この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#689 曽野綾子著「あとは野となれ」1

2010年08月19日 | 日本文学
もう一カ月ほど前になろうか。私の妻が誰かの電話を受けていたが、受話器を持って私の部屋に来た。近所に住んでいるA夫人からの電話の途中のようである。

電話を私に取り次がないで、自分だけの判断だけでお断りしようと思ったのだが、そうすると後で私に知れたときに、私が腹を立てるといけないと思って電話の内容を私に伝えるというのである。

A夫人の電話は、A夫人の日本画の友人が今度老人向けの施設に入ることになった。それで自分でお持ちの本をそのまま処分してしまうのは残念なので、友人達にもらってもらいたいというご希望なので、A夫人も、かなりの本をもらって来られた。私にその中で私が希望する本があれば分けてあげるので来てほしいという電話がかかって来ているというのである。

私は沢山の本を持っているわけではないのだが、自分の持っている本を整理して少なくして行くというのが私の今の大きな課題の一つなのである。同時に私の妻からの「厳しいお達し」なのである。

私が5年前にこのブログを書き始めた動機は、処分して行く私の懐かしい本に何か別れの言葉でもかけてやりたいということであった。しかし私はその本に別れの言葉を書いても、思うように捨てられないのである。

私の妻は、私にA夫人からの電話を取り次いだら、またどうしても貰いたい本ができてしまうだろうと恐れていたようだが、妻の様子は事のなりゆきに半ばあきらめている風も見えたた。

私は、見るだけになさいとこんこんと妻に諭されながら、妻と共にAさんのお宅に伺った。


Aさん(ご主人)もご在宅で、いつものように楽しくお話をしてやはり10冊ほどの本を頂いて帰って来たのである。

その中の一冊が、この曽野綾子著随筆集「あとは野となれ」であった。

曽野綾子女史は私の若い時から尊敬の対象である。

昨年他界した敬虔なカトリック信者であった私の義兄、船山幸哉にとっても、曽野綾子女史は絶対であった。

私は曽野女史の講演を残念ながら直接聞いたことはない。しかし学生時代に遠くから曽野女史を見る機会があり、作品だけではなく女史自身が好きになった思い出がある。

それは、文芸春秋社主催の「文士劇」のリハーサルの舞台を見に行った時のことであった。

                                (つづく)
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画像:曽野綾子著「あとは野となれ」朝日新聞社刊 1984年11月5日 第1刷
   定価1000円





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