この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

# 392 「ハイネ詩集」「ヘッセ詩集」(思い出)2

2008年02月06日 | ドイツ文学
3年前にこのブログを書き始めたころ、私は「ハイネ詩集」「ヘッセ詩集」という題で書いたことがある。長い間あこがれていて、やっと会うことができるようになった女性が病気になって入院した。私は私がいつも読んでいる文庫本の「ハイネ詩集」「ヘッセ詩集」を持って見舞いに行った。その文庫本には私が読んでいるときにつけた傍線や書き込みがあるのだが、私は彼女にも書き込みをしてほしいと頼んだのである。
彼女は傍線や書き込みをしてはくれなかったが、セロハンの紙をきれいに切って、彼女の気に入った詩にはさんでくれたのである。

それから半世紀を過ぎた今でも、この文庫本は私のの本棚のすみにひっそりと居続けている。

数日前に書類を整理していた時にその頃彼女から貰った手紙が出てきた。私には宝物のようなものである。

そこに、彼女が長い手紙の中でヘッセの詩を書き写してくれているのに気がついた。3年前には思い出せていなかった。

以下引用である。

「お借りした詩集の中にの詩で、こんなのがありましたね。

   夜ごとに
 
 夜ごとにお前は吟味せよ
 一日が神様のおぼしめしにかなうかどうか
 一日が行いと真心とに楽しかったかどうか
 一日が不安と悔恨とにめいっていたかどうか
 お前の愛人の名をとなえて
 憎みと不正とを静かに告白せよ
 一切のあやまちを心から恥じよ
 いささかな影も寝床に持ちこんではならない。
 一切の憂いを心から取り去って
 心が深く子どものように安らえるようにせよ。
 そうして心も澄んで安らかに
 お前の最愛の人を、母を
 幼き日を思い出すようにせよ。
 見よ、そうしたら、お前はけがれなく
 かぐわしい夢が慰めつつ差し招く
 冷たい眠りの泉から深くのみ
 新たな日を澄んだ心で
 勇者として勝利者として始める
 心の用意が出来るのだ
      --ヘルマン・ヘッセーー

 愛する人の名を心にとなえることは、滝に打たれるよりもっと心を底から洗っ てくれるでしょう。でも、手を差し出して眺めるだけで大抵はやめてしまうので す。
 つまらないところに使う勇気がここにあったらと思います。」

 私は、この詩を選んだ彼女の気持がどこにあるのか、そしてその後に書いてある この言葉がどういう意味なのかよくわからなかった。
 
 この手紙をもらった時には、彼女は退院していたが、まだ家で静養していた。

 この詩を彼女が選んだ意味、そしてこの後に彼女が書いた言葉の意味はついに彼女に聞く機会はなかった。

 もしそれから半世紀経った今でも彼女に会えるものなら、聞いて見たいと思うのである。
                               (おわり)
  
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画像:筆者撮影

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