この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

# 297 カロッサ著「成年の秘密」

2006年06月03日 | ドイツ文学
大学の教養学部の時の語学のクラスのクラス会が1週間ほど前にありました。昨年とほぼ同じような顔ぶれでまた楽しく話し合いすることができました。その後、その頃私が読んだ本を書棚から取り出したりして50年前を思い出していました。ドイツの作家、ハンス・カロッサの「成年の秘密」を今手にして開いています。

ドイツの批評家が作家を評するときに、非常にしばしば、作家という言葉のかわりに詩人(Dichter)と呼んでいるのに気付きます。ドイツ文学の場合、作家はStory teller であるよりもDichterであることの方が多いようです。ハンス・カロッサも正しく詩人です。

この作品「成年の秘密」の書き出しはこのようになっています。

とうとう雨になった。私たちは栗の老樹に向いて窓辺に立っていた。埃をかぶった栗の葉は、まるで鴨の羽毛のように油質の添層でおおわれているみたいに、長い間水滴をかぶっていたが、やっと次第に湿ってきた。箱オルガン弾きが村を通って行った。オルガンの箱には両側に小窓がついている。覗くと中には小さな部屋があって、音楽が始まると明かりがともり、一対の小い男女の人形が踊りの姿勢でぐるぐると廻る。近所の子供たちはみんな私のところの土間に集められていた。コルドラは半時間も続けさまに子供たちのために演奏させた。後で子供たちはこの魔術師のうしろについて国道の方まででかけて行った。――――(高橋義孝訳)

この作品のどこを読んでもまさに詩であり絵です。緑につつまれたドイツの田園の若葉のにおいも感じられます。

と同時に50年前の今の季節に胸をふくらませて新しい語学、ドイツ語を習いはじめたころを懐かしく思い出します。

というといかにも私も熱心に勉強したように見えるのですがそうではありません。今と同じで興味は示してもすぐ生来の怠け癖が顔を出してしまうというのは同じことです。

クラス会の友人達と私は、ドイツ語を富士川英夫先生と関泰祐先生に習いました。富士川先生はリルケ研究で有名、関先生はゲーテ、ヘッセ、の訳者としてこれらのあまりにも有名な先生方からドイツ語のてほどきを受けたというそれだけでも財産だと思っています。

世界有数のゴルファーからただの一度でもスイングを教えてもらったことがあるというのと似たようなことでしょうか。

クラス会で、もう亡くなってから10年以上たった哲学者の広松渉氏の話しが出ました。昨年は氏の没後10年の催しが各地で開かれたということでした。上海でも追悼会があったという話でした。広松氏も私達のクラスで一緒に勉強した仲間でした。後年哲学者として苦もなく普通にドイツ語の文献を読む同氏も私達と一緒にドイツ語の初歩を勉強したことがあるのです。

先日のクラス会でも、今や高名な哲学者となっている、S君、M君も出席していました。この君たちはドイツ語は日本語と同じように読んでいるのでしょう。M君は、T女子大でのギリシャ語の授業も持っているとのことでした。
授業を受けている学生は何人いるのかと聞くと、「今は」十数人ということでした。ということは学期が終わるころには数人に減っているだろうということか、と言って私達は笑いました。皆、自分達でもおぼえがあるのです。

それにしても、ギリシャ語を勉強している女子学生達、どのような人達だろうとそのクラスを覗いて見たいような気になりました。

私が1956年5月28日に購入したと記してあるカロッサの本を手にしながら私はいろいろなことを思い出しています。

画像:カロッサ著「成年の秘密」高橋義孝訳 新潮文庫 昭和26年5月25日発行、昭和29年10月25日第6刷 定価70円






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。