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精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

スペインの憲法改正と財政赤字

2011-08-29 13:29:55 | Private・雑感
昼の海外ニュースを見ていたら、スペインが財政赤字の
上限を定める憲法改正についてやっていた。
国会の夏休みを切り上げ、数日間で与野党間の合意に至ったようだ。

合意の内容は、(ブルームバーグより)
与党・社会労働党が26日に配布した憲法改正案によれば、同党と野党・国民党は憲法を改正して、全ての政府機関が確実に「財政安定の原則」を遵守するよう図ることで合意した。
  改正案は公的債務が国内総生産(GDP)比で60%を上回らないよう求めているが、「自然災害やリセッション(景気後退)、緊急事態」が発生した場合には上限を超える可能性もあるとしている。両党は、構造的財政赤字の上限をGDP比0.4%に設定し、20年までに達成することを盛り込んだ別の法案を来年6月をめどに通過させると表明した。公的債務の上限についても20年から適用する。


構造的財政赤字とは、おそらく単年度一般会計の赤字額(公債発行額)だろう。
中央政府と地方政府を合わせて、GDP比0.4%ということらしい。
(うち中央政府分は0.26%、地方政府は0.14%)。
国債が暴落し、金利が急上昇する危機にさらされているという
だけあって、素早い動きに少し感動してしまった。
日本の政治の動きへのうんざり感が増したのと同時に。
もちろん、背景には「ドイツとフランスがユーロ圏の救済基金拡充の見返りとして」上限の宣言を求めていたことがある。

この0.4%という数字はどうなのだろう、と日本と比べてみた。
日本の名目GDPはおよそ475兆円。
一般会計の公債費は44兆円。このうち、借り換えするための
借金21兆円を引くと、23兆円。
23÷475=0.048%。
中央政府分だけで、スペインの上限水準に達してしまう。
(算入項目など推測なので、不正確かもしれないが)

最近思うことは、日本の若い人たちの中で
経済学者、財政研究者になろうという人は出てこないのでは
ないか、ということ。
ばかばかしくなるほど理論はなく、政治だけで説明されてしまう。
「なぜ日本の政治風土は異様なのか」という疑問から
政治学者は多くなったりして。

昼下がりに考えたことでした。
ちなみに、チャンネルを回すと鹿野農水大臣が立候補演説していた
けど、全く具体的な政策なし。
「震災復興やらなければ」「税と社会保障の一体改革をやらなければ」と言うけど、
どうやるのかを言わないなら誰にでも言える言葉。
言質にもならない。記事にする内容もないことでしょう。

医療裁判における鑑定書(大野病院事件のシンポジウムから)

2011-08-22 13:58:23 | Public
「医療刑事裁判における医学鑑定のあり方を問う
 ―医師を裁くのは鑑定書―」
というタイトルのシンポジウムに、先日行ってみた。
お盆休みの最中の13日に、東京で開かれたもの。
http://www.iryokeiji.com/morita/
2006年に産科医が逮捕され、大きな議論となった
福島県立大野病院事件の弁護団が主体で、
この事件の鑑定書がどのような役割を果たしたのか、
得られる教訓は何か、といったことがテーマ。
(裁判は被告側の勝利で終わっている。)
弁護士、産科医、医療過誤の被害者、メディア関係者
が出席していたようだ。

 シンポジウムを通してのアピール(個人的な印象に基づく)は2つ。
①医療裁判では警察・検察側の鑑定書が、起訴/不起訴に
大きな影響を及ぼすが、この鑑定書自体の中立性、
一般的な医学水準を保つ仕組みはない。
実際、まともな鑑定書だったら大野病院の医師は拘束され、
起訴されなかったはず。
医療事故が医療事件となる入り口がこんなあやふやでは、
必ずしも争わなくてもよい裁判をしなくてはならない
可能性がある。裁判や警察による拘束が、医師にとって、
関係者にとって多大なコストであるのに、なんとも
ナンセンスではないか。

②この多大なコストを考えれば、無罪よりも起訴されないことが
大事。弁護士はその役割を自覚しなければならない。
医療裁判は通常の刑事裁判に比べ、医師はインテリで話は早いし、
医師会や学会の応援を受けられることも多いので、
事実関係や医療水準(起訴は妥当かどうか考える基準)を
比較的早く把握できる。だから、逮捕や書類送検されてしまった
(しまいそうな)医師や病院はすみやかに弁護士に連絡し、
対策(上記事項の把握や記録の保全、証拠隠滅の可能性がないこと
のアピールなど)を練るべきだ。
(通常は起訴されてから弁護士に連絡することが多い。)

 私がこのシンポジウムに参加したきっかけからして、
医療鑑定の影響力の大きさを感じていたからだ。
医療鑑定は、医師や病理学者らの鑑定書が「適切な処置と思われる」
と書くか書かないかが注目される。適切とすれば、医療の専門家
ではない裁判官は過失なしに動くし、反対であれば過失ありに動く。
鑑定は、捜査段階で警察側が委託し、そのまま検察が調書(起訴の
証拠)として使う(ようだ)。

