この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#8 ヘルマン・ヘッセ「青春は美し」

2005年01月22日 | ドイツ文学
ヘルマン・ヘッセのこの短編は題で期待するとちょっと違うという感じだ。人間はそれぞれ自分の人生に責任を持っており、自分の人生の歩み方を決めることができる。しかしその歩み方は時に、いやしばしば親の期待とは違っている場合がある。この素晴らしい詩人ヘッセも必ずしも両親の期待通りの道を歩まなかったようだ。

ヘッセの若い時の姿であろうこの小説の主人公「私」は親に心配をかける生活をした後ある程度落ち着いた生活に入ってから一夏郷里に帰って来る。そして両親や兄弟、昔の知り合い、旧友、古い女友達と会い、懐かしい郷里で休暇をすごす。そしてまた都会へ戻って行く。そして青春時代を過ぎようとする主人公はこの夏を振り返って「私の生涯に今一度、あの夏のような心愉しいことがあるならば、私はありがたくそれを受けようと思う。しかしおそらくそういうことはあるまい。」といい、この夏の思い出を書いたのがこの作品という設定である。

 郷里には「私」の帰りを待っている両親がいる。「私」は自分のそれまでの生活を両親に話さないといけないのを、試験を受けるような気持ちと表現する。
主人公の若者が帰ってくると

「それから父は書齋にはいり、弟や妹も駈け去ると、あとは全く静かになった。そして私は母と
二人きりでテーブルに残った。それは私ががもう随分長い間楽しみしみにすると共にまた恐れていた瞬間だった。何故って、私の帰省はよろこび迎えられはしたものの、この数ケ年の私の生活は、全然清浄無垢とは言ひがたかったからである。むし私は手紙でしばしば危険な近代思想を告白し、爲に論争や訓戒をひき起していた。また私の青春と他人の間における並々ならぬ生活の自由さから、私はいろいろの邪路に導かれて、しかもなお一部分それを悔いるところがなかったのである。
さて母は美しい暖かい眼でしみじみと私を眺め、私の顔色をよみ、何を言い何を尋ねたもので
あらうかと考えに耽っているらしかった。私は内気にだまって、試験されることを覚悟しながら指をいじっていた。試験は無論ひどい不成績に終らないであらうが、部分的にはしかしひどく恥かしい結果になりそうだつた。

母は静かに私の眼を見つめていたが、やがて彼女の華奢な小さい手の中に私の手を執った。
「お前、まだ時々お析りをおしだらうね?」
と彼女は低い声で訊いた。
「近頃はもうしません」
と私は言うより仕方が無かった。すると母は少し心配そうに私を見て、それから言った。
「今にまたするようになりますよ」
「ええ、多分」
と私は言つた。
それから母は暫く黙っていたが、とうとう訊いた。
「ねえ、でもお前立派な人になっておくれだろうね?」
これには私は「はい」と答えることが出来た。すると母はもう痛い質問はやめて、私の手を撫で、私にうなずいたがその様子には、'私が話さないまでも私に信頼しているといふ意味が現はれていた。」

 私達の世代の人間は同じような経験をしているのだろう。
私達の世代は、大学では学生運動があった。多くの学生が社会を変え歴史を変えるのだと言って積極的に学生運動に参加した。郷里の親は子供が大学でどのような生活をしているか心配した。休暇で郷里に帰ると親は子供にどういう生活をしているのか聞きたがった。学生運動でなくとも、美しい女子学生の話や家庭教師に行っている先の美しく優しい奥さんのことを息子があこがれの気持ちで話すと、親はもしや息子が間違いをおこすのではないかと心配した。

 この小説の主人公「私」はこの夏の休暇を終え、二人の女友達に送られて汽車に乗り郷里を離れる。汽車が両親の家のそばを通る時に、弟が花火を打ち上げる。

「私は窓から身を乗り出して花火が上がり、宙にとまり、やがてやわらかな弧線を描きながら、赤い火花となって消えるのを見ていた。」この文章でこの作品は終わる。夢のような青春のひと夏の帰郷の最後の場面として美しい。



この本は岩波文庫「青春は美し」ヘルマン・ヘッセ作 関泰祐訳 1954年年第8刷発行のものである。(定価☆1つ。40円)初版は1939年2月15日とある。私が4歳の時関泰祐先生はもうこの本を翻訳していたのだ。

そしてその先生に私はドイツ語をならっていた。この本を私が購入したのは1955年6月14日とある。20歳になったばかりの初夏だ。大学の生協の書籍部で買ったものだ。5号館とよばれた木造の小さな2階建ての建物の1階の端に書籍部はあった。私は授業の合間の休み時間にはきまって書籍部に行って、いろいろな本の背表紙をみるのを常としていた。6月というと構内のつつじはようやく終わりかけていたのだろうか。私もうるわしい青春の真っ只中にいたのだ。この本もそれからずっと私の本棚にいてくれているのだ。(おわり)




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