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ケセラ・イズム

~人生の微分理論~
今が大事,先の事なんて知った事か!

憤死させられた呪いは怖い

2025-08-14 03:32:48 | 歴史浪漫
こちらの記事にて"美髪王"たるノルウェー王ハーラル1世を紹介したが,

今回は"美男王"といこう笑。

フランス王フィリップ4世である。

端正な顔立ちで,

華やかな金髪,

しかも頭ひとつ抜けた長身ときたら…。

一応,肖像画も貼っておこう。



ん?

なんか思ってたんと違うような…。

まぁ,

昔の人だから仕方ないか笑。


さて,

このフィリップ4世なんだが,

在位は1285~1314年で,

カペー朝の国王なんですね。

あ,

フランスの王朝って,

カペー朝から始まり,

ヴァロワ朝,ブルボン朝,オルレアン朝と変遷していくんです。
(ただし,日本と同じく男系が途絶える事なく続いた)

んで,

そのカペー朝の中で屈指の名君と謳われているのが,

第11代フィリップ4世なんよ。

何が凄いって,

世俗の君主として初めてローマ教皇を倒した

ってところ笑。

それまでもローマ教皇に挑んだ君主たちはいました。

だけど,

ことごとく敗れ去っていたんです。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は,

聖職叙任権を巡って教皇グレゴリウス7世と対立するも,

破門されて「カノッサの屈辱」を演じる破目になったし,



フランス王フィリップ2世やイングランド王ジョンは,

共に教皇インノケンティウス3世に煮え湯を飲まされている。



そう考えると,

フィリップ4世の勝利は快挙なんですね。


彼が活躍したのは,

中世の末期と言うべき時代。

封建制の社会から抜け出そうとしていた頃です。

権力が地方に分散した状態から,

中央集権の国家へと生まれ変わろうと悶えていた。

そんな中,

フィリップ4世は外征よりも内政に力を注ぎ,

王領を大幅に拡大しました。
(全国の7割にも達していたんだとか)

だけど,

まだ王権に逆らいうる勢力があった。

それが"教会"です。

当時の教会は,

教皇によって叙任,つまり聖職者としての地位を与えられ,

国王によって冊封,つまり教会領の支配権を与えられていた。

そう言った二重権力体制の場合,

国王に擦り寄る奴もいるかも知れないが,

教皇に擦り寄る奴もいたんですね。

そんな状態を打破しないと,

中央集権の国家を生み出す事はできない。

そのために教皇を屈服させる必要があったってわけ。


ところで,

今までの世俗君主たちが教皇に敗れ去ったのは,

国内の有力者たちの支持を得られなかったからってのが大きい。

ソレをわかっていたフィリップ4世は,

教皇との対決の前に国内の支持を取り付ける事を目論みます。

それが「三部会」と呼ばれる諮問機関へと結実。



教会・諸侯・平民と言った3つの身分に対して,

それぞれ発言権を与える事で,

彼らに国王への支持と忠誠を誓わせたんです。

1303年,教皇から破門を宣言される可能性を感じたフィリップ4世は,

それを阻むために教皇ボニファティウス8世を誘拐。



いわゆる「アナーニ事件」ですね。

すぐに解放されたとは言え,

 何たる暴挙か!

と怒り狂う教皇は,

そのまま憤死。

出ました!

世界史名物の"憤死"!笑

いや,

人が死んだのに笑ってはいけない。

失敬。

ちょっと脱線してしまったが,

フィリップ4世は,

次の教皇であるベネディクトゥス11世も毒殺し,
(たぶん暗殺だと言われている…)

その次の教皇クレメンス5世を傀儡に強いて,

1309年からは教皇庁を南フランスのアヴィニョンへ移します。

自身の監視下に置いたんです。

「教皇のバビロン捕囚」や「アヴィニョン捕囚」と言われるイベント。

その後,70年近くにわたって教皇庁はローマを離れる事に…。

まさに教皇を支配下に置いた国王。

強過ぎ。


ただ,

順風満帆に見えたフランス王家に,

"教皇の呪い"が降りかかります。
(憤死の恨みって感じ?笑)

それまでのカペー朝は,

順調に父子継承を繰り返していたんですよ。

父から子へ,

父から子へ

と王位が継承されていた。

フィリップ4世の死後も,

順当に長男がルイ10世として即位。



しかし,

このルイが在位1年半で死んじゃうんだよね。

次の王になるのは,

当然,その息子。

まぁ,

まだ王妃の腹の中にいたんだけど…笑。

しかも,

生後0日にして即位した遺腹ジャン1世も,

生後5日で死亡。

カペー朝が創始されて以来,

350年近く続いていた父子継承がここで終わりを迎えたってわけ。

次の国王になったのは,

ルイ10世の弟フィリップ5世なんだが,
(フィリップ4世の次男)

これまた跡取りなく死亡。

さらに下の弟がシャルル4世として即位するも,
(フィリップ4世の三男)

これまた跡取りなく…。

凄いのは,

フィリップ5世にもシャルル4世にも子はたくさんいたのに,

男子がことごとく夭逝してるってところ。

まさに"教皇の呪い"。

これにてカペー家の直系は途絶え,

フィリップ4世の弟の息子(つまり甥)で,

最後の国王シャルル4世の従弟にあたる,

ヴァロワ伯フィリップが国王となります。



ヴァロワ朝の初代フィリップ6世ですね。

ちなみに,

男系なのに王朝交代が起こっているのは,

王位継承がスムーズにいかなかったから。

意義を申し立てた奴がいるんですよ。

フィリップ4世の娘の息子(つまり外孫)で,

シャルル4世の甥にあたる,

イングランド王エドワード3世です。



彼がフランスの王位を主張した事で,
(どこまで本気だったかは謎)

120年にも及ぶ大戦争が勃発。

いわゆる「百年戦争」の事で,

戦場となったフランスの疲弊は凄まじい。

んー,

ここまで意図されていたとすると,

"教皇の呪い"って怖ろしいな笑。
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