 大野病院事件では、このシンポジウムで知ったことが、
鑑定医は事故後の胎盤の写真(被告とされた医師が撮影していた)
がせっかく残っているにもかかわらず、見ずに、解剖後の胎盤の
分析のみで鑑定していたようだ。その写真を見ればありえない
範囲の処置を、「ありうる」としている。しかし、弁護団側の
鑑定や、写真からの観測をあわせると、やはり「ありえない」。
そう裁判官が判断して、無罪となった、という流れのようだ。

 シンポジウムでは、実際に裁判に臨んだ弁護士たちが語ったが、
やはり彼らだって胎盤剥離に詳しいわけではなく、医師らに
相当レクチャーしてもらうところから始まった。だから、
鑑定のおかしさを断言できた。
 そういう事件化の「構造」が早くつかめればメディアも苦労しない
のだが、そこまでの道のりは険しい。鑑定書は読んだことがあるが、
医学的にはわからないことが多くても、鑑定医のメッセージ
(「適切と思うかどうか」)は分かるし、おかしいという指摘に
共感できる部分もある。数をこなせば、少しは構造を知るのに
早くなる、かもしれない。最近は、医療鑑定を引き受ける医師が
いなくて医療鑑定の時間がやたらかかると聞いたこともあるが・・・
どうなのだろう。

牧紀男(2011)『災害の住宅誌―人々の移動とすまい』

2011-08-19 15:57:16 | Book
大震災が起きてすぐ、「仮設住宅を要しなければならない」
という話になった。冬の終わりきらない、寒い3月のことだったから
なおさらだ。灯油もあまり流通していない体育館などの避難所で、
プライバシーもなく過ごす段階は、なるべく短い方がいい。

 だからといって、プレハブの仮設住宅が「次の段階」として
唯一無二のものではない。実際にホテルに避難したり、親戚の元へ、
ゆかりのある場所へと移り住む選択肢もある。今回、数週間にわたり
物資輸送や灯油の輸送、医療施設の機能麻痺が起こっており、
「食べもの、暖かい場所のあるところへ移った方が早い、と
テレビ越しに感じた。
 それでも、雲仙普賢岳の噴火や阪神淡路大震災などの災害後の
イメージも伴い、「仮設住宅も相当数用意されなければならない」
という社会的前提が、今回の震災でもあったように思う。

 仮設住宅はそれほどに必要だろうか。災害後の住まいはどういう形が
考えられるのだろうか。この問題意識から手に取ったのが、『災害の住宅誌』である。

 本書からこの問題を考えると、仮設住宅は、「被災した人が
早く元の地域に戻ることこそが目標だ」という価値観を元にしている。
プレハブの仮設住宅には、解体費用を含め一戸当たり500万円ほど
費用がかかる。それでも、他の地域、例えば近隣県の公営住宅などに
に移るのはかわいそうなことであり、ご近所づきあいが
途切れてしまうのはよくない。だから、転居せず済むように、
被災地のなるべく近くに固まった場所を探す。

 「元の場所で住まいを再建する」という価値観は、日本において実は
非常に新しいものだ、と著者(京大防災研究所巨大災害研究センター准教授)は言う。
災害の多い日本で、住まいは「常ならざるもの」であった。関東大震災では、
被害の大きかった下町の人口は、関東大震災10年後で、17万3000人も
減り、目黒や練馬、渋谷などで大幅に増加している。
職住分離をし、郊外へ家を移すことが一般的だった。伊勢湾台風の際も
そうだ、というのである。また、海外のインドネシアやカトリーナ・ハリケーンで
被害を受けたアメリカなども、こういう意識が強いという。

 なぜ、現代日本では移動に否定的なのか。これについて、高い「土地付き持ち家」率が
原因ではないか、と仮説を示している。元々地方の農村では持ち家率は高かった
だろうが、都市部ではそうではなかった。1970年代に都市部の持ち家率が上がり、離れられない事情が出来てしまった、と。

 本書では、他の章で、世界各地の「災害後住宅」が紹介されている。
終わりには、今後災害に強い住宅にしていくためにも、個人の年収に縛られ、
それがゆえに単価の高くない寿命が20~30年ほどしかない住宅が
建てられていくことは得策ではない、という趣旨の話をしている。

 基本的に、非常に共感できる本だった。特に、エネルギー問題が大きな
課題となっている中で、太陽光発電や蓄電など、住宅への設備投資が
進む流れになっている。ここでも、「個人が35年ローンを組んで、
確実に、なるべく早く返せる程度の水準の家」という住宅モデルは
壁になるだろう。
 本書の随所にあるが、阪神大震災、中越地震後の人口の動きでは、
かなり地域を出て行っている、という統計もある。地方分権が進む中で、
自治体の長としては辛いところもあるかもしれないが、戻ることの価値ばかりを
強調して政策を推進するのは、デメリットも大きい。

追記
内容は面白いのだが、この本、見た事もない読みにくい楷書体の字体を
使っていて、非常に読みにくいことに注意。