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ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

「東京タワー」

2007-05-13 22:53:11 | Movie
「いま以上、自分以上に、なりたかったんだよ、急いで、急いで。」

という福山雅治の歌が気になっていた。大崎の本屋で流れていたのだった。勧める人もいて、今日映画館に足を伸ばした。


「東京タワー」がなぜこれだけ流行っているのか―――あまりにも主人公の感情をさらけ出され、視聴者は自分の感情を重ねざるを得ない感覚に陥るのではないかと思った。

時代やその他の条件が違っても、自分や周りの誰かを、映画の中の登場人物に重ねてしまう。そうしたらもう、映画の中の些細な変化にも敏感に心を動かされてしまう。

私も場合は、母と祖母だった。

母は、26歳で結婚し、35歳頃におそらく初めて、関西圏を出る。父の転勤のためである。それから関西・大阪に戻ることは無かった。
母方の祖母は、おそらく生粋の大阪生まれの大阪育ちで、長女であるうちの母が関西を出ても、ずっと長男(私の叔父)と大阪に居た。C型肝炎で入退院を繰り返し、大きな手術をしたあとに、千葉の我が家に来ることになった。

あのとき、母は、祖母は、どんなやり取りで、どんな気持ちで千葉に移り住むことを決めたのだろう―――「ほんとに、おかんが東京行っていいんか?」と樹木希林が電話で言ったとき、祖母と母のやり取りを思った。

祖母は千葉に来てから、我が家から近くの病院に入院し、しばらくして我が家に引き取ることを両親が決める。
母と同じ畳の部屋に布団を敷き、そこに祖母が寝ていた。そのときはもう痴呆があった記憶がある。たった2週間を我が家で過ごした後、家の中の小さな事故で、帰らぬ人となった。

母は―――その心のうちは、どうだったのだろうか。悔しかっただろう、あまりにも短すぎる最後の一緒の時間だった。あわよくばこの主人公のように、7年も8年も、共に過ごせたかもしれなかった。

そして、母は翌年から始まった介護保険制度の中で、登録ヘルパーとして働き出す。映画を見ながら、「わたしは、今まで意識はしていなかったけど、うちの母のような人を応援したいという気持ちがあったのかもしれない。だから介護労働者の話を論文にしようとしているのかもしれない」と思った。


世代と世代が、一緒に年をとっていく。同じものを見、違うことを考えながら。

そういえば、福山雅治も「同世代に伝えたい歌、を意識するようになった」とどこかで言っていたなぁ、と思いながら、エンディングの歌をしんみり聴いてしまった。感動というより、胸に痛いような映画だった。

オリバー・ツイスト

2007-05-13 03:10:22 | Movie
2006年 イギリス
★★★★
・・・

「この子は孤児なのに名前があるのかね!?」

「アルファベット順に私がつけるんですよ、Sの次はT、Tだからツイスト。」

彼の名はオリバー・ツイスト。人間が溢れた19世紀・イギリスに生れ落ちた一人である。この時代の、この場所にしかない、空気を凝縮させたような映画に思えた。

・・・
19世紀イギリスをとことん描こうとしたロマン・ポランスキー監督。10歳かそこらの少年の目から見るその景色は、とにかく茶色い。そして多くの人―――持てるものと持たざるもの―――が溢れている。何にぶつかるかわからない。孤児となった少年が養老院にぶつかり、葬式屋に拾われ、ロンドンにたどり着き、小汚い街の一角に寝場所を見つけてからの物語である。

どこもかしこも人だらけ―――これがほんとに当時の景色だったのだろうか。道の脇には人が座り、真ん中を危険な馬車が走る。他の映画でもこんな景色を見たな、と思って思い返すと、それは「二都物語」(1957年イギリス)だった。ふたつとも原作の著者はチャールズ・ディケンズ。イギリスの19世紀後半に活躍した作家らしい。

産業革命時のイギリスは、「人類がかつて経験したことの無いほどの、急激な変化」の中にあったと言えるのかもしれない。最近よく思うのだが、「急速な、急激な変化」が与える負荷は相当大きいものなのではないだろうか。時間で微分したときの大きさが、人間一人一人に与えるショックのことである。

変化に社会が、政治が、人間が適応していくのは簡単ではない。ときに、世代単位の時間がかかる。19世紀のイギリスでジャーナリストとして活躍し始めたディケンズは、考えること、考えなくてはいけないことでいっぱいだったかもしれない、と想像してみる。必ずや同じ違和感が、今の発展途上国でも発生しているのではないだろうか。
彼のもうひとつの代表作、『大いなる遺産』も読んでみよう。