ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

面白いやつ

2008-01-30 22:01:04 | Private・雑感

このゼミで4年間も過ごした結果・・・
相当に個性的な人でないと、私は他人に対し「面白い人だ」と
思わなくなってしまったんじゃないかな、と思う。
それは、若干「高いところから見てる」やなヤツになってることをも
意味するかもしれない。
だからか、自分自身を「面白いヤツ」と思えるハードルも
高くなってるかも。

実は「面白い人」かどうかが一番評価されてしまう
仕事に就くのかもしれない。
その点で、面白くなり甲斐がある、なんて思ったり。
(芸人になるわけではないです)

かもしれない、とか、若干、とか、思ったり、とか
だいぶぼんやりしたこと書いていますが、
そんなことを、ゼミの卒業パーティーを終えて、
思ったりします。
昨日は2度目の追い出されコンパでした。

なにはともあれ、
たぶんまなみとは、かなり、同じ気分にひたってた1次会。
2個下の卒業生たちのさわやかな卒業気分ぶりに
圧倒された2次会。
しゅうたくんやレオとは
他の子たちとよりも、やっぱり飲んでて楽しかった、
ってことに気づいた3次会。
無機質な商学研究科に居て、でも追いコンがあって
彼らに対してだけでも感傷的になれたのは幸せなことかも。
ただ、3年、4年を一緒の環境で過ごしてくれて
ありがとう、って思ってしまいます。

私にとって、卒業といえばこの曲。

http://jp.youtube.com/watch?v=PivIIqq3Kc0

なんちゃって、明日寝坊して修論出せなかったら
卒業出来ないんだから、もう少しWord2000とお付き合い。


東京新聞の社説

2008-01-25 08:37:08 | Public


中国GDP 世界経済に責任がある
2008年1月25日

東京新聞の社説。
このタイトルでは、世界経済「が」中国のGDP「に」責任がある、と
解釈されるのが一般的ではないだろうか。
少なくとも私はそう思ってしまった。

内容はもちろん逆で、中国「は」世界経済「に」責任がある、と。
GDPの成長と連動しているインフレを中国政府がどうにかしなければ、
労働者の実賃金は上がらず、内需は拡大せず、輸出ばかりの国になって
貿易摩擦を拡大させる。
じゃあどうすればよいか、それは農業対策で、
むやみな都市労働者化を、有効な農業対策、農業者所得の向上へと向かわせ、
穀物生産量を上げる。穀物、その他食料の生産量増は
世界の食糧市場に影響して食糧価格の沈静化、すなわち物価抑制に効く。

最近、社説を読んでいて思う。
こりゃなんのためにあるんだろう、と。
地方紙なら地方紙らしく、ピンポイントなトピックに対し
ビジョンと具体的な方策を述べたらいいと思う。
別に中国政府に政策を訴えるようなこと書かなくても。
そういうことは、たとえば特集の連載でやってるんだし。

わかりやすく書いたら簡単なコトばかりの内容で、
自然と漠然となってしまっている。
隣の読者投稿欄のほうがよっぽどビジョンと具体策の話を書いている
気がするのは私だけだろうか。

・・・
中国GDP 世界経済に責任がある
2008年1月25日
 中国は昨年、五年連続で二けたの経済成長を達成しドイツに匹敵する経済大国になった。輸出と投資が主導する多資源消費の産業構造を変え、世界経済と環境に責任を果たすことが迫られている。

 中国国家統計局が二十四日発表した二〇〇七年の国内総生産(GDP)実質成長率は前年に比べ11・4%増加した。伸び率は前年を上回り、五年連続で二けた成長を記録した。経済規模は米国、日本に次ぐ第三位のドイツに接近し、今年中には中国がドイツを追い抜く可能性もある。

 成長を主導したのは固定資産投資と輸出で、北京五輪を控え不動産投資は前年に比べ三割の伸びを見せた。貿易黒字は五割近くも増加し、世界一となった外貨準備も四割以上増えて一兆五千三百万ドルに達した。

 不安材料は消費者物価の上昇だ。消費者物価指数は通年で4・8%上昇し、前年の1・5%を大幅に上回った。昨年一月は2%台だった上昇率は年が押し迫るごとに上昇し7%近くに達した。値上がりは豚肉や食用油、牛乳といった食料品が中心で中低所得者の台所を直撃している。

 原因は小麦やトウモロコシなど国際的な穀物価格の上昇だ。中国も価格高騰の原因をつくり出している。中国では工業化が進み耕地が転用され離農して都市に職を求める農民が増え、品目によって供給不足が表面化した。不足農産物は輸入に頼ることになるが、大国中国が輸入を増やせば、すぐに国際価格に跳ね返る。

 このように、世界でも有数の経済大国になった中国が、二けた台の成長を続けていることは世界の経済と環境に与える影響が大きい。

 中国の貿易黒字は大半が米国との貿易で生み出され、摩擦は激化する一方だ。膨大な外貨準備を基に世界で運用されるようになった中国マネーの動向に金融界の注目が集まる。

 しかし、信用力の低い人向け住宅融資(サブプライムローン)問題による米国経済の後退が中国の輸出や株式市場を動揺させたように、貿易と投資に頼る発展はリスクが伴う。

 中国が人民元の上昇を容認し、インフレ抑制に努め、労働者の実質賃金を上昇させれば内需の喚起や貿易摩擦の緩和になる。また、農業対策に力を入れ、人口の過半を占める農民の所得を向上させれば、内需拡大だけでなく世界の食料事情の緩和につながる。

 半面、中国が発展途上国の権利を振り回し、温暖化ガスの削減義務を負わなければ温暖化対策は成り立つはずもない。中国の経済政策は世界の安定を左右する。責任が一層重くなったことを自覚してほしい。

人生への深入り

2008-01-17 00:28:58 | Book
誰もが、人生の一貫性を求める。
それが「自分」というものを定義するような気がするから?

じゃあ何に一貫するべきか。
そうやって悩む。
悩んで、何かに挑戦して、何か結果が出て、
そこに思いがけないアクシデントが加わる。

有島武郎、この人は、よりによって文学者の道を選んだ財産家だ。
米騒動が起きた大正時代、
トルストイを読みながら自らの農場を農民に明け渡したような人だ。
一貫した理念、人生にこだわっていた。
それを達成できないうちに、もしくはやや反する形で
人並みに妻を持ち、子供を持った。

小さき者、すなわち彼の子供たちの成人を思ってこう書く。

「ある時はお前たちの誕生を憎んだ。
 なぜ自分の生活の旗色をもっと鮮明にしない中に結婚なぞをしたか。
 妻ある為めに後ろに引きずって行かれねばならぬ重みのいくつかを、
 なぜ好んで腰につけたのか。
 なぜ二人の肉慾の結果を天からの賜り物のように思わねばならぬのか。
 家庭の建立に費やす労力と精力とを自分は他に用うべきではなかったか。」

こんなにも深く難しく悩まなくとも、なんとなく、こういう気持ちは理解できてしまう。

でも彼は、妻の若い結核の死から、自らの結果を得た。

「私たちは、この損失のお陰で生活に一段と深入りしたのだ。

 人生を生きる以上、人生に深入りしないものは災いである。」


人生を生きる以上、人生に深入りしないものは災いである。

一貫しない、矛盾したように感じる部分とどう付き合っていくかに悩んだときに、
もう一度頭に浮かんでくる気がする。
だいたい、自分に納得がいってから満足な選択をするようじゃ
どれだけ長生きしても足りないのだ。

『小さき者へ』有島武郎(1918)

『キャリア転機の戦略論』?

2008-01-12 23:12:33 | Private・雑感
という本を読んだ。
労働系の本が並んだところにひっそりと挟まっていた新書で、
2時間くらいで読めた。
ので今、タイトルが思い出せなかった。
「転機のキャリア戦略」だっけ、「キャリアの転職戦略」だっけ?
著者名は榊原だっけ、柏原だっけ・・・。

いかにも、経営学の先生が書いた本である。
ヨーロッパ・イギリスで働く数人(基本的にキャリア志向の人たち)の
履歴と、その背景とをインタビューに答えたものが
まとめられている。
あとがきにあるように、著者の覗き見趣味の延長のようなもので、
その力の抜け具合がよい。

ところで、
今日の東京新聞(夕刊かな?)の一面は、
専門職大学院の苦戦を報じていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008011202078983.html
MBAやロースクールをはじめとして
様々増殖している専門職大学院。
日本では2003年から何か政策的に展開を始めたようだが、
イギリスでは、これがなかなか一般的な選択肢にあるようだ。
大学を出て、一年ぐらい専門職の大学院、修士あるいはただのプログラムに
参加し、それからジョブ・マーケットに出る。
何歳になっても、勉強したくなれば学びに来る。
もちろんコストとベネフィットを考えて、後者が勝ると読むから来るのだ。

こういうシステムが整っていると、
榊原さん曰く「会社」ではなく「仕事」を選ぶことが普通になる。
・・・日本とは違って・・・?
それはともかく、こういう「後からキャリア」を養う機関は、
特に経済・経営系の分野(を専攻した人、働く人)では非常に重要な役割を担う、と思う。
日本の社会人は、その点、不幸だとさえ思う。
リクルートとか、転職業界と、金融業界人事くらいが
知恵を出せば、あっという間に有用なカリキュラムも出来そうなものだが。
そうすれば雇用の流動化は促進されるし、転職業界の追い風になること間違いなしだ。
不幸にも不況時にジョブ・マーケットに出た卒業生たちにも
「再チャレンジ」が促される。
NOVAなどに流出していた教育訓練給付費も、有効に使われることになる。

どちらかといえば、いいえ、明らかに私は「仕事」を選んだのか、
と読んでいて思った。(今更)
もちろん「どちらか」100%と答えられるほど単純な問題ではないが、
直感的には、「会社」を選んだ友人たちのほうが多い気がする。
もちろん仕事の中身を考えて、会社を選んだ、という意味だけど。
だから何?
うーん、「会社」を選ぶ文化のほうが、労働時間は長くなりそうだ。
「会社」を選ぶ文化のほうが、偽装は増えそうだ。
「会社」を選ぶ文化のほうが、女性は働きやすそうだ。
無意味に答えを出すのはこれくらいにしとこう。

はぁーまったく、スリリングな「仕事」を選んだもんだ、
と今週名古屋から帰ってきてから若干ナーバス。
来年にはかなりの確率で、自分の車を乗り回しているかもしれないんだから
・・・
(私の運転に付き合ったことのある人はわかるでしょうが)
まったくスリリングだ。



改めましていろいろと。

2008-01-02 23:04:57 | Private・雑感
あらためまして、明けましておめでとうございます。

2007年はお世話になりました。
人の役にたった覚えがまったくないので、
バランスシート的には赤字です。
お世話になりっぱなし。
その前までを考慮すれば、赤字にはならなそうですが、
去年はそんな感じです。
今年もよろしくお願いします。

今年は、就職して毎日何かに忙しくなるようです。
おかしくなったら
「みちこ変わったね」
と言って下さい。どこがどう変わったのか、それが容認すべきものかどうか、
吟味してやりたいです。
さあどう転ぶのか。

さっきブログを書きながら、
「抗うことがすべてだな」と思いました。
環境に、その前に、流されて満足しそうな自分に、抗うべきです。
それが今年の目標です。

お気づきかと思いますが、ちょっと酔ってます。
ばあちゃんちで伝統的寝正月を過ごし、
今日車で帰ってきて、焼肉をして、ワインを2本空けました(家族で)。
久しぶりのワインは効きます。

そのあと、「ダーウィンの悪夢」という映画の続きを見終わったところです。
薄気味悪い魚がもたらした、ビジネスINアフリカの実態を追ったドキュメンタリー。
「お金があれば、勉強したい」
と答えながらも、ワニのいる湖に飛び込み、漁をし、体を壊し、またはエイズにかかり、
死に、残された家族には貧困が残り、その巨大魚を始末する仕事に従事し、
不衛生な労働環境に体を壊す。
子供には不衛生なドラッグが出回り、貧困のサイクルは一生を超えて続く。
彼らにとって、勉強したい、というより
「勉強するまでの余裕ある生活水準まで生きたい」という意味かもしれない。
世界は広い。
それを小さくしようとして、輸送機がいろんなものを運び、
情報の非対称性は拡大するばかり。
「来年は・・・シカゴの先物取引相場は下がるか?」
と牛舎をやってる伯父に聞かれた質問が頭をよぎりました。
自然環境以上に大きな、世界規模の経済リスク。

「弱肉強食の原理が世界を制している。勝ち組は誰だって?
 それはまず白人だ。
 なぜなら、世界銀行やら世界食糧計画(WFP)やら、援助機関を
 作って助ける側にいるのは白人ばかりだ。」

誰もが、助けられつつ助けるような仕組みだったら
納得いくのかもしれないけど。


勝負目になりそうな2008年、
臨むところ、という気持ちで酔っ払って寝ます。
どうぞそれでは。

生きて幸福になることに抗うこと

2008-01-02 17:15:34 | Private・雑感
生きて幸福になることに抗うこと
「ぼくらには、ぼくら自身になる時間はない。ぼくにはただ、幸福になる時間があるだけだ」


「ただ、幸福になるには時間が必要だ。たくさんの時間がね。
 幸福もまた長い忍耐なのだよ。そしてほとんどすべての場合、ぼくらは自分たちの人生を
 お金を稼ぐことに費やしてしまうんだ。」

ザグルーは語る。真理だ。
そしてメルソーは悟る。

「人間の唯一の務めとは、生きることであり、幸福になることだ」



カミュの『幸福な死』を読んだ。
哲学とは、美しくて危険なものだ。
正しく、美しい人間の真理を連ねた文章は、
何かの「極み」を追求し、伝えている。
正しくて、美しい。
でもそれは「極み」であり、言ってしまえば「極論」である。
極論はいつの場合にも、意識するには不可欠だが、実行するには危険すぎる。

上のような真理に達したメルソーは、
幸福に生きることを追求し、それが幸福な死をもって明らかにされることを悟る。
彼の死は、幸福な死と言えるものだったかどうか、、、私はそうは思えなかった。

「ぼくらには、ぼくら自身になる時間はない。ぼくにはただ、幸福になる時間があるだけだ」

これが真理だとしても、哲学がそう教えているとしても、
それに抗う方がずっと面白そうである。

そんなことをえらそうに思った、寝正月の年末年始。
素晴らしい日本の正月に、抗えなかった私。
今年の目標は、頑固な人間になること、であります。

今年もどうぞよろしくお願いします。