この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#65 ハンス・カロッサ著「美しき惑いの年」Ⅰ(深大寺公園)

2005年04月21日 | ドイツ文学
ドイツ文学の作品には魅力的な題をもつものが多い。ハンス・カロッサ(1878~1956)の「美しき惑いの年」もその一つだ。何のてらいもなく、「美しき」という言葉を題に用いているのもドイツ文学らしい。ヘルマン・ヘッセの「青春は美し」もそうである。Das Jahr der Schonen Taushungen.というのが原題のようだ。

Taushung という言葉、独和辞書を引くと、欺かれること、思い違い、幻滅、失望、迷い、錯覚 と書いてある。青春とは美しい Taushungen.である。なるほどと思う。

これは、カロッサが若き医学生だったころのことを描いている。
誰にとっても、二十歳代の前半の青春時代は「美しき惑いの年」であろう。

私は岩波文庫のこの本は自分で買ったものではない。1955年に人からもらったものである。というよりは、もぎとった?ものである。

この本を私の本棚から探し出そうとしたが見付からない。どうしたことだろう。ちゃんとあったはずなのに。

私はこの本を学生寮の上級生のOさんから頂いた。それには懐かしい思い出がある。

三鷹の新川という場所にあった私達の学生寮から深大寺公園はほどよい距離にあった。深大寺公園、何十年も行ってないので今はどうなっているのか想像できないが、1955年ごろには周囲には何も建築物がなく広々とした一面の畑で、公園は広い芝生に周囲に花畑があっただけのような気がする。私は授業が早く終わって寮に帰ったあとで、夕食までの間、白いトレパンにはき代えて深大寺公園までよく走った。私達の寮から深大寺公園までも途中にところどころに民家があるだけで、見渡す限り畑が続いていた。

ある初夏の夜、ほかの部屋の同年の友人(仮にK君と呼ぶ)と二人で夕食後深大寺にまででかけた。夜八時頃であろうか、もう日が暮れていた。黄昏時というべきなのかも知れない。

公園の芝生の上で他愛のないことを話をしているうちに、遠くで女性二人が同じようにお互いに話をしているようなのが暗がりで見えた。K君は、「行って見よう。」と私に言って腰を上げた。私もためらいながら彼の後について行った。

私達と同じような年かっこうの女性二人だった。女性達はびっくりしていたが、私達が近くにある寮の学生だということを知って安心したようだ。K君のペースで私達はとりとめのない話をはじめた。

私は地方の男子高校の出身だ。それに当時在学していた大学には女子学生はほとんどいなかった。従って若い女性と身近で話をする経験はほとんどなかった。初夏の夕暮れ、むせかえるようの緑の香りの中で同じ年輩、いや私達よりちょっと年上だったかもしれない若い女性達とともにいるだけで楽しかった。何を話したのか全く忘れてしまったが、快かった。

時間がたってやがてK君が彼女達に、この同じ場所で1週間後にでまた会おうかと提案した。彼女達は二人で相談していたが、合意して自分達の都合のよい日を言ってくれた。私達はその日に、黄昏時の同じ時間に会うことを約束して別れた。

なるほど、K君は男女共学の高校の出身だけに見事なものだと私は感心した。

これと岩波文庫のカロッサの「美しき惑いの年」とはどういう関連性があるのかは、また明日の話にしよう。                         (つづく

*画像はカナダ、バンクーバーのスタンレー・パークの片隅の花(1993年7月筆者撮影)


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