●ベトナム戦争について考えさせたのはお兄さんだった
「1975年に終わった」ということだけがなんとなく強烈に頭にはあった。
たぶん、カンボジアの内戦がベトナム戦争終結とともに始まったことを覚えていたからだ。
確か、1975年は、ポルポトらがプノンペンをロン・ノル元首らから「奪還」し、
歓声に沸いた。ポルポト派はベトナム戦争に勝利した南ベトナム解放戦線たちと同志で、
支援を受けていた。で「奪還」してそのまま、独裁、大量虐殺、内紛、、、と
なっていったのだった気がする。カンボジアに行ったとき、1975年に始まり、
1979年に終わったというこの戦争の近さ、時間的距離の近さが衝撃的だった。
行動日の1日目に、「戦争証跡博物館」なるものに行った。写真の展示が多い。
何度見ても、枯葉剤の被害を受けた人たちの写真は、人がやったものとは思えない戦い方だと
思わされる。いくつものいくつもの写真、アメリカの投入する戦費の増え方や、
投入された爆撃の量などのグラフもあった。「しっかり勉強しなくちゃ」と思ったのだけど、
「なぜこれほどの写真が残っているのか。どんな立場のカメラマンが、どうやってこの場所に
立ったのだろう。従軍記者というのは、同じヘリコプラターに乗ったのだろうか。
参戦していない日本のカメラマンたちは、自らジープかなんかで移動したのだろうか」
そんなことを考えてしまった。あまりにも近い、目の前の景色ばかりだったからだ。
最終日、最後の訪問地は統一会館(Independent Palace)。フランスがサイゴンを占領し、
アメリカが南ベトナムの統治拠点とした大統領官邸。広い広い庭園付きで、近代的な広々とした
邸宅。1階は、国賓らを招いたという会議室や応接室。地下には対北ベトナムの司令基地が
そのまま残っている。ここを訪れた後、持ってきていた電子辞書(の百科事典)で
一通りのこと勉強した。このときはさすがに、「今しなくちゃ」と強く思った。
いつ、なぜベトナム戦争が始まり、どのように進んで、どう終わったのか。
それは、ベトナム人のガイドのお兄さんだ。たぶん、バスツアーのガイドなんだけど、
私はそれとなーく、付いていって英語のガイドを聞いていた。熱心でかっこよいガイドだった。
英語についていけないところも多かったけど、最後の方には「あと2分で次行くからね」と
声をかけてくれ、「私、聞いててもいいんだ」と嬉しかった。最後には握手までしてくれた。
こういう歴史的場所のガイドさんは本当に、なんというか心動かされることがある。
アウシュビッツで説明してくれたお姉さんの顔は、今でも覚えている。すばらしい仕事。
ここまで、環境がお膳立てしないとベトナム戦争が上手に頭に入ってこないことは情けないが、
(しかも、前に『ベスト&ブライテスト』も読んだのになあ)
また、お兄さんの顔を思い出しながら勉強したり、確認したりすることがあるだろうと思う。
「1975年に終わった」ということだけがなんとなく強烈に頭にはあった。
たぶん、カンボジアの内戦がベトナム戦争終結とともに始まったことを覚えていたからだ。
確か、1975年は、ポルポトらがプノンペンをロン・ノル元首らから「奪還」し、
歓声に沸いた。ポルポト派はベトナム戦争に勝利した南ベトナム解放戦線たちと同志で、
支援を受けていた。で「奪還」してそのまま、独裁、大量虐殺、内紛、、、と
なっていったのだった気がする。カンボジアに行ったとき、1975年に始まり、
1979年に終わったというこの戦争の近さ、時間的距離の近さが衝撃的だった。
行動日の1日目に、「戦争証跡博物館」なるものに行った。写真の展示が多い。
何度見ても、枯葉剤の被害を受けた人たちの写真は、人がやったものとは思えない戦い方だと
思わされる。いくつものいくつもの写真、アメリカの投入する戦費の増え方や、
投入された爆撃の量などのグラフもあった。「しっかり勉強しなくちゃ」と思ったのだけど、
「なぜこれほどの写真が残っているのか。どんな立場のカメラマンが、どうやってこの場所に
立ったのだろう。従軍記者というのは、同じヘリコプラターに乗ったのだろうか。
参戦していない日本のカメラマンたちは、自らジープかなんかで移動したのだろうか」
そんなことを考えてしまった。あまりにも近い、目の前の景色ばかりだったからだ。
最終日、最後の訪問地は統一会館(Independent Palace)。フランスがサイゴンを占領し、
アメリカが南ベトナムの統治拠点とした大統領官邸。広い広い庭園付きで、近代的な広々とした
邸宅。1階は、国賓らを招いたという会議室や応接室。地下には対北ベトナムの司令基地が
そのまま残っている。ここを訪れた後、持ってきていた電子辞書(の百科事典)で
一通りのこと勉強した。このときはさすがに、「今しなくちゃ」と強く思った。
いつ、なぜベトナム戦争が始まり、どのように進んで、どう終わったのか。
それは、ベトナム人のガイドのお兄さんだ。たぶん、バスツアーのガイドなんだけど、
私はそれとなーく、付いていって英語のガイドを聞いていた。熱心でかっこよいガイドだった。
英語についていけないところも多かったけど、最後の方には「あと2分で次行くからね」と
声をかけてくれ、「私、聞いててもいいんだ」と嬉しかった。最後には握手までしてくれた。
こういう歴史的場所のガイドさんは本当に、なんというか心動かされることがある。
アウシュビッツで説明してくれたお姉さんの顔は、今でも覚えている。すばらしい仕事。
ここまで、環境がお膳立てしないとベトナム戦争が上手に頭に入ってこないことは情けないが、
(しかも、前に『ベスト&ブライテスト』も読んだのになあ)
また、お兄さんの顔を思い出しながら勉強したり、確認したりすることがあるだろうと思う。