ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

本・斎藤環『中高年ひきこもり』

2020-03-30 04:35:03 | Book
精神科治療において「対話」に重きを置く「オープンダイアローグ」について、前に書いたことがある。https://blog.goo.ne.jp/mreisende21/e/3247cb35e056a9d1b8dee274d53bff9a 
このときに出てきていた精神科医の斎藤環さんの本。ひきこもりの高齢化や、ひきこもりの人が大きな殺傷事件を起こしているかのように見えた川崎の児童殺傷事件などを受けて解説している。

線を引いたところをいくつか。
「ひきこもりの人=たまたま困難な状況にあるまともな人」。これは私も意識していることではある。でもときどき、不必要に(?)「私よりずっと真面目な人」などと比較級の入った考え方をしているので、元に戻して(?)困難な状況にあるまともな人、でいいんだよな、やっぱり、と思った。ただ、「まとも」という表現はあまり好きではない。「ちゃんとした人」うーん、ちゃんとした、というのもなあ。「ちゃんとした」と使うとき、「バランス感覚のある人」などと言いなおしたりするけど、ちょっと違う気もする。ひとまず、「困難な状況にあるとてもまじめな人」、でいいかな、私としては。

「いじめPTSD」
不登校や、ひきこもりのきっかけとして、いじめ体験のある人が多いという指摘。それはほんとに思う。そのときに、そのつまずきを、ほかの人間関係でケアしていないと、人間関係への恐怖心が残ってしまう。理不尽な思いをまたするのではないか、もしくは、自分なんて友達はできない、と思い込んでしまう・・・。
本書では、いじめが起きたときに「加害者への配慮ある処罰」が必要だと書く。「配慮ある」というのは、加害者側にも過酷な家庭環境などがあったりするので、その可能性は考慮しなければならない、ということだけど、とりあえず加害者と被害者を同等に扱ってはいけない、いじめを受けた側が納得する対処がないと後遺症化する、というのである。

「お金は薬」
ひきこもりは、収入と家があって初めて成り立つので、親がそれを負担していることがほとんどである。そのとき、親はひきこもりの子にお金を与えるべきか否か、という問題に、著者は「お小遣いは与えるべき」と書いている。なぜなら、お金がなければ「欲のない人」になってしまう。欲がなければ社会参加しよう、就労しよう、お金を稼ごうという気持ちにならない。こうなるとひきこもりの人は「無敵」になってしまう・・・。
「小遣いはやらんから、自分で働け!」というのはよくない。欲のない人の難しさは私も感じているので、納得でした。

ひきこもりの人への「マイルドなお節介」
ひきこもりの人は治療対象ではない。ひきこもりは状態であって疾患ではない、というのが著者の立場。では支援が必要でないか?と言われれば、状況によるが、「潜在的に支援ニーズを抱えている、という先入観を持っている」という。表面的には拒否していても、家族関係が変わるなど状況が変化すれば、ニーズが生まれてくる。だから、支援を押し売りするのではなく、「御用聞きよろしくニーズの有無を尋ね、断られればまた次の機会をうかがう」。
これまで、なんとなく「御用聞き」的なかかわりは何か間違っているような、不健全なような気がしていたが、でもそうなっちゃうよな、とも思っていた。堂々と御用聞きでいいのだ、と思えた部分。

オープンダイアローグ
これは、冒頭でも書いたが興味ある支援方法。これまでは、精神科領域のメソッドとして認識していたが、この本を読みながら、今の仕事にも生かせるのでは、と思った。対人関係を築くのが不慣れな人にとって、おしゃべりをする、という経験の大切さがわかってきたから。面談室で話をするのと、カフェで話をすることの違いは、まず私がメモを取らない。自分の話もする、というらへんか。これがすごく、本人の違う部分を引き出せるなと感じている。
面談室でも、オープンダイアローグを意識した何かができるのではないか。ガイドラインを見たら22ページだったので、一度目を通してみたい。

本『人事のなりたち 「誰もが階段を上れる社会」の希望と葛藤』

2020-03-17 05:12:29 | Book
就労支援の仕事をしていてお会いする方のボリュームゾーンは、ひとつは発達障害の傾向のある方(20代以降で何かしらつまずいて支援機関に来られるので自覚がある場合が多い)。もうひとつは、少し学力や能力が足りないので、合う仕事の幅が狭そうな方。この後者は、以前なら高卒就職していただろうけど、大学になんとなく進めてしまい、新卒一括採用で敗退…という感じ。

この本によると、かつては高卒、短大卒の人が就職して担っていた仕事は、非ホワイトカラー(製造、流通、サービス、販売、事務、建設)の仕事で、これらが今、ガラッと非正規雇用になってしまっている。雇用量も流動的で、就職氷河期の現象が起きたり、フリーターが出てきたりする。彼らが大卒でホワイトカラー(営業、経理、人事、総務など)を目指そうとしても椅子が足りない、ということ。なるほど!と思いました。

本書を通じて明確になっていくことのひとつは、こうしたかつての高卒職で、階段を上って行かなくても良いコースの正規職。上っていけというプレッシャーなく、でも雇用は切られず、10年でも20年でも、さほど昇給かなくても同じ仕事し続けますよ、という選択肢。

今も昔も、日本の特徴としては、正規職、正社員はみな階段を上っていくことが前提で、無限定雇用だったし、その仕組みで嬉々として働く人もいたが、年功序列で上っていく賃金に見合った仕事、というプレッシャーに耐えられない人もいた。そその心理的な辛さはあまりこれまで考えたことはなかった。この点で私も、マッチョ思考に偏っていたのかも。

概ね、濱口さんの『新しい労働社会』で膝を叩いて納得した知識がベースとなっていて読みやすく、今の仕事と紐付けて新しい発見もあった。ではどうしていくか。正社員が新卒で肌の合う会社にマッチングするには。そして高卒職だった層が、安定的な職を得るには。ヒント部分をまた今度書き留めておきたい。また今度。

書評はすぐに書かないと…。濱口さんの『働く女子の運命』は文が止まっている!


「やりがいある契約社員」を続けるにはやりくりが必須

2020-03-12 05:20:00 | Private・雑感
福祉や支援の現場職は、契約社員の形態は多い。正社員ももちろんあるけど、社会福祉法人とか医療法人に限られ、特に自治体の委託事業は、委託事業の契約がなくなれば雇用継続が難しい場合もあるので契約社員になりがちだ。私は、まさに今、その立場である。

同僚に、40代半ばの男性がいる。企業での人事やハローワーク勤務ののち、私より長く、今の法人で支援の仕事をしているベテラン。役職もあるから、給与も私よりはいいはずだが、やはら民間の同年代よりは低いと思う。それで、週に半日くらい、個人事業主としての副業もしている。支援の仕事が好きなのと、器用でない、スケジューリングがうまくない、などいろいろあり、最近は体調を崩しがちで、同僚としては心配だ。

私も、この「やりがいはあるが給与は高くない、そしてあまり上がらない」という同じ仕事をしているわけだが、そこのところはさほど悲観的ではない。
代わりに、1日6時間からの短時間勤務、就業時間がかなり自由、社用携帯で支援もやりやすい、などと生活との両立もしやすい。生まれた隙間余裕でお弁当も作り、節約もできる。

逆に言えば、このフレキシブルさを十分に生かし、子育てや趣味など生活部分との両立ができる器用さがないと、契約社員はただの給与と昇給がイマイチな形態になってしまう。具体的には、時間内で仕事を終わらせるマネジメント(仕事を増やしすぎないのと大事)、弁当を作るなどの生活力。
そこらへんが上手でない同僚男性は、このままでは給与が低いことが夫婦関係のトリガーになり続けそうな予感がある。ちなみに妻は、大手企業の正社員なので、本当はきっと、世帯収入としては今のままでも大丈夫なはずなのだが…。

上記のフレキシブルさのところは、別に契約社員特有のものではないけど、とりあえずこの職場は、多少給与が低くても融通きかせやすい面をプラスと捉えてやっていこうよ、ということ。それを自分やパートナーがわかってくれれば、悪くない働き方だと思うのだけど